高遠菜穂子のイラク月例報告(7)
立派な診療所完成、子ども達の家も着々!

放送日:2005/6/4

月例といいながら、前回の報告(3/26)から2ヶ月以上も空いてしまった。この間、高遠さんは、まずはアンマンに行ってイラク人スタッフと打ち合わせをし、一時帰国後、今度はアメリカで写真展を開き、そして現在、再びアンマンへ、と忙しく動き回っている。というわけで、なかなかタイミングが合わないため、今回は、一時帰国中にうかがっておいたお話を紹介する。

高遠さんが立ち上げ、イラク人スタッフが引き継ぐ形で続いている「ファルージャ再建プロジェクト」と、バグダッドでの「子ども自立支援プロジェクト」。そのどちらもが、目に見えて進展してきたという。
前者の「ファルージャ再建プロジェクト」からだが、前回は「緊急支援として診療所を開設」の第1報をお伝えした。今回は、その仮診療所の完成写真を、アンマンに行って見せられた高遠さんの驚きから話が始まる。

■以下、先月(5月)のインタビュー  -------------------------------------

高遠:
自分が想像してたよりもすごい立派でびっくりしました。ファルージャ郊外の避難民のいる農村で、サダム・フセイン政権時代は旧バース党の建物だったらしいものが、ずっと空き家になっていて、そこを診療所に改築したんですけど、わりと立派でした。5部屋あって、診察室、処置室、薬局、事務室、待合室が用意されているんです。

高遠さんのブログ日記「イラク・ホープ・ダイアリー」には、その写真が16枚掲載されている。それを見ると本当に綺麗で、仰天する。東京にあってもおかしくないような立派な病院で、花咲く庭までついている。

高遠:
3月から医療活動も始まっていて、常勤の医師が、外科医と産婦人科の2名。産婦人科の方は女医さんです。そして、常勤のナースが3名という体制です。緊急の時には、ファルージャ郊外のサグラウィーヤという別の農村地域にも診療所があるので、そこと協力体制を取って対応することになってます。
診療時間以外にも、各家庭を訪問して、子どもたちにポリオワクチンを接種しているそうです。フセイン政権時代の「ポリオ撲滅キャンペーン」で、ポリオはかなり減っていたらしいんですけど、戦争中にまた増えてきたということで、そういう活動をしているそうです。

−前回の話では、改築費に「当初7000ドル+α」ということでしたけど、結局?

高遠:
だいたい見積もりどおりで、総額は9000ドルちょっとくらいです。そのうち7000ドルは「イラク支援ボランティア高遠菜穂子」名義へ寄付金としていただいたものから。あと2000ドルは、カメラマンの佐藤好美さんが、日本での写真展や講演会で募った寄付金を、今年1月にイラクに来たときに「医薬品の購入に使って下さい」と言って拠出してくれました。

−改築費は7000ドルで、残りの上乗せ分は何に使われたんですか?

高遠:
医薬品の購入ですね。本来でしたら、バグダッドにある保健省が医療配給システムにしたがって、イラク全土の病院に薬を配布するということになってるんですけど、ファルージャはずっと封鎖されているので食料品も足りない状態で、11月の総攻撃以来、薬も滞っていたんですよ。それで、最初に医療活動を始めるにあたって、政府機関も入ってこないので、薬を買いました。今は、政府から薬が配られるようになっているようですけど。

−そもそも今、ファルージャ市内の全体状況は、どうなってるんですか。落ち着いた?

高遠:
ん〜、ほとんど変わってないんですよ。戦火は「もう終わった」っていうことになってるんですけど、全体の9割の建物が全壊・半壊状態です。自分の家を見に行った人の話だと、前に見たときは半分残っていた家が、次の週に行ったときには全て失くなっていたそうで、そういう状態が続いています。避難民の生活は何も変わってないですね。政府の方から少〜しずつ補償が出てるんですけど、本当に少額なので、ほぼ全員が避難民状態で、ぱっと見た状況は何も変わっていないということです。

−避難民状態というのは、まだ皆、避難所にいるということですか?自宅へは戻れない?

高遠:
そうですね。出入りするのが大変なんですよ。イラクの友人達の話では、ファルージャ市内に入るのに、毎回、登録済みの網膜や指紋のチェックを受けなければならないそうなんですよ。

−自分の家に入るのに、まるで入国審査を受けてアメリカの領土に入るみたいな面倒さになってますね。

高遠:
カメラとかは絶対に持って入れないし、自分の家を少しでも片付けるために定期的に入りたいと思っても、"理由"が必要だと言われるんです。「片付け」は"理由"にはならないんですって。市内にどうしても行かなければならない仕事があるとか、そういう登録をしてないと駄目で、とにかく入るのが面倒なんですよ。

アメリカの言い分としては、「また武装勢力に入って来られては困る」ということなのだろうが、なんとも理不尽な話だ。

−この診療所再建は、もともと「学校再建プロジェクト」のつもりで用意していた資金の緊急使用でしたよね?診療所ができたということで、今度は学校プロジェクトも再開する予定ですか?

高遠:
そのつもりだったんですけど、今回、大きな問題が生じています。アンマンのNGOの間でも話題になったんですけど、イラク政府の保健省が「外国の寄付金を受けないように」と言い出したんです。例えば抗がん剤なんかは、ずっと外国の支援で調達してたんですけど、それを病院の医師達が受け取らなくなっているんですよ。それは「外国のお金で薬を買ってはいけない」という決まりが出来たからなんです。フセイン政権時代は必要量の2割程度だった抗がん剤が、政府の方で今は7割ぐらい用意できる。だから、政府が配るので外国のお金で買わないように、という決まりが出来たんです。
それと同じように、教育省も「外国からの寄付金で、学校再建をしてはいけない」という決まりを作ったんです。もう、それでメンバーはショック受けちゃって。私もショックだったんですけど、「学校が駄目なら、他の建物をやる。だから建てていいものをリストアップしてくれ」って、スタッフに頼みました。今、第1候補に挙がっているのはブロック工場ですね。これから、町全体を復興していくのに、建設用のブロックが必要になるので。補償が出てるんですけど僅かだし、今まで学校を建ててきたなかで気付いたんですけど、建築資材の値段が上がってきてたんですよ。つまり、工場が壊れてしまったせいで遠いところから調達しなければならず、余分なコストがかかってるんです。それで、「じゃあ、町の工場を直せば、コストダウンにつながるんじゃないか」とイラクの人達に話したら、「そうだ、そうだ」ということになって、今、見積もりを出してもらっているところです。

−柔軟ですよね。状況に応じて計画を変えていくところが。

高遠:
びっくりしましたけどね。まあ、イラク政府がやってくれるんならば、政府の手でやった方が、私達がやるより絶対早く学校も出来上がるから、いいとは思いますけどね。

そして、もう1本の活動の柱、バグダッドでの「子ども自立支援プロジェクト」。大きな空き家を改装して、家族のいない子ども達が共同生活をするための施設を、独自に作り始めたところまでは前回の報告でうかがった。こちらはどんな進捗を見せているのだろうか。

高遠:
こちらの方は、イラク人スタッフが、「ナホコファミリーセンター」(通称)の現場で働いている少年たちの姿をビデオに撮っていて、それをアンマンで見せてくれました。バグダッド市内に空き家が2棟あって、そのひとつの方が、身寄りのない子ども達が共同生活をする住居棟。で、もうひとつの方では、今決まっているのが、車の塗装工場をつくるというものです。その塗装工場を仕切るのも、訓練を受け終わったボーイズがやることになってます。あとは、余ったスペースを作業所にして、小さい製品を近々市場で売るということになってます。こうして、自分達で利益というか運営資金を捻出できるようになってきたんですよ。

−経済的自立ですね。高遠さんが目指したところへ向けて、だんだんと着実に動いてきたという感じですね。

高遠:
そうなんですよ。ちょうど、イラクの友人(プロジェクト・スタッフ)とこのプロジェクト自体の《自立》っていうのを話してた時期でもあったので、どういう方向性でいくか決めなきゃと思っていたところに、この報告があったんですよね。他にもボーイズ達は、現在のところ12人が共同生活をすることが決まってるんですけど、まだ余裕があるから、新しい子ども達が来ることを想定して、部屋作りもやってるらしいし、自分達の給料の一部を家の運営費に当てたいということまで言っているらしくて、もう本当にびっくりしましたね。

−自分達の方から申し出て!ほんの1年程前までは、路上で泡吹いてたあの子達ですよね。こういう計画一つ一つの決定に、高遠さんは、今現在どういう形で関わってるんですか?

高遠:
今のところ私は現地入り出来ないので、アンマンでのミーティング以外の時は、イラク人の友人(スタッフ)と電話で話すか、Eメールでのやりとりをするしかないんですよ。その友人が、全ての事柄について必ず12人のボーイズ全員とミーティングを開いて、ひとつひとつの問題を解決したり、提案を話し合ったりしてるんですね。つまり、全員参加型で、大人の独断で決めてない。だから、ボーイズも自分達の方から、「こうしたい、ああしたい」「このプロジェクトをサポートしたい」っていう意識が芽生えてきたんだと思います。

−自立心ですね。こうなると、去年4月の拘束事件を契機に、高遠さんがその場で「ああしよう、こうしよう」って言えなくなったことが、逆にプラスに作用しているのかもしれませんね。

高遠:
イラク人のやり方、イラク人の底力とか、イスラムの根底にある《助け合いの精神》っていうのが、ちゃんと子ども達のなかにも失われずにあるんだと思って、今回安心しました。

−しかし、これだけ上手く行ってると、地元でも結構注目され始めてるのでは?

高遠:
そうなんですよ。イラク人の友人の報告によると、教育省からも「このプログラムについて詳しく聞きたい」とか、「一緒にやりたい」とか、2回くらいは問い合わせが来てるらしいんです。ただ、もうちょっと基盤をしっかりさせるまでは、しばらくはこの体勢で行きましょうと話し合いました。

−前回の報告のラストに、「ボーイズが皆、結婚資金の積み立ても始めた」という話がありましたが、何やら早くもカップル第1号が誕生したとか。

高遠:
見せてもらった「ナホコセンター」を作っている映像のなかに、フセインていう子がいて、「来週、結婚式を挙げる」って言うんですよ。だから、もう既に結婚しちゃってると思うんですけど、次に私がアンマンに行くときには、結婚式のビデオを見せてくれることになってます。ちょっと「随分早いな〜」って感じですけど(笑)、これはまさに私の夢だったんで、本当に嬉しいですね。

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以上が、先月(5月)一時帰国した際にうかがった、高遠さんのイラク月例報告だ。
その後訪問したアメリカでは、イラクにゆかりのある日本の仲間達と、イラクの現状を知ってもらうための写真展を開催し、また、イラク戦争からの帰還兵の人達といろいろな話をしたと言う。次回は、その時のアメリカ人の反応を報告していただく予定だ。

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