高遠菜穂子のイラク月例報告(6) ピースボート乗船と、初任給で買った靴下

放送日:2005/3/26

高遠菜穂子さんのイラク月例報告・第6回。今回は、高遠さんが最近乗船したピースボートのお話、そしてイラク現地で進行中の学校再建プロジェクト、ストリートボーイズ自立支援プロジェクトの現況についてお話を伺う。


ピースボートには、“水先案内人”と呼ばれる、船内で講演会等を行うゲスト乗船者がいる。高遠さんは今回、その水先案内人として乗船した。私も昨年の4月、神戸からベトナムまで乗船したが、その途中、イラクでの日本人人質事件発生のニュースが飛び込み、船内テレビのニュース番組で「拘束されているのは、北海道の高遠菜穂子さん・・・」などと読み上げていた。あれから一年。

−ピースボートの中ではどのような活動を?

高遠:
シンガポールからケニアのモンバサまで2週間ほど船内で過ごしました。毎日毎日盛りだくさんで、イラクの現状報告(ことの始まりからファルージャまで)もたっぷり時間をかけてやらせて頂きました。その後、小さなグループに分かれて、「しゃべり場」的に質問を受けたり、ボランティアの子たちが集まって、私が撮った写真でイラク写真展を開いてくれたり。

−高遠さんは、普段、陸の上でも講演会をやっています。それは一回一回違う場所でやるのに対して、ピースボートは2週間ずっと同じ場所で行いますね。それなりに深みが違ったりしますか?

高遠:
ある意味「逃げ場がない」、でも、ある意味では「じっくり付き合える」。そういうところは陸上とは違いました。

逃げ場がないという表現は、高遠さんのブログ日記を拝見すると、「最初はかなり不安と緊張でガチガチでびびっていた」と書いてある。

高遠:
陸上では行く所行く所、90分なり、2時間で終わります。船だとそうはいかないなと。とにかく私を応援してくれる方にも、私を非難する方にも、私に対するどうしようもなく強烈な“イメージ”というのがあるんですね。

ブログ日記には、「私が乗船したことで、気分を害した方がいたことは申し訳ない」とも書かれている。

高遠:
スタッフの方たちが感想とか意見についてアンケートを取っていました。その中に、「水先案内人で高遠さんが乗ってきたのはがっかりだ」とか「あの人には近寄らない方がいい」とか、そういう話もあったんです。けれども、とにかく、全体的に皆さんがイラクの話をまず《聞いてくれた》というのが私にとっては一番大きかったです。

−地上の講演会だと、それを目指してくる人だけなのに対し、船の上だとそんなつもりはなく居合わせる人がいっぱいいるわけですね。

高遠:
すごく自然だし、当たり前だし、いろんな意見があの船の中にもあってというのは、正常といえば正常ですね。

−そういうバシバシとした意見のぶつかり合いで、得るものは結構ありました?

高遠:
特に若い方たち、女の子がすごく関心高かったんですね。イラクのこと、私がやっていることに対し、「すごく涙が止まらなくなった」という人もいたし、無力感に苛まれる子もいたし、聴いた後自分の船室から2日間出られず「ずっと考えていました」「眠れなくなった」とか、いろんな反応がありました。そうした反応は、私がイラクに行く前の感じにそっくりだなと思いました。私もそういう時期がかなり長い間ありましたから。「いくつの戦争を指くわえて見過ごしてしまったんだろう」「私には何にもできない」「どうしようもない」という思いで、泣いてばっかりいるという時期がイラクに行く前にありました。

−じゃあ、ピースボートの船内にいっぱい種を蒔いて、ポーンと降りて帰ってきたって感じですね。

高遠:
ただ、彼女たちに言ったのは、「私はすでにこういう生き方を選んでいて、だから実際イラクに行くようになったけども、皆さんそうじゃないし、答えは一人一人違うから」と。「どうすればいいの」とかよく答えを求められて、「自分の内側にすでに答えはあって、あとは自分で発見するだけだから、外側には答えはないと思います」ということを伝えました。

−ところで、イラク現地の学校再建プロジェクトの方はどうなっていますか?

高遠:
去年11月のファルージャ総攻撃で、当時再建工事費用の見積もりを立てていた中学校もさらに破壊されちゃって、それは役立たずになった状態です。避難していた住民たちが市内に戻れているという報道もあるのですが、元の生活を始めるということは全然できていない状態でした。まず病院がことごとく機能していなかったり、空爆されたりしたので、彼らの希望としては「クリニックが欲しい」というのがあったんです。そこで、その避難民地域にある既存の建物を改築して、機能停止中のファルージャ総合病院のドクターに入ってもらって、そして医薬品を入れて診療所を始めようということを、前回のミーティングで決めていたのですが、もう完成したみたいです。もともと建物があったので早くできました。

−実際にそこで診療活動が始まっている?

高遠:
そうです。改装して、機材と薬を揃える費用は、当初は大体7,000ドル(70万円ちょっとくらい)ですか。その他にも医薬品をあとから足していかなければいけないですから、もう少しかかりますけど。もともとあった建物を使ったおかげで、そのくらいの金額でできました。

−学校再建プロジェクトのために蓄えたお金をそっちに回して?

高遠:
そうですね。緊急支援的に、まず病院の方が必要じゃないかと。

−もうひとつの柱、ストリートボーイズの自立支援プロジェクトは、どうなっていますか?

高遠:
最近、心底嬉しいと思ったニュースが入ってきまして。ボーイズたちは、今まで現地のNGOの施設に住まわせてもらっていたんですけど、そこから独立したというか、家族のいない子たちが共同生活をする施設を独自に作ることになりました。私の活動仲間であるスレイマンさんが大きな空き家を探してきて、その半分で彼らの住まい、残りの半分で作業訓練所、就職訓練所みたいなところを作ったんです。
家具付じゃない空家に入って自分たちの手で家具を作っていくことで、男の子たちに《心の整理》と《再建》を実践して欲しかったんですね。壁などの壊れた部分を修復する。そういうことで自分たちの心の中をきれいにしていって欲しいし、心を置く場所ができるじゃないですか。それがすごく連動していると思っていて。空っぽな所で彼らがまず生活してみて、「一番本当に必要な家具は何だろう」とか、「一番我々が必要としているものは何だろうか」とか、そういうことを考えてもらいたかったんです。

−そういう場合、誰かリーダー役がいないといけないですよね?

高遠:
それも「“民主的な選挙”が行われました」という報告があって、「あれっ、もうイラクの選挙などとっくに終わったのに」と思ったら、その20人足らずのボーイズたちが“民主的に”選挙を行って、アッバースという子を選出したというのです。寮長みたいな感じですね。

−寮の名前は何と言うのですか?

高遠:
正式ではない通称ですけど、私を介してイラクの大人と子供と日本人がつながっているということで、「ナオコ・ファミリーセンター」と。

−以前、施設などにナオコというような日本人の名前を付けるのは、反感を招くからまだ危ないという話がありましたよね?

高遠:
私もまだそう思っているので、正式名称では入れないほうがいいんじゃないかということを言っています。ボーイズと私たちの間でそういう風に呼ぶくらいならいいんじゃないかと。

−寮長になったアッバース君から、面白いプレゼントが届いたそうで。

高遠:
先日ヨルダンに行っている時に、彼から荷物が届いて、すごい枚数の写真とともに黒いタイツが入っていたんですよ。開戦前、私がバクダッドにいる頃に、靴下を彼らに買ってあげたことが何回かあったんです。ところが、新しい靴下を配っている私自身の靴下の両かかとに大きな穴が空いていて、それで男の子たちが、「お金ないのか?」と、私をすごいバカにして。日本でくるぶしまでの短い靴下(スニーカー用の)ありますよね。それも「お金がなくて、子供用靴下しか買えないんだ」って、大人たちと一緒になってすごいバカにするんです。その時、アッバースや他の男の子たちが「いつか就職したら、最初にお前の靴下買ってやるから」って私に言っていたんです。それで、アッバースが就職訓練を受けていた所で正式に家具職人として去年12月に採用されてもらった初給料で、黒いタイツを買って送ってくれたというわけです。笑いました。

−もらい始めた給料は、皆、ちゃんと自己管理できているんですか?

高遠:
最近では、みんな、結婚資金の積み立ても始めています。家族を失った者たちが共同生活をしているので、それなりの年頃になってきて、就職したってことでちょっと自信も出てきたから、新しい家族を作りたいという気持ちも芽生えてきて。私もそれをプロジェクトの大きな目標にしているんですね。そして、その新しい家族に会いに行きたいというのが私の夢なんです。日本と同じように、結婚するためにある程度資金が必要ということで、スレイマンがボーイズのために給料から積み立て貯金を始めさせたんです。いつ彼女ができてもいいように。

−徹底した自立支援ですよね。

高遠:
私も5年、10年とか先までずっと面倒を見続けることはしたくないし、できないし。そのこともイラクの友人たちや子供たちには話していて、「1、2年先に、どうやってこの施設を自分たちで自立してマネジメントしていけるか」ということも話し合っています。

−来月であのイラクで拘束された事件から1年ですけど、来月のご予定は?

高遠:
またヨルダンに行って、イラクの現地スタッフにもそこまで出てきてもらい、この2つのプロジェクトのミーティングを進めます。

次回の月例報告は、アンマンからの国際電話になりそうだ。

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