入獄から3年、世は選挙…山本譲司氏語る(後編)

放送日:2004/7/3

「獄窓記」前回に引き続き、元・衆議院議員山本譲司さんにお話を伺う。


―出所して1年10ヶ月、服役中の体験をもとに、今は八王子市の知的障害者福施設で勤務なさっているのですね。

山本:
はい、支援スタッフとして週に2〜3日勤務しています。そのほか、福祉関係の方々とお会いしたり。議員時代、人に聞かれれば、「私もライフワークとして福祉に取り組んでいます!」なんて言っていましたけど、刑務所の中で体験させてもらったことから言うと、政治の場で得た知識というのは、上っ面しか見えていなかった。そんな反省もあって、今いろんな活動をしているんですけどね。

―今回の選挙で一番使われている言葉は「年金」ですが、今回に限らず、《福祉》というのはいつも言われていますよね。その当時、“候補者として訴えていた”《福祉》と、“刑務所内での体験を経て考える”《福祉》とは、何が違いますか?

山本:
結論から言うと、福祉というのは、法律だとか、規則に基づくものではなく、“ニーズによるもの”であるということ。そのニーズをなかなか行政の場では把握し切れていません。まだまだ法的に、制度的に整備されていないところがいっぱいあると思うんです。刑務所の中で、「あ〜、やっぱり眼の届いていないところがずいぶんあるなぁ」って思う発見があったので、自分としては、できれば、行政がフォロー出来ていないところに注目して、行政からの支援を含め、福祉の体制を作っていきたいと考えています。でも、自分のやりたい事は、法律だとか、条令にあまり束縛されないで取り組んで行きたいです。

―そういう思いに至ったのは、具体的に、どのような体験からなのですか?

山本:
知的障害を持った受刑者の人たちに対して、時間を潰すだけの単純作業のお手伝いをしたり、食事や入浴の介助や下のお世話をするのが、私の獄中での仕事だったわけです。はじめは、やっぱりたじろぎました。彼らはなかなか難しいんですよね。難しいというのは、自分が何処にいるのか認識できていなかったり、まったくお話をすることが出来ない受刑者もかなりいらっしゃいましたし。例えば、ある受刑者はいつも突飛な行動をとるんですね。ですから、受刑者仲間に、「お前なあ、うろうろしていたら怒られちゃうよ。怒られるだけじゃなく、下手すると刑務所に入れられるぞ!」って言われると、「俺やだ、刑務所なんて絶対行きたくない!ここのほうがいい」なんて、刑務所の中で叫ぶんですね。

あとは、その人に対する気持ちの持ちようだと思うんです。受刑者の方の中には、凄まじい生活を送ってこられた方がいますが、彼らといろんな会話をする中で、「なぜ彼らはこんなに不幸なのか」と思うわけですよ。それは、憐憫だとか、同情だとか言う気持ちではありません。私は割と恵まれて育ってきて、秘書給与の詐欺事件という狡猾な事件をおこして刑務所に入ったのですけど、彼らは、貧しい暮らしの延長線上で、例えば、窃盗で実刑判決となって来ている。そういう人たちに比べると、自分はよっぽど悪党なんだと思った瞬間ですね、僕は彼らに対して、《贖罪意識》が出てきて、そこから、進んでお世話をするようになったと思います。排泄物を爪で剥がしたりしても、まったく抵抗感なくなりましたし、最終的には、それが充実感につながって来ました。

―きれい事から入る《福祉》と、いわば、汚物にまみれる所から出発している《福祉》と、アプローチの仕方の違いがすごくありますね。しかも山本さんの場合、両方経験したわけですよね。

山本:
刑務所の中で実感したのですが、知的障害のある方が多いんですね。今の福祉の流れからすると、これは非常に悲劇的なことです。法務省が出している『矯正統計年報』によると、(私も知能指数テストを受けさせられましたが)毎年3万1千人の新規の受刑者のうち、4分の1が、IQ=69以下なんですよ。(ちなみに東京都の場合、知的障害と認定して、『愛の手帳』という療育手帳を発行する基準は、知能指数がIQ=75以下の方です。)だから刑務所には、人数にして、毎年7千〜8千人の知的障害者が入って来ているのが実情なわけです。ところがこの内、刑務所側が「知的障害者」として認めている人、つまり療育手帳を実際に持っている人は、200人ちょっとしかいなかったんです。行政が目を向けていない人たち、気づいていない人たち、福祉の世界も気づいていない、もしかしたら目をつぶっちゃっているかもしれない、福祉からの支援やケアを受けずに来られた人が、ほとんどだってことですね。

誤解をされないために言いますが、知的障害者は、特質として罪を犯しやすいかっていうと、絶対そうではありません。貧困だとか劣悪な家庭環境によって、たまたま不幸にして罪を犯してしまったという人が多いんです。これは、健常者も一緒なんですけど。(もちろん、被害者になった方はもっと悲劇なんですけどね。)

罪を犯した人たちが、その前にどこかで福祉に関わっていたら、刑務所の中に入ってきていなかったんですよ。地域の中で、福祉の力は、まだ不足しているなぁと痛感しました。

―先日、刑務所長の皆さんが一年に一度集まる会で、講演をされていましたよね。

山本:
僭越ながら、一時間ほどお話させて頂きました。これは、私がこれから取り組んでいきたい、知的障害がある受刑者の問題を、刑務所改革の中で盛り込んでほしいという思いから出たんですけどね。刑務官の方も、本当に一生懸命やろうとしている。ただ、制度が古いですから、それに対する焦りや無力感を持っている。

例えば黒羽刑務所で、年休1日も取れないという刑務官は、全体の30%にも上っているので、受刑者の人権だけでなく、刑務官の人権もきちんと守っていきましょうということ。また、人権イコール自由という発想になりかけていますが、私は、《自由な処遇》よりも、再犯を防ぐために、例えば、教育プログラムのような、もっときめ細かな《充実した処遇》を採り入れましょうとか。それと同時に、出所する際の問題をキチンとしましょうとか、いうようなことを訴えたのですけど。

―出所する際の問題とは?

山本:
私がこれから取り組んでいこうとしていることを具体的に言いますと、障害がある受刑者というのは、私の体験上言いますと、殆どが、身内からも見放されているんです。早期の引き取り手が無い事も一因で、満期一杯まで服役してから出所した人というのは、法務省の保護局という所からもフォローが無い。福祉からも、まったく手を差し伸べられないような状況でポンと放り出されるんですね。で、(彼らの大部分とまでは言えませんが)再犯して、何回も何回も刑務所に来る中で、犯罪もだんだんエスカレートしていく。

そのような人たちが社会に出た時の、まず“社会への入口”としての更正施設、そういったものをつくりたいですね。私は、「リハビリ施設」とか、「シェルター」と言っていますが、そこから、福祉につないでいく。今はまったくそのような施設が無いんです。

―「政界再出馬はない」と明言されていますが、政治の世界に戻るという方法以外にも、こうして実体験をあちこちで説いて歩いて、またそこで事例を集めるというのは、これ自体、一種の政治活動、世直し活動ですね。しかし、これから、福祉の問題、改革の問題を訴えて活動していこうというときに、「前科者」というレッテルは障壁にはなりませんか?

山本:
それは、気持ちとしてありました。刑務所から出て、自分のことを客観的に見ていると、自分自身のことを卑下して暮らしていることに気が付きます。これは、“出所者コンプレックス”といって、ある一部の、前科が箔になるような人たちを除いては、皆が抱えて生きているらしいんです。私も当然そうでした。

それから、制度としての障壁もあります。国家資格を、刑期満了後2〜5年間は有することが出来ないんです。どの法律にも書いてあります。社会福祉法人の役員や、NPOも主体的には参加できない、社会福祉士の資格も2年間は取れないですし。そういうことも含めての懲役刑だったのかなと。

―では、出所して1年10ヶ月だと、今はそういった資格を取りたくとも取れないということですか?

山本:
そうですね。

―ちなみに、今回の参議院選挙は投票に行きますか?

山本:
行きますよ。ただ、政治には非常に興味を持ってますけど、政治家になるつもりは本当に全くありません。「やることが見つかった」というのと、塀の中の経験っていうのは、《人生の学校》だったみたいな感じがして、自分が失敗したことによって、「人の失敗がどうでも良くなった」んですよ。なんか、大らかにいろんなものが見られるようになって。

かつての自分を見てみれば分かりますが、政治家って、議会の中で、他党の人や役人―――“人の親”だったりするその一人の人間を、罵倒し批判するわけでしょ。かたや、選挙区に帰ったら、自分自身を自画自賛する。普通の人間の神経じゃできないですよ。振り返ってみると、両方とも後味悪いですね。

ですから、今更、重箱の隅をつつくような議論には参加したくないというのもあります。議員でいる時、それなりにやりがいを持ってやってましたけど、今やっている事の方がよっぽど充実感を味わっていますし、やりがいを感じていますね。
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