松本サリン10年…「報道は変わったのか」

放送日:2004/6/12

今月(6月)27日で、松本サリン事件の発生から丸10年になる。この機会に、岩波書店が主催して、事件の第一通報者の河野義行さんと報道関係者との対談が企画され、私も出席してきた。タイトルは、『松本サリン事件から10年 報道は変わったのか』―――。


■《当時》の検証―――事件本体の報道の詰めの甘さ

この事件の報道では、「河野さんを犯人扱いした」点ばかりが問題視されがちだが、実はもう一つ、重要な問題点がある。河野さんに目を奪われたばかりに、事件本体の取材がかなり杜撰だったという点だ。現在『報道ステーション』ディレクターの磯貝陽悟さんは、こう指摘する。

(以下、録音再掲)--------------------------------------------------------

磯貝:
(オウムの標的だったとされる)裁判所の寮と、サリンの発生現場になった池との間には、3階建ての明治生命寮っていうのがあるんです。裁判所の寮を狙っていたのなら、なぜ障害物のある池から撒いたのか、という事になります。本当に裁判所を狙ったのなら、裏庭の所に木戸があって、こちらからも入れるわけだから、普通の犯人はそうしますよ。にも関わらず、池でやったのはなんでだと。
河野:
動機もよくわからないですよね。当時、裁判が継続中で判決も出ていなかったのに、裁判官を殺そうっていう動機が、私は納得できないんです。裁判に負けて“あの裁判官め”っていうのなら分かるんだけど。あの裁判、場合によってはオウムが有利だって話も出てたわけですよね。それでも、「殺害の動機」になっちゃってるでしょう。
磯貝:
という事は、オウムの動機というのは、もしかしたら“こんなにサリンを作っちゃったけど、どうしよう”って「捨てて行った」という事もあり得るわけですよ。そういうような可能性を全て無いことにして、河野さんに被せた。それが松本サリン事件なんです。こういう部分を、捜査本部自身も分かっていながら、被害者からの話があっても全部無視して、“犯人は河野さん”という話にしていった。

オウムが裁判所の寮を狙った、というのは当然の前提のようになっているが、それすらも、もう少し根本から洗いなおした方が良いのでは、という問題提起だ。

そんな当時の状況の中で、「このままでは無実で逮捕される」と、河野さんは切迫していた。その時、河野さんが最も心配したのは、“自分が捕まったら、サリンの被害で意識不明になった妻はどうなるんだ”という事だった。

河野:
妻が意識不明の中で、病院側としてはそんな患者は早く退院させたいだろうし、どこか受け容れてくれる所も、まあないだろうなと。逮捕された人間が治療費払えるのかどうか、そういう話にもなっていくでしょうから。逮捕されたら妻は守りきれない、というのが一番にあった訳です。
じゃあ逮捕させないためにはどうしようかって考えた時に、いくら大声で「俺はやってない」って言ったところで、「あのバカ何言ってんだ」という見方しかされないわけですよね。自分が「やってない」っていう事なんか、自分が一番よくわかってる。それを世間の人にどう伝えるかが、一つの課題でした。まず必要だったのは、少なくとも、科学的な要素、客観的な要素を入れて説明する。なおかつ、世論をなんとか中立に戻さなくちゃいけない。そうすると、使うのはマスコミしかないっていうのが、一つの結論だったわけですね。マスコミって言っても山ほどある中で、この2人(磯貝・下村)には、“私寄り”という事ではなくて、とにかく「客観的構成で一度きちんとやろうじゃないか」というスタンスが見えたんです。

当時、磯貝さんがディレクターを担当していたテレビ朝日の『ザ・ニュースキャスター』という昼の番組と、私がサブ・キャスターを務めていた『スペースJ』という2つの番組だけは、河野さんを犯人視する報道とは一線を画していた。
ワッと押し寄せてくる報道陣の中から、“こいつは信用できそうだな”“ウマが合いそうだな”という人間を見極めてから、反論の場として活用しようという発想は、別の色々な局面でも参考になりそうだ。いつ河野さんのような状況に置かれるかわからないのだから、誰にとっても覚えておいて損はないだろう。


■《変化》の検証―――テレビとネットの分化

事件発生から3年後、地元の松本美須々ヶ丘高校の放送部が、メディアの報道を検証するリポートを作って話題になったのだが、その時の放送部の顧問だった林直哉先生と私との間で、こんなやりとりがあった。

林:
松本サリン事件の時にテレビが果たした世論形成と、10年が経った今とでは、随分変わったように思います。あの頃あった報道系のワイドショーなど、《その他の視点》を提示する部分が、全部ネットに落ちていった。誹謗中傷もすごくあって、どんどん増殖して、形成されているような気がしています。
下村:
ネットに落ちてきたのは、誹謗中傷だけでなく、もう反対の端の方も、ですよね。4月に起きたイラク邦人拘束事件では、拘束されていた彼らへの逆風も随分ありましたが、彼らのやっていた活動を犯人グループに伝えよう、という動きもネット上でありました。いろんな市民グループが《市民メディア》に豹変して、いろんな試みをしましたよね。だから、両端の視点がネットに落ちて、真ん中の、“可もなく不可もなく”っていうところを大手が担っているという形になっているかな。
林:
《その他の視点》というのが、今までのようにテレビに上がってこない。ネットはネット、テレビはテレビの世界なんですよね。
下村:
僕はもう、それでいいじゃん、と思っていて。「大手が《その他の視点》を吸収できないから問題だ」とは考えないで、「大手はもう吸収しないでいいよ、できないんだから」と。代わりにネット・メディアの方を強くしていこうぜ、っていう方向なんですよね。

■《現在》の検証―――コミュニケーション能力の欠如

以上、10年間の変化を俯瞰した上で、対談は最後に「報道の現状」にも目を向けた。例えば、4月のイラク邦人拘束事件で駆け巡った“自己責任論”の報道の仕方について、河野さんと、映画監督の森達也さんが、こんな風に指摘した。

河野:
(拘束されていた)3人の“自己責任”というのは、私はその通りだと思うんですよね。リスクを背負って、場合によっては自分が死ぬかもしれないっていう事は承知で、自らの判断で行っているわけだから、これは自己責任で私はいいと思います。
でも逆に、救う方は、“職務”だと思うんですよね。自分達の職務として、国民が危険な場合には、あらゆる方法を使って助けなきゃいけない。それが義務なんですよ。それがゴッチャになってしまっている感じなんです。 “自己責任”と“職責・職務”とを分けて報道すれば、あんなに変な風にはならなかったんじゃないかと思います。
森:
今、(拘束されていた)彼らに弁済させようっていう話になってるじゃないですか。これを進めていったら、火事に遭った人に「消防車が来たから弁済しなさい」っていうのと一緒ですよね。そうしたら、消防署の意味は何なのか。《共同体を守る》っていう事の意味が、どんどん違う方向に行っているのに、みんな気付いていない。“ちょっとあいつら、ひどい目に遭わせてやろう”っていう意識ばかりで。メディアも、それに対して全く防備できていない。そういう現状が進んでいるな、という感じですね。

そういう攻撃的な反応が強まる一方で、普段の報道に対しては、意見表明の数が近年減ってきていると、『報道ステーション』ディレクターの実感として、磯貝さんが指摘した。それに対して……

河野:
反応がないっていうのは、関心がないとかいう事じゃなくて、世の中「食うのに精一杯」だからじゃないですか。悪くなりすぎてるんです、経済が。一般の会社員とかは、“それどころじゃない”というところだと思います。長野県の場合を見ても、経済が物凄く停滞してますからね。やっぱり、ある程度の余力がなければ、“なんだこの記事は”というところまで行かないと思います。
下村:
河野さんが指摘された通りの理由だったらいいなあ、と思いますね。それなら、景気が回復してみんなに余裕が出てきたら、もう1回意見表明がはじまるという事だから。そうであると願いたいですけど。でも、そうじゃない、もっと怖いところで、《コミュニケーション障害》みたいな事が起きているんだったらやばいな、と。
林:
子供たちを見ても、やっぱり思考停止なんですよ。社会と手を結ぶ、その“手”がなくなっている。いわゆるコミュニケーション能力がストンと落ちていて。言われた事にパッと応える、反射的な反応はできるんだけど、一歩置いて、「それについてはこうじゃないですか」という反応は、生徒を教えている中で、明らかに少なくなっていますね、体験としては。そういう子達が、どんどん社会に出て行くわけじゃないですか。だから僕は、マスメディアだけじゃなく色々な面で、全体的なコミュニケーション能力が落ちているという事に、危機感を持っているんです。

このように論点満載で、3時間にも及んだこの対談、秋ごろに、岩波書店からブックレットとして出版される。それに先駆けて要約版が、今週発売の『世界』7月号に掲載されている。

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