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"怒り"のオーバーラン、していませんか?

2005年5月2日

  JR福知山線の脱線事故から今日で1週間になる。JR西日本の責任は徹底的に追及されるべきではあるが、この間の報道の「なんでもかんでもJR西日本が悪いんだ」という毎度おなじみの叩き方には、強い疑問を感じざるを得ない。

  例えば、「置き石」と「時速133km」という言葉の独り歩き。先週の後半くらいから、このふたつの言葉は、"JR西日本の主張の迷走ぶり"を表すシンボルかのように喧伝され続けているが、はたしてそうだろうか。
  会見で初めて「置き石」という言葉が出てきた時、JR西日本側は「粉砕痕」ができた原因として複数考えられる選択肢のひとつとして、その《可能性》に言及したに過ぎない。仮にあのときの会見で、「粉砕痕は何故できたのか」という当然の疑問に対し、JR側が「可能性はいくつかあるが、確定するまでは申し上げられない」と口をつぐんでいたら、報道陣はそれで納得していただろうか。少しでも多くの情報を出せ、という取材側のニーズに応えただけなのに…という思い(決して口にはできないが)が、JR側のメディア対応担当者達の胸中にはくすぶっているかもしれない。
  「時速133km」にしても同様だ。JR側は初めから「理論的には」という限定条件付きでこの数字を紹介しており、「これ以下のスピードでは絶対に脱線しない」などとは一言も言っていない。なのに、数字は独り歩きを始めてしまった。

  「おそらく置き石だろう」などとは一言も言っていないのに、「だって、置き石って言ったじゃないか」という雰囲気の論調。これに懲りたのか、JR側は以後の会見では、「やっぱり情報はうかつに開示せず、確定するまでは沈黙に限る」という殻の中に閉じこもってしまい、「脱線時の速度は108km」という情報が出てきた後も、会見の場では「我々はまだ確認していない」と頑なに繰り返す結果となった。《過剰なバッシング報道→取材対象者が過度に防衛的になる→かえって事実究明が遠ざかる》というパターンが、今回も発生してしまっていた可能性は否定できない。(なんだか1年前にも、まるで同じようなことを書いた覚えが…。)
  ことわっておくが、僕はJR西日本をかばうつもりは毛頭ない。再発防止を心から願い、真剣にJR西日本の責任を解明したいなら、この状況は決してプラスにならない、と言っているのだ。責めるべき点と、責めるべきでない点とを、しっかり見分けていこうではないか。

  もうひとつ、報道の論調で気になるのは、「利益優先・安全軽視」という、大事故の度に使われる決まり文句の繰り返し。その言葉自体が間違いだとは言わないが、それがあたかも"大罪人・JR西日本"特有の悪魔の発想であるかのような捉え方は、明らかに間違いだ。少しでもダイヤが乱れると駅員に喰ってかかっていたのは、誰なのか。ラッシュの混雑を嫌って、通勤時間帯の列車増発(=過密ダイヤ)を歓迎していたのは、誰なのか。さらに遡るならば、国鉄時代に大赤字(利益優先でなかった結果)を批判して、私企業(利益追求体)JRの誕生を歓迎したのは、誰だったのか。そういうことを全部棚に上げて、ただJR西日本の現状だけを悪者にしている人(活字もテレビも、読者も視聴者も含む)は、本気で悲劇の再発防止を考える気があるのだろうか?

  先週末の『ずばッとリポート』は、溢れかえる"悪者探し"や"原因推理ショー"とは明確に一線を画し、まったく異なる観点から事故を報じた。1分刻みの視聴率グラフは急上昇し、番組全体の平均視聴率も、過去最高を記録した。"視聴率至上主義"と揶揄されようと、僕等スタッフは、自分と同じ思いでいる人の多さを手応えとして感じることができた。
  「懲罰的報道」もいいけれど、安心・安全を日本社会に取り戻すような「修復的報道」も、あってよいのではなかろうか。

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