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松下村塾

「パブリック・アクセス」って何だ?

1999年7月11日

一時帰国のついでに、立命館大学で開かれた『市民のメディア参加~パブリックアクセスを考える』というシンポジウムを聞いてきた。この「パブリックアクセス」とは、日本にはほとんど全く無いがアメリカではかなり普及している考え方で、簡単に言えば「市民が自作の番組をTV局に持ち込んだら、局はそれを必ず放送しなければいけない」という制度だ。CATV局は、公共の道路にケーブルを張り、域内独占を認めてもらっているのだから、住民はその見返りとして、市民のための自由放送時間設置を要求できる、という発想だ。電波で飛ばす局には適用されない法律だが、"なんだ、ケーブルか"と侮ることなかれ。アメリカでは、ケーブルTVの到達率は98%で利用率67%!全国の700局でこの制度が実施されている。つまり、日本では、何か知らせたい人はマスコミに「取材して」と頼むしかないが、この制度下では、自分で番組を作って地元局に持ち込めば、確実に放送されるというわけだ。

どんなものが放送されるのか?というと、猥褻と商売絡みのもの以外は検閲なしで何でも放送されてしまう。基本的に局側に編集権はなく、「下品な作品は断れる」という法に対して、「表現の自由の侵害」と違憲判決が下されるほど徹底している。とは言っても、問題が起きたら、局ではなくて制作者自身が責任を問われるのだから、持ち込む側もうかつな物は出せない。具体的には、ドキュメンタリー、少数派の情報、ビデオアート、ほとんどホームビデオのようなもの、等々だ。局に持ち込まれる本数は地域によって大きく異なるが、最も盛んなMNN(マンハッタン・ネイバーフッド・ネットワーク)では、3000人・団体が年間1万本を持ち込み、1日20時間×4チャンネルで何ヶ月も順番待ちという人気ぶり!(ただしここは文化としてビデオ作品を発表する人が多いので例外的に多いのだが)。

素人が作るのだから苦労も多いが、サポートの体制はかなりしっかりしていて、機材やスタジオ貸し出しのシステムもある。作品の品質を上げるためにNPOによるトレーニング・サービスも行われており、本当に至れり尽せりだ。こういったサポートは、局から自治体へ支払われるフランチャイズ料(5%)を財源としているのだが、最近規制緩和でフランチャイズ料廃止の動きがあり、現場は危機感を持っている。

こういったサポートを生かして作品は作られるわけだが、作品の質は?というと、時々非常に優れたものもあるが、やはりつまらないものも多い。また、どれくらい見られているのか?というと、アメリカでも下村を含めて実際に見ている人はごく僅かで、《尊重されど愛用されず》という状態だ。しかし、「発言すべき人が出来ない」状態の解消の方が優先!というのがこの制度の趣旨で、異なる意見が表明されるチャンスの大切さは皆がわかっている。

この制度は、社会の中で発言しないで聞くだけでいいのか?"会議の傍聴人"的存在であなたはいいのか?という問いを含んでいる。つまり、「知る権利」に次ぐ、「知らせる権利」という新たな発想だ。

日本も今、多チャンネル化の波の中だが、こういったチャンネルを作ろうという話は、あまり聞かない。でも、それはおカミが悪いのではなく、まず市民が求めないから、とも言える。新しい権利がもらえるのを座って待っていても、(もらえたとしても)その権利は活かせない。日本でも、こういった運動を始めている団体はある。皆さんも、参加してみては?

※文中の情報は、全て執筆時点(冒頭記載)のものです。