河野義行著 『命あるかぎり~松本サリン事件を超えて』 第三文明社/定価1300円 |
先週火曜日(8月5日)に、松本サリン事件の第1通報者である河野義行さんの妻・澄子さんが亡くなった。先週は、その経緯についてNPO『リカバリー・サポート・センター』事務局長の磯貝陽吾さんと一緒にお伝えしたが、今朝は、河野義行さんご自身にお話を伺う。
実は河野さんは、澄子さんが亡くなられる直前に、自伝風のエッセイ『命あるかぎり~松本サリン事件を超えて』(第三文明社/定価1300円)という本を出版していた。刊行日の6月27日は、あの松本サリン事件発生からちょうど14年が経った日だ。
■元信者に「家でビールを」
この本のプロローグには、藤永孝三君という人の話が出てくる。
――この藤永君というのは、元オウム真理教の信者の人なんですよね?
河野: はい、そうです。彼は、サリンの噴霧車を造ったということで逮捕・起訴されまして、10年の実刑を受けまして、2006年3月に出所してきた方なんです。
『命あるかぎり』より(p.4)
泊りがけの講演から戻ってくると、たまに庭がすっきりとしていることがある。(中略)
“また藤永君が来てくれていたんだな―――”
藤永君が河野さんの家に、事件のことを謝りにきたことで2人は出会った。河野さんはその後、庭いじりが得意だと言う彼に家の鍵の場所を教えた。
『命あるかぎり』より(p.11、15)
「(中略)好きなときに来て、自由に庭の手入れをしてくれれば大助かりだわ。僕がいなくても冷蔵庫にビールぐらいは入れておくから、勝手に飲んで、泊まっていってもいいよ」(中略)澄子のベッドサイドにユリを活け、手足のマッサージをする。彼は、心の中で澄子にどんなことを話しかけているのだろう。
――まずこのエピソードから始められたのは、読者に何を伝えたかったんですか?
河野: たとえば刑務所から出てきたときに、本来であればもう、その人は罪を償ったんだからリセットでいいはずなんですけれども、なかなか…。1つのラベルを貼られてしまうと、世の中は差別する。まぁ、そんな世の中があるわけです。ですから、「刑務所から出たら、普通の人でいいじゃない?」というのをまず訴えたかった、というのがあるんです。
『命あるかぎり』というタイトルを見て、柔らかく情緒的な話を期待してこの本を読み始めた人は、最初にこのエピソードで「あ、そういう事なのか」と、ある種のショックを受ける。読者は、本当に色々な事に気づかされながら、読み進めていくことになる。
■教祖を“さん”付けする本音
この本の中で、一般の人が、もう1つ最初に非常に衝撃を受けるであろうことがある。オウム真理教の麻原彰晃教祖のことが、「麻原さん」と一貫して“さん”付けされており、しかも河野さんとしては特に恨んでいない、ということが書かれている点だ。
『命あるかぎり』より(p.20)
こんなにもひどい被害を受けたのに、このうえさらに事件の首謀者を恨み続けるような人生の無駄はしたくないと考えているからだ。
人を憎んだり、恨んだりすることは、かぎりある自分の人生をつまらないものにしてしまう。さらに、その行為はとてもエネルギーがいることだ。それだけのエネルギーを使うのなら、澄子の介護も含め、もっと別な、より有意義な事に使いたい。それが私の《本音》なのである。
これは、他の色々な犯罪被害に遭われた方からも、聞いたことのある言葉だ。「事件で被害にあった。この上で恨み続けるということでまた人生を無駄にしたら、それは、犯罪によって二重に自分の人生を翻弄されてしまうことになる」という異口同音の吐露を、私も何回か聞いた。(もちろん、そうは考えない犯罪被害者の方々も数多いが。)
河野: 恨む行為、憎む行為というのは、ほんとに労力要るけど、得る物が何も無いんです。《割に合わない》っていうのがあるんです。
■第一印象から逃れられない人々
こうした河野さんの言動が誤解を招くのか、今でもこんな事があるという。
『命あるかぎり』より(p.80)
(中略)いまさらながらにあのときのマスコミ報道のすさまじさを感じるのは、たまに講演会場でにらむように私の顔を見て「私はだまされないぞ。きっとお前のウソをあばいてやる」と言って帰る人がいることだ。いまだに私が松本サリン事件の犯人であると信じている人がいるのである。
――こういう言葉を、面と向かって受けられた時というのは、何を思われますか?
河野: まぁ、笑うしかないですね、それは。私は最初、言ってみれば松本サリン事件の犯人として扱われたわけですから。その人にとって、そういう情報で刷り込まれてしまったわけで、「世間を騙したって、俺は騙せない」っていう思いが強いと思うんです。それに対して釈明する必要も無いので。それと同時に、マスコミというのは怖いな、ということだと思います。
私も、麻原被告の死刑が確定したタイミングなど、オウム事件の節目で、「麻原はこれでけじめを付けたけど、下村、お前はどう責任を取るんだ?」というような謎のメールを視聴者から貰うことがある。おそらく、坂本弁護士事件等を巡るTBSの一連の問題と混同し、「オウム報道で、下村も何か重大な失態を犯したんじゃなかったかな?」という誤った記憶が生まれてしまったのだろう。詳しく覚えてはいないけれど、勝手にある《イメージ》を持ってしまって、そのまま刷り込まれている―――という人がまだまだいるのだ。最初の混乱期の情報に脳が支配され、なぜかその後の整理された情報がきちんと入力されなくなってしまった気の毒な方、という気がする。
■声高なネガティブを凌駕した、静かなポジティブ
――そういう人達に対して、河野さんが「笑うしかない」とまでおっしゃれる気持ちの余裕というのは、この本により多くエピソードとして書かれている、たくさんの支えてくれた方々の存在、最初から1回もぶれずに、「河野さん、あなたはやってない」と思い続けてくれた人達の存在、っていうのがやっぱり大きいわけですよね。
河野: そうですね、大きいです。たとえば、私が入院中、マスコミの人達は、私の顔写真を本当に必死に探したんです。だけど、持っている人、誰も(マスコミに)出してない。(高校時代の同級生とか、卒業写真とか)もう、あらゆる(写真)です。私の写真っていうのは、持っている人、一杯いるわけですよ。だけど、どうせろくな使い方をされないだろうということで、出さなかったんですね。
――この本にも書かれていますが、当時の勤め先の社長も、まだ転職して入ってきて日が浅い河野さんを、「まだ実際の事はよく分からないんだから」と、そのまま雇い続けてくれたんですよね。
河野: そうです。
『命あるかぎり』より(p.90)
私は、あの事件を通して、無言電話や嫌がらせ電話、脅迫の手紙など、人間の心のネガティブな部分にたくさん触れた。しかし、それを超えてあまりあるくらい、人間の明るい、よい部分をも知ることができたのだ。
河野さんにはお子さんが3人いるが、先生方の理解もあって、学校で一切いじめに遭わなかったという。こういった方々のサポートが本当にたくさんあったのだということが、この本を読むとよく分かる。
■たくましく成長した子ども達
先週の放送の後、ゲストの磯貝さんと共に、河野さんのお宅を弔問した。これまで、河野さんの3人のお子さんそれぞれには何度もお会いしてきたが、3人全員と同時にお会いしたのは、今回が初めてかもしれない。改めて、三人三様に凄くたくましく成長しておられる姿を見て、私も胸が一杯になってしまった。
――末っ子の真紀さんが、「下村さん、この本1000冊買って!」と私に言ってきて…
河野: ええ、やってましたねぇ。(苦笑)
――で、「よぉし、分かった! じゃあ、来週ラジオで紹介するよ」っていう展開が、実はあったんですけど…ほんとに、皆、頼もしくなりましたね。
河野: そうですね。それぞれの子が自分の好きな事をやってるっていうことが、親にとっては嬉しいことだと思います。
――お子さん達と、当時の事を振り返って話したりすることは無いですか?
河野: いや、色々、話はしますよ。無言電話が本当に一杯かかってきて、「もう番号を変えてくれ」みたいな話がありましてね。その時も、「番号を変えるのは簡単だけど、それは現実から逃げることなんだから、我々は逃げない。どんな電話でも、正面から真摯に対応する」というようなことも話しまして…。「ああ、辛かったよなぁ、あの時は」という話もしました。
今回伺った時も、「私、お父さんを尊敬してるから」という言葉を、真紀さんが冗談めかして茶化しながらも、ポロリポロリと話にまぶしていた。ああ、この親子は本当に尊敬し合ってるんだ。澄子さんも病床でそういう親子の会話を聞いていて、心強かっただろうな―――と思った。
■実効性ある改革も
この本には更に、河野さんが長野県の公安委員になってからの取組みの話も、色々と出て来る。極めて具体的な成果を挙げており、たとえば、ポリグラフ(嘘発見器)のような物を使用する際には承諾書を明記することや、長すぎる事情聴取の時間を制限するというような具体的な歯止めも、河野さんの提言をきっかけとして、長野県独自のルールとして確立されている。
――こういった動きは、今後、長野から全国に拡がっていくでしょうか?
河野: そういう事をやっている県があるんだということと、それが良い事であれば、他の県警が拒否する理由も無いと思うんです。
講演で理想論をぶつだけではなく、こうして1歩1歩確実に問題点の改善を積み上げていくこと、これが着実な“河野流”なのだ。河野さんは、「色々な民間の犯罪被害者支援団体が出来ていることを、犯罪報道をする時に一緒にテロップで流して欲しい」など、メディアに対する非常に具体的な提案も、この本の中でされている。
■澄子さんの「とても大きな仕事」
実に中味の濃いこの本の所々には、河野さんの澄子さんへの思いも綴られている。
『命あるかぎり』より(p.190)
「澄子。あなたが私たち家族を支えているんだよ。あなたの存在が、子どもたちを励ましているんだよ。いや家族だけじゃない。(中略)あなたは寝ているだけだけど、とても大きな仕事をしているんだよ」
私は、自分も生きている意味がある、ということを澄子に自覚してもらいたいと思っているのだ。
――こうやってずっと話しかけられていて、澄子さんは、「私はここで寝ているだけじゃない」という自覚はされていたと思われますか?
河野: うーん、だから、60歳になるまで生きられたと思うんです。もうホントに、5回も6回も、もうダメだと言われているんです。そういう中で、自分が生きていることに対して《意義がある》。それを本人が知ってたから、生きられた。そんな風に思ってます。
そして、エピローグの言葉。
『命あるかぎり』より(p.191)
(中略)私たち家族が、澄子に生きていてほしいと願う気持ちは、澄子に負担を強いていることなのかもしれない。
しかし、たとえそうであっても、私は、澄子に一日でも長く生きていてほしいと願っているのだ。
この本が世に出たのを見届けて、澄子さんは世を去った。『命あるかぎり』は、義行さんと澄子さんの共著だと、私は思っている。