この前の日曜日(3月23日)、福島県の矢祭町議会議員選挙が行なわれ、議員報酬を日当制で受け取るという画期的な議員たちが誕生した。
今までは矢祭町の議員報酬も、月払いプラス諸手当という当たり前の形で、議員1人あたり年間約340万円を受け取っていた。それが今回当選した議員たちからは、議員活動した日だけ3万円の日当で、年間30日ぐらい議員活動するだろうということで、1人あたり年間90万円ぐらいしか受け取れない。議員が10人だから、町の出費としては総額2500万円程度の削減効果があるということだが、今朝は、この新制度が持つ経費削減《以外》の作用について、眼をツケる。
■消えるか? 有権者の“たかり”
日当制を提案した菊池清文議員に、この制度のメリットを聞くと、単なる経費節減ではなく、それ以外にも幾つかの効果が期待できると言う。第1に、「日々の議員活動の経費だけではなくて、《選挙》にもお金がかからなくなり、結果的に誰でも立候補できるようになる」のだと言う。これは一体、いかなるカラクリか?
菊地: 町民・有権者に向かって、自分の考えている事を話して、審判は有権者に仰ぐっていう選挙が出来るのではないかと思っているんですよ。
それって、極めて普通の選挙の姿だと思うのだが、どうも現実はそう教科書どおりではないらしい。
菊地: ただ選挙をして「貯金が少し減った」ぐらいで済めば、私はそれが一番良いんじゃないかと思ってるんです。
下村: つまり、選挙の当たり前の“オモテ”の費用だけで済むようになる、と?
菊地: そういう事ですね。ぜひそうしたいと思っていますし、多分そういう形になると、私は期待をしているんですけど。
下村: 口には出せない“裏”の費用は、そんなに多いですか?
菊地: これは言えません。(笑) あまり、本当の事も言えないですけどね、田舎の選挙というのは、大体知っていると思うんですけれども、やっぱり皆さん聞いている通りです。
結局、「議員さんというのは、ボーナス貰っている。月給貰っている」となるでしょ。「年間で幾らくらいになるんだよね。そうなると、1期4年で幾らくらいだよね」と。そうなると、…分かるでしょ? 「このくらい(我々のために)使ったっていいんじゃないの?」と(有権者がほのめかす)。だから今まで我々の先輩方は、「選挙に金が掛かる」って言って、結局お手盛りで(報酬を)上げてきた。これは、私らばかりじゃないですね。上は国会議員の先生方まで、皆そうですよね。
下村: 国会議員も日当制になった方がいいですか?
菊地: いいですねぇ。(笑)
高い議員報酬がある→有権者が選挙のときにたかって来る→結果的に裏金がかかる→散財を回収すべく、当選後また自分たちで議員報酬を上げる→それを見てますます「政治家は儲かるなぁ」というイメージが強まる。―――という悪循環。
ところが、日当で年収90万円になってしまえば、「政治家は儲かる」というイメージはすっかり消え、有権者のたかりも消える。その結果、選挙が“オモテ”の金だけで出来るようになり、誰でも立候補が可能になる―――という論法だ。
矢祭町に限らず、選挙では今も度々、古典的な選挙違反が摘発される。いちいちニュースや事件にはならないが、「今も裏金が相当飛び交っているのは常識ですよ」というささやき声は、私も各地で日常的に聞く。そう言えば、今週、矢祭町の町長が、当選した議員たちに祝い金を配ったというニュースもあった。とほほ。
■金がチラつくと、発言も控えめに!?
賛成派が期待する、日当制導入の第2の効果は、「当選後、自由に思ったことが言えるようになる」ことだと言う。これまた、因果関係がよく分からないので解説してもらおう。
菊池: 「何期も連続してやりたい」という思いが頭に無ければ、思いきり言いたい事が言えるんですよ。2期目をやると、3期目もやりたい。次の事を考えているから、言いたい事言えない人も随分いるわけですから。ところが、(日当制で議員の仕事に)お金の魅力がなくなれば、活動も思いきり出来るはずですし、「こんな事を言うと次の選挙に響くのではないか」と考えなくて済むわけですから。
金目当ての議員は、次も当選するために、発言を控えるようになってしまうが、どうせ日当しか貰えないということになれば、そういう金の呪縛が解けて、議員たちは本来の志を取り戻し、全うな意見が言えるようになる―――というわけだ。
「次も当選するため」には、どんどん発言して目立ったほうが良いのかと思いきや、逆におとなしくしているほうが再選されやすいとは、どういうこっちゃ!? 繰り返すが、これは別に矢祭町に限った問題というわけではない。菊地議員の発言は、いわば“地方政治の専門家”の正鵠を得たコメントとして、拝聴すべきだ。地方議会の赤裸々な実態が、そこに透けて見えてくる。
一方で、議員報酬を日当制にしてしまって本当にいいのか?という議論もある。今回の選挙で、9回目の当選を果たした矢祭町議会の最長老・圷豊明議員は、この日当制導入に一貫して反対していた。
圷: とにかく一般住民というものは、よく説明しないと。やっぱり表面だけ見たんではね。だって、議員なんていうものは、何も物を作ったり物を売ったりするわけではないですから、実際、目に見えた働きしてないんですよ。具体的に言えば、たとえばうちの所で、ずっとドブさらいを半日かかってやってもらったと。そしたら必ず「礼はしなきゃいけない」と(住民は)思うのね。だけど、この辺の一般住民というのは、実際に目に見える仕事以外のいわゆる事務労働、そういうものは仕事とは思っていないんですよ。これは「払わんでもいい」と思っているからね。だから、評価の仕方が全く違うんだよね。今、日当制にした。そうすると、「拍手喝采だ」って言う人、これは多いですよ。拍手喝采されたから、正しいのかどうかっていう判断もあるわね。
■拍手喝采…でもない、町民たち
では、この日当制のスタートを、地元・矢祭の町民たちは、どう受け止めているのか? 選挙戦前(先月7日/『サタデーずばッと』取材時)に町なかで無作為に声をかけてみたが、意外にクールな反応が返ってきた。
下村: 日当制は、良い決断だったと思います?
通りすがりの高齢男性: それは、はっきり言えませんよ。(笑) 良い結果か、悪い結果か。まぁ、議員さんが決めた事ですから。
食堂の厨房の女性: そうですね、賛成も反対も別に無いですけど。一般の人からのご要望じゃなくて、議員さんから率先してそうするって言うんですから、良いんじゃないでしょうかね。
商店主の男性: これは英断だな、と思ってます。ただそれで今後、町の議会、或いは議員さんの活動が果たして立派にやっていけるのかどうか、これがちょっと疑問視されますね。
事業所の若い男性: 町の予算が大変逼迫してるという状況も分かりますので、日当制自体は理解できなくも無いという感じだと思います。ただ今度、議員の数が減ったり、日当制によって士気が低下したり、あるいはその議会運営の活性化が停滞しないように、そういう事をお願いしておきたいと思います。
下村: やっぱりそういう一抹の不安もありますか?
同男性: まぁこれは、思い過ごし的な事と思いますけどね。まだこれからの事だと思いますので、どうぞ新議員の皆様にはまた頑張っていただきたいと思ってます。僕は議員になっちゃうと、生活が困窮しちゃいますからね。
この最後の男性のように、「日当制では生活できないから、自分は議員になれない」という人も、現実には少なくないだろう。日当制を提案した菊池議員は、前述の通り「これで、誰でも立候補可能になる」と期待を語っていたが、正反対に、「こんな報酬額じゃ、誰も立候補しなくなる」という懸念の声もあるのだ。
先週行われた選挙の候補者の数は、その期待されたプラス効果と懸念されたマイナス効果が拮抗したのか、定数プラス1名の11名が立候補して、無投票はぎりぎりで免れた。
■ 「片手間で使い走り」か、「集中力で住民代表」か
実際問題として、専業で議員をやっていくというのは日当制では不可能だから、他に本業を持ちながら議員活動と両立させるしかない。その両立を確保するために、菊池議員は次のような提案をしている。
菊地: 勤めている人が、どういう形で議員活動が出来るかということを、今度は問われていくんじゃないかなと思っているんです。定例議会も6時から、それから土日っていうことも入れていくと。これから議会運営の在り方を検討しなければならない時期が、当然来たということですよね。
それに対して、日当制に反対する圷議員は、次のように異論を唱える。
圷: 自分の仕事を100%やって、その片手間に議員活動なんて、そんな神業みたいな事は出来ないですからね。自分の仕事もある程度はセーブしなきゃ駄目ですから。時間が無いから夜にやるという話もあるけれども、これは全く論外だと私は思うんです。「昼間一生懸命に仕事をやった人が、夜出てきてまだやれるのか?」ということなんです。議会というのは、集中力が無かったら駄目ですから。
確かに、菊池議員が唱えるようなスタイルを取り、「地方議員とは《本来》そういう姿なのだ」と考える国もある。どちらが正しいかということではなく、自分たちの所の地方政治はどういうものか―――という《考え方》の問題だ。まさに、その根本の部分について、双方の議員はこう力説する。
圷: 今は結局、中央集権ではなくて、それぞれの住民が自治体を《自分たちで》やっていくんだという事です。この矢祭町の主権は、住民にあるんですよ、本当は。議員というのは住民の代表で、住民に選ばれて、矢祭町の方向とか色々をその人たちに託しているんですから、その議員の持っている権限というのは物凄く大きいんですよ。代表として、町の方向、地域の活性化、そういうものを真剣に取組んでやらなければならないんですね。そうしたら一定の報酬を払うのは当然だと思うんですよね。それを何故、日当なんですか?って言うの、私は。
菊池: 私どもみたいな田舎の小さな町の議員は、《政治家ではない》んですよ。住民の人たちの使い走りと言ったら変な言い方ですけれども、結局そういうものですよね。同じ住んでいる地区内の人だと、「菊地さん、あそこの道壊れちゃったよね」とかっていう話が出てくる。その時に何かの機会があった時に見て、どうしてもこれは修理をしないといけないという時は、役場の事業課の課長さんに電話をして「あそこ見てよ」というような。そういう活動が、お金の対象になるんでしょうかね? 私は、対象ではなくて当然やるべきものだと、議員として当然無報酬でやるべきものだと思っているんですよ。
矢祭町は、こういった論争の段階を超えて、実際に日当制をスタートさせた。
新しい議員たちの任期は、明後日(3月31日)から始まる。他の自治体でも、この日当制に関心を持っている住民運動が幾つかあり、今後の矢祭町に熱い注目が集まることになりそうだ。矢祭がこれからどうなるか、どういう効果が現れるのか、壮大な《社会実験》が始まったと言えよう。