アトランタ爆弾犯扱いされた警備員、死去

放送日:2007/9/ 8

11年前(1996年)、米国アトランタで開催されたオリンピックの真っ最中に発生した爆弾事件は、死傷者112人という大惨事になった。後に捕まった犯人は、一昨年になってようやく犯行を認め、終身刑の判決を受けた。
この事件の際、現場となったアトランタ・オリンピック記念公園で警備員をしていた、爆弾の第1発見者、リチャード・ジュエル氏は、最初は、機転の利いた誘導で爆発直前に多くの人を救ったとして、ヒーロー扱いをされた。しかし、後に一転、実は犯人ではないかと誤報され、大変な報道被害を受けた。
その彼が先月29日、病気で亡くなった。日本では殆ど報道されなかったが、私もジュエル氏とは取材で付き合いがあったので、大変残念だ。

■勝手に持ち上げられ、勝手に突き落とされ

当時私は、TBSのニューヨーク支局に勤務しており、五輪リポートの為にアトランタに行き、爆発の混乱を目の当たりにした。9・11テロ以前の米国民にとっては、かなりのショッキングな出来事だった。
事件後、ジュエル氏が講演のために来日した時などに、通訳として同行し、本人とも親しかった、米国在住の栗島敦子さん(眼のツケドコロ・市民記者番号№55)にお話を伺う。

――栗島さんは、当時アトランタに住んでいらっしゃったんですよね。間近でこの事件をご覧になっていて、あの時のアメリカ社会の受け止め様は、どんな感じでしたか?

栗島: 「この平和なアトランタで、何故こんな事が…!」と、天地がひっくり返るくらい、皆さんびっくりしてました。

現場はCNN本社の真ん前だったため、事件は非常にセンセーショナルに全世界に伝わった。それでも、被害をこの人数に抑えることが出来たのは、咄嗟の判断で周囲の多くの人達を避難させたジュエル氏のおかげ、という部分も大きい。
しかし彼は、事件の3~4日後辺りから、一転して犯人扱いの報道に翻弄されるようになる。きっかけとなった地元紙『アトランタ・ジャーナル』の号外には、「FBIは、ヒーローの警備員が爆弾を置いたのかもしれないと疑っている」という大見出しが踊っていた。

――栗島さん自身は、当時この報道を見てどういう印象を持ちましたか?

栗島: 率直に、「あ、もう捕まったんだ」っていう感じでしたね。これだけFBIが注目しているのであれば、「あ、彼なんだろうな」と。

当時は、それが皆の、普通の受け止め方だった。オリンピックというプライドを傷つけられた思いが、米国社会にはあったのだろう。

栗島: 特に警備には、非常に力を入れておりましたからね。絶対にテロは起こさせない、アトランタでは絶対にそういう事は起きないんだ、と。だから余計、《早く誰かを犯人にしたかった》というのがあると思うんですよ。

そんな気持ちも、ジュエル氏に対する誤解を広めてしまう一因になったのかもしれない。その後、ジュエル氏に訴えられた主なメディアは、皆和解金を支払う事で事実上過ちを認めたが、この地元紙だけは今も裁判を続けている。

■イメージは、作られる

事件から8ヶ月後の1997年3月末、この件の調査でアトランタを訪れた、同志社大学の浅野健一教授たちのコーディネーターとして、栗島さんは初めてジュエル氏本人(当時33歳)と会った。

――会う前に抱いていたイメージと、実際の当人の印象は、どうでした?

栗島: 会う前は、間違って犯人にされた人だと分かっていても、テレビで見る強張った顔とか、そういう印象があって、ちょっと怖いなと思っていたんです。でも、実際にお会いして、純粋で素朴で、可愛らしい人でしたね。いい人でした、ほんとに。
 やはり正義感がほんとに強い人なんだなぁって。ちょっとした仕草なんですけれど、凄くそういうのを感じました。お母様にもお会いした事があるんですが、非常に親子が仲良く、自分の子供をほんとに可愛く大切に育てられた方だなぁって。だから、(彼は)愛情をちゃんと受けて育ってる人でしたね。

彼は、純粋に親孝行な息子だったのにもかかわらず、事件後は、それすらも「この歳になって母親べったりで、おかしい奴だ」というトーンでネガティブに報じられた。ユナ・ボマーという米国の連続爆弾犯をもじって、“ユナ・ママー”と言われたりもした。
この事件報道には、《一度悪役と決めると、全ての要素を悪い方向へ報じてしまう》というメディアの悪い癖が、典型的に現れていた。

■「人生最高の思い出」ニッポン

その後、ジュエル氏は日本にもやって来て、各地で報道被害の体験を講演した。

――その時にも、栗島さんは、アトランタからずっと付き添われたんですよね。

栗島: そうです。彼の弁護士も一緒に、3人で。講演は3ヶ所、同志社大学と神戸と東京で3回ほどやらせて頂いて。スケジュールの合間には、箱根に2人をお連れして。うーん、珍道中でした。(笑)
 まず食事の面で言うと、(彼は)とにかくコカ・コーラが大好きだったんです。だから、コカ・コーラの自動販売機を見ると、「あ、コークがなくなるといけない」「次の場所でコークがなかったら困るから」と言って、買ってポケットに入れるんですよ。弁護士はラーメンとか親子丼とか、いろんな物をトライなさるんですね。でもジュエルさんは、「僕はこういう物は食べられません」と言って、ポテトチップスとコーラをぐんぐん飲んだり。

――典型的なアメリカ人…?

栗島: そうですね。食事の面では、ちょっと可哀想でした。皆に気を使って、無理してちょっと食べると、次の日、お腹壊しちゃって、もう大変!

――じゃあ彼は、日本ツアーがあんまり楽しくなかったんですか?

栗島: いえ、皆さんが凄く優しくして下さったから、ほんと感激してました。先日、その弁護士と話をした時も、「僕自身にとっても、ジュエルにとっても、自分の人生の中で1番楽しい旅だった」って言って下さって。「こんなに良くしてもらった事は無かったし、こんなに丁寧に扱ってもらった事は本当に無かった。全てが、違う星に行ってるような気分だった」って言ってました。

44才という若さで早世してしまったジュエル氏だが、「人生の中で1番楽しい旅」を過ごせたのが日本だったと聞いて、少しだけほっとする。

■忘れ去った世間、忘れなかった当人

――そもそも、ジュエルさんは「潔白なんだ」と伝えたくて、わざわざ日本まで来たわけじゃないですよね?

栗島: そうです。あの時彼は、「誰にでも、こういう事は起こるんだ。自分だけの問題ではないという事を皆に分かってもらいたい。明日は貴方かもしれない」という気持ちもあって、来たんだと思います。

日本での講演録には、ジュエル氏が「私に起きた事を忘れないでほしい」と繰り返し訴えていたと記録されている。では実際、米国人は今、ジュエル氏のことをどのくらい覚えているのか? 覚えているとして、それは「ヒーロー」として覚えているのか、「爆弾犯」としてなのか?
ジュエル氏死去の知らせが飛び込んだ翌日、たまたまニューヨークにいた私は、早速、支局のカメラマンと共に街に出た。名前を紙に書いて見せながら、道行く人達に「この名前、覚えてる?」と尋ねてみると、9割以上が「全然わかんない」「知らない」という答えだった。「アトランタ・オリンピック」というヒントを出しても、「スポーツ興味ないから」「五輪プロレスラー?」という答え。「誤報されて、最近死んだ人でしょ? 今朝ニュースで見た」と言う人が数人、「爆弾犯?」と答えたのは1人、「多くの命を救った人」という答えはゼロだった。

栗島: 彼の人生を、あんなにぐちゃぐちゃにしちゃって(おきながら)…ちょっと悲しいですね。
 先日、「ジュエルさんを偲ぶ会」で、ジュエルさんのお母様と奥様が初めて明かした事実というのがありました。彼は、毎年命日になると、(爆発で)亡くなった女性のために、バラの花1輪とカードを添えに、夜中に人目を忍んで現場を訪ねていたそうです。それを聞きまして、なんて優しい人なんだろうと。彼自身、「僕がもっと優秀であれば、貴女も助けられたのに…ごめんね」っていう罪の意識があったみたいです。

――それを密かにやっていたんですか?

栗島: 誰にも言ってなかったそうです。唯一、知っていたのはお母様と奥様だけでした。

■1度貼られたレッテルは…

――最近のジュエルさんは、どういう生活だったんでしょう? 

栗島: 「ここ5年間ぐらいは、非常に安定した生活を送っていた。特に、3年前位から、彼は本当に幸せになったんじゃないか」と、弁護士は言ってました。と言うのは、奥さんのドナと知り合ったのがちょうどその頃で、仕事も安定して、彼の大好きなハンティングや釣りをしたりして。地元の人も、「貴方は良いポリスマンね」という形で受け入れてくれたので。ただ、5ヶ月前ぐらいから健康を非常に害されたらしく、仕事が出来なくなって落ち込んでいたという話はしてました。

――昨年の夏の、事件から10周年のセレモニーには、彼は登場したんですか?

栗島: はい、弁護士と一緒に行って。功労者の何十人かが州知事から表彰されたんですが、ジュエルさんは決して(爆弾事件の)ヒーローとしてではなく、あくまでもそのうちの1人として、その中にいました。

ジュエル氏が「それでも、今でも自分を犯人だと誤解したままの人は、いるんだよね」と呟いたのは、その時の事だった。晩年、幸せになったと言っても、やはり傷はどこかに残ったままだった。

栗島: 最後の赴任地の1つ前の町でも、ポリスマンをしていたらしいんですが、そこではやはり周りから「お前は、やっぱり怪しい」とか(言われて)、凄く悲しい思いを随分したって言ってました。

メディアに関わる者は、ジュエル氏の事件を決して忘れてはならない。近々『NEWS23』でも、この話を特集する予定だ。

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