熊本市の慈恵病院が設置した、通称“赤ちゃんポスト”こと『こうのとりのゆりかご』が、いよいよ一昨日(5月10日)正午から運用を開始した。
赤ちゃんを産んだが事情でどうしても育てられず、それを誰にも相談することが出来ないという切羽詰まった親は、今後は、捨て子や子殺しという最悪の選択をする代わりに、この病院の外に作られた小さなフタを開けて、その中に赤ちゃんをそっと置いて行くことができるようになった。
■引き取り手のない赤ちゃんが、9割
開設から1日半、さすがにまだ、赤ちゃんが置かれたというニュースは入っていないが、いずれ本当に置かれる日が来るかもしれない。(5月15日追記: その後の報道で、開設直後に3~4歳児が置かれたというニュースが入ったが、今回採り上げる論点とはまた違うテーマをはらんだケースなので、これについては、もう少し情報を得てから、また後日改めて考えたい。)
しかし、“赤ちゃんポスト”は、単なる《入口》の受け皿だ。その先の《本体》の受け皿が整っていなければ、入口だけ出来ても仕方がない。
病院側としては、この『こうのとりのゆりかご』の中にお母さん宛の手紙を置き、「ぜひ連絡して来て欲しい」と呼びかけることで、最終的には実の親子で暮らせることを目指している。病院側の手紙を見ても親の名乗り出がない場合、この『こうのとりのゆりかご』に置かれた赤ちゃんは、それからどうなるのか?
『ゆりかご』に置かれた赤ちゃんは、慈恵病院が県の児童相談所に託し、まずは乳児院に預けられる。うまく行けば、赤ちゃんは育ててくれる里親に引き取られたり、法的に養子縁組をしてもらわれて行ったり、ということになる。
ところが日本社会は、里親や養父母のなり手が非常に少ない。統計の取り方が国により異なるので厳密な比較は難しいが、『里親委託と里親支援に関する国際比較研究』(湯沢雍彦名誉教授・編)によれば、身寄りのない子どもが里親に引き取られる率(里親委託率)は、オーストラリア92%、アメリカ77%、ロシア69%、イギリス60%、そして日本は9%だ。私がアメリカに住んでいた頃、子供のクラスメートにもごく普通に養子がいて、親もそれをサラッと「うちは養子なの」と言っていた。実の子供がいても、「今度、下にもう1人養子をもらうことにした」などと言う友人もいた。文化や家族観、住宅事情等の違いもあり、一概に「日本の大人は冷たい」とは言えないが、日本では、こういう施設に入った赤ちゃんの9割以上が、一生、親子関係というものを体験できずに、施設暮らしのままで成人していくことになる。
■大人の為でなく、子どもの為の縁組を
では、その少数派の9%の赤ん坊を引き取ってゆく人達には、どんな覚悟が必要なのか。
長年、養子縁組や里親委託に取り組んできた社会福祉士の矢満田篤二さん(眼のツケドコロ・市民記者番号№49)は、自身の体験から手製の誓約書を作り上げ、その後も個人的に少しずつ改良を加えてきた。今でも「赤ん坊を引き取りたい」と相談してくる夫婦には、まずその誓約書にサインをしてもらっていると言う。誓約書には、全部で9項目の誓いがある。例えば―――
[要旨抜粋]
4) 子どもの性別選びはせず、実親側の妊娠経過について、どのような事情があろうとも、赤ちゃんには責任のないことであり、一切不問として育てます。
5) 赤ちゃんの障害の有無で家庭引き取りを左右したり、養子縁組許可申し立てを取り止めるような身勝手はいたしません。
6) 赤ちゃんに重度の慢性疾患があったり…(略)…将来にわたっても専門施設等での療育が必要とされる場合でも、私たちがこの子の親となる決断をしたことを変える考えはありません。
8) 養子に迎えたわが子には生みの親と別れた経緯を知る権利があることを理解し、将来、適切な時期を選んで生みの親を傷つけないように配慮しつつ、真実告知をいたします。
つまり、例えば「女の子をもらいたい」という希望もしてはいけない、というのが、矢満田さんの信念だ。なぜ、そこまで厳しいのか。
下村: 性別選びをすることを認めてしまうと、どういう間違いが始まりますか?
矢満田: 要するに、「自分が気に入った子をもらった」っていうことでしょ。
下村: 《気に入った》子をもらってはいけない理由は?
矢満田: 《気に入らなくなった》時に、場合によっては「養子縁組を解消したい」とかね。恐らく、「こんな子をもらって損した」っていう壁が、いずれ出来ると思いますよ。
《自分たちが》選り取り見取りで、気に入った赤ちゃんをもらって行くというのでは全くなくて、《赤ちゃんが》必要としているお父さん、お母さんにあなたがなってくれるかどうか―――それを私が、赤ちゃんに代わって仲立ちしているというやり方ですよね。
下村: 赤ちゃんが主だと?
矢満田: もちろんそうです。“児童”福祉を考えなくてはいけない仕事でしょ。
下村: “親”福祉ではないですからね。
矢満田: そうなんですよ。「子どもの全てを無条件で受け入れる覚悟ができている親御さんになってくれますか?」ってことを、児童相談所は、最低限言わないといけないと思うんです。だから、(『こうのとりのゆりかご』から赤ちゃんを託されることになる)熊本の児童相談所にも、そういう風に養子縁組を勧めていただきたいと思いますね。
養父母のなり手を増やそうと安易に希望者を受け付けても、現実に子供を引き取ってから「やっぱり大変だ。この子、施設に返します」などということになれば、“ずっと施設で育って来た”以上に、子ども達の心を傷つけてしまいかねない。里親希望者に対して厳しく覚悟を問うことで、なり手が少なくなっても仕方がないというのが、矢満田さんの考え方だ。
■マニュアルは無くても、仲間と会えば
矢満田さんは、「“赤ちゃんポスト”是か非か」という議論が報道される中、『赤ちゃん縁組支援市民ネットワーク』と言う新しい組織を、地元・長野県で今から2ヶ月前に立ち上げた。そのネットワークに参加する構成団体の1つに、長野県内の養父母達が情報交換し支え合う『くるみの会』というグループがある。メンバー同士が交わす話題には、養父母が直面する様々なハードルが浮き彫りになっている。
『くるみの会』岩渕友保代表: “赤ちゃん返り”もありますし、1日中、母親の後を追っているとか。それと、“真実告知”のことですね。そんなことで、我々仲間の会が必要だということで始めて、活動しているんです。
“赤ちゃん返り”というのは、子どもがわざと赤ちゃんのように振舞って親の反応を探ったりして、養父母や里親がどこまで実の親のように愛情を注いでくれるかを、無意識のうちに試しにかかることだという。大人にとってはかなり辛い期間になることもあるが、そこを乗り越えると、絆が強まるのだそうだ。
下村: 先輩が後輩に経験を語ったりとか、そういうことは…
岩渕: ありますね。
下村: 「こうやったらいいよ」って、共通したコツみたいなものってありますか?
岩渕: それは無いと思います。「うちがこうやったから、その通り…」っていう、マニュアルはないと思うんですよ。でもやっぱり、同じ仲間がいるということと、親もそうですし、子供もそういう《あ、自分だけじゃないんだ》っていうのが分かるってことが、1番の勇気づけじゃないかと思うんです。
下村: あ~、お子さん同士のね! お互いに。
岩渕: (うちの子どもより)1歳下の女の子が(会に)いるんですけど、ちょくちょく電話したりとかメールしたり、交流してます。
子ども達も養父母の会に付いて行って、互いに交流しているのだ。『くるみの会』の集合写真には、養子と養父母たちの幸せそうな笑顔があふれていた。
■「あなたを産んだ女の人だよ」
物心がつかないうちに引き取った養子や里子に、「実は我々は、産みの両親ではない」と伝えるのは、里親や養親側にとって、非常に大きな試練だ。“赤ちゃんポスト”ではないが、事情で育てられない産みの親元から赤ちゃんを引き取った岩渕さんにも、その“真実告知”の時があった。
岩渕: うちも4歳、5歳ですかね。(幼稚園の)年中か年少組のときに、「お母さんのお腹が壊れてて産めなくて…選ばれて、うちへ来たんだよ」っていう話は子供にしました。学校に上がってから、(子どもが)「今のお母さんから私は生まれてないんだ」って友達に言ったんですよね。そしたら「本当のお母さん捜さなきゃ」って(友達が)言って。うちへ帰って来て、母親にその話をしたもんですから、(私が)「ちょっとおいで」って言って、「今ここにいるお母さんは誰?」って訊いたら(子どもは)「私のお母さん」(って答えました)。「じゃあそれでいいじゃないか」って。
“真実告知”について矢満田さんは、豊富なサポート経験から、こうアドバイスする。
矢満田: 子どもは、産みの親がどういう人だったか、自分のルーツを知る権利を持っていますよね。そのために私達は、ご縁があって養子縁組をしたご家族たちには、産んだ方からのお手紙と写真を、可能な限り、預かってもらっています。産んだ女性に赤ちゃんを抱いてもらって写真を撮らせてもらって。将来、「僕(私)を産んだ人はどういう人だったの?」って子どもに聞かれたときに、「この人が《あなたを産んだ女の人》だよ」と。
でも(その人を指して)「お母さん」っていう言葉は、軽くは使わないで欲しいんですね。一緒に暮らしている親が、お父さん、お母さんであって欲しいんです。もう1つは、「本当の親」というのも言って欲しくないんですよ。もし産んだ人を本当の親って言ってしまうと、今の育ての親は「ウソの親」になってしまうんですよ。ウソの親では、絶対にないんです。
こういう重要な場面では、ちょっとした単語の選び方も大切になってくる。だが、こうして丁寧に愛情を積み上げていった親子は、やがて、血の繋がった親子と変わらない、深い結びつきを得るのだという。
■12組中9組の覚悟
矢満田さんや岩渕さんたちが結成した『赤ちゃん縁組支援市民ネットワーク』は、先月末、養父母になることを希望する夫婦たちへの第1回説明会を、地元・長野県池田町の福祉センターで開いた。
矢満田: 最初の見込みは「2、3組出てくるかどうか」と思っていたんですよ。そうしたら、なんと16組参加したいという申し出があって、実際に来たのも12組。しかもその12組の方々に誓約書をお示しして、「この誓約書にサインして下されば、今度は具体的な研修会のほうにご案内します」ということでやったら、9組の方が誓約書にサインして、研修受講のほうに回って下さって。これは、私としては嬉しい誤算でしたね。ですから私は、世の中捨てたもんじゃないと思うんですよ。
下村: 具体的に、その方々はこれから…
矢満田: もうこれからは、「児童相談所に里親登録を希望してあげてください」と。
下村: それは「各自やってください」と。
矢満田: そうです、もう自分の決断で。そのときに私が口添えたのは、「この誓約書を児童相談所長にお見せしてください」と。「ここまで私たちは覚悟してお子さんを引き受けますと言ったら、多分児童相談所長も安心するんじゃないですか?」と申し上げたんです。
下村: 誓約書はそういうところで、具体的な効果を発揮するんですね。
更に、里親登録の次のステップとして、家庭裁判所で法的に特別養子
矢満田: そして、もう1つ。お子さんが大きくなったときに、この書類を親から見せてもらって、「自分の両親(養親)は、ここまでの決断をしてくれて僕(私)を育ててくれたんだ」と分かったら、これは、大事な書類になると思うんです。20年、25年先に。
この“矢満田流”誓約書には、「ここまで厳しくしなくても」という意見もある。しかし、《人の親になること》というのがどういうことか、を深く考えさせてくれるきっかけとなる書面であることは間違いない。
『こうのとりのゆりかご』に置かれ、産みの親が名乗り出て来ない赤ちゃんも、熊本の児童相談所の努力で、しっかりと覚悟を決めた養父母のもとへ引き取られて行きますように。