「原爆症認定訴訟」は来週、仙台と東京の地方裁判所で、相次いで判決を迎える。
原告の1人である広田さん(81歳/仮名)と、訴訟担当の横山聡弁護士にお話を伺う。
横山: 簡単に申しますと、「原爆症の認定制度」とは、被爆者として認定された方々が重い病気になった場合に、それが「原爆に起因するもの」、そして「治療が必要」という2点の要件が満たされれば、医療特別手当てということで、月に約13万円というお金が交付されるという制度です。
しかし、この「要件が満たされれば」という部分に大きな問題がある。今、全国で26万人強の方々が被爆者手帳を持っているが…
横山: 申請して実際に原爆症認定を受けている方は、全国で2300人弱という、(手帳保持者全体の)1%にも満たない数字です。
■“黒い雨”の中をさまよい歩いた、8月6日
広田さんも、残り99%のほうに入っている。このように、原爆症の認定を申請しても断られた人達のうち、現在、約200人が全国で提訴しているという。
――広田さんは、どういう状況で被爆されたんですか?
広田: 1945年8月6日の朝8時ですね。妹の下宿先で、裏のお庭へ出て手を洗おうとしていた、その瞬間でした。(居た場所が)軒下だったから、今私はこうして生きておれるんです。ほんとに、1歩、陰にいた為に、あの直射の光を遮ってくれたんだと思います。でも、目の前は、(爆風の)土埃で真っ暗でした。
――そこは、爆心地からどのくらいの距離だったんですか?
広田: 1.1kmでございます。とても、妹と2人でどうすることも出来ない。ご近所へ行くと、ご近所はもう、それこそ血みどろのご夫婦が、もう息絶えているであろうと思われる、ぐたーんとなった男の子をこうして抱っこしてました。ふと見ると、周囲は全部、もう火の海ですよ。火の中をくぐって、広い通りへ出て、駅の裏側へ行きましたら、「街中から逃げて来た人は、お山の上へ上がってください」と言うんです。道がこれほどの道でしたが、そこを登るときには、例の“黒い雨”と言われる―――その時はそんなこと考えない―――雨が、もうザーザーなんですよ。それほどたくさん降ったんです。そして、中腹の神社まで避難するんですが、もうそこは、拝殿の中まで負傷者で一杯(だったん)ですよ。まだ入れない負傷者もいる(くらい)。
――その段階で、広田さんと妹さんは、“黒い雨”でびしょ濡れ状態?
広田: そうです、そうです。降っている間はね。そして、日がとっぷり暮れるまで、そこで市内の様子を見て(ました)。それから、お山を降りて…
■62年経っても、後遺症や新たな発症
その後、郊外の実家に避難した広田さんは、すぐ全身に異変が現れた。
広田: …紫斑は出るし、下痢、嘔吐ね。そういうものがとても…下痢は、酷かったですね。おしめが無いと立ってられないほど、下痢しました。そういう状況で、段々悪くなりました。
――被爆前には、そういうお身体ではなかった?
広田: もう、私なんか、健康そのものでね。ほんとに、病気は人様がするものだと思ってましたから。(笑) それが段々と酷くなって、お腹が大変肥満しました。40度からの熱が出て、もう動けなかったですね。
そして、2年くらいしてでしたかね。まぁ「肺が悪い」やら「何が悪い」と、その当時、医学で認められた病名を、全部(の症状に対して)当てはめられました。何年かして、お医者さん達が「こんな状態になった人は、1人も助かっていません。到底無理です。だから、お葬式の準備をしなさい」って、私の枕元でおっしゃるんですよ。
――それで今現在、当時いろいろ病名を付けられた病気は、良くなったんですか? それとも更に新しく何か症状が出たりとか?
広田: もう、様々な症状を抱えながら、自分の身体を確かめながら生活しているような状態です。肺だ、結核だ、心臓だって、現在もいろんなところが悪いんです。目から出血したりね。耳鳴りっていうのは、原爆を受けてからずっともう、今もなんです。その何十年もの間には、小さい脳梗塞は散々。この間は、鼻の所が紫色になりました。そして周囲がグリーンに…。歯茎のガンじゃないかとちょっと心配していましたけど、まぁ幸い…ね。(それでも)歯は全部抜いてしまいました。
■機械的線引きにこだわるあまり…
広田: とにかくそういう中で、この度(原爆症認定の)申請をしたのは、皮膚ガンという形でしたんです。それが、4年か5年(前)になります。
横山: その申請したガンについて、「原爆症とは認定しない」という、却下の決定が出されたわけです。
――何故、「認定しない」ということなんですか?
横山: そこなんですが…たとえば、肺ガンはタバコを吸ってもなるし、石綿を吸ってもなる、と。どういう理由で肺ガンになっているかという事は、実は必ずしも分かっていない。「私は放射線が原因です」と、ガンにいちいち書いてあるわけじゃないですから。そこで、厚生労働省は、「医学的・放射線学上の知識に基づいて、これは放射線に起因するものだ、ということを認定しなければダメだ」という風に言ってくるわけです。
でも、実際にそんな因果関係が特定できるのかというと、彼らも分からない。分からないことは前提としつつも、どこかで何か線引きをする。非常に機械的な考え方しかしないわけです。そこで、「浴びた放射線量がどの位か」ということ自体に、非常にこだわるんです。
――つまり「ピカドンの瞬間に、これぐらい浴びているはずだ」という、理論的な推定の数値を出すと?
横山: あくまでもコンピューター・シミュレーションですが。基本的には(爆心地から)2km以遠では、直爆線量(原子爆弾が爆発して1秒以内に飛んだ放射線の量)は「ゼロだ。それが科学的だ」と、国側は言っているんです。
しかし広田さんは、爆心地から2km以内の距離で被爆したにも関わらず、認定されなかった。だが、一緒に行動していた妹さんは認定されている。いろいろ理屈をつけてはいるが、国の判断基準は、一般常識人の感覚ではやはり「?」である。
■それでも、国は控訴する
広田さん達の被爆者認定の申請をどんどん却下している国は、昨年の5月以来、大阪・広島・名古屋の地裁判決で、相次いで敗訴している。原告側の訴えが通り、原爆症の追加認定が次々となされている現状でも、国はまだ、控訴をし続けている。
横山: 国は、「《直爆線量》が、浴びた放射線の量だ」ということを基本にしています。我々は、《残留放射線》―――要するに、後から救援などのいろんな形で被爆地に入って、遺体を焼却したりとかいろんな活動をされているんですけれども、その時に、被爆地にある土とか埃が手や身体の表面に付きます。その付いたものが誘導放射化(原爆の影響で放射線を帯びるような形に)されて、身体の中に被曝を受けているんです。残留放射線や内部被曝という形で受けた放射線から、病気が出て来る。「その辺もきちんと解明出来てない」と、我々原告側は言ってるんですが、国は、残留放射線や誘導放射化された放射線についての影響は、「ほぼゼロに等しい」と強く言ってます。
もともと原子爆弾は兵器だから、その効果の研究は《爆発直後の殺傷能力》に当然ながら重点が置かれていた。“直爆”だけが重視され、“残留”の効果についての検討が二の次にされて来た歴史には、そういう事情もあるのだろう。そういう中で、来週、また新たな判決が下される。
横山: (今月)20日に判決が出る仙台地裁は、原告がお2人です。22日の東京地裁は、30名です。私共は、大阪・広島・名古屋で出た判断を踏襲して、やっぱり申請認定制度はおかしいと、大筋で我々が勝てると思っています。
――もしそこで(原告側が)勝てても、また国が控訴の構えを見せた場合、次の事は考えていらっしゃいますか?
横山: 我々は、この病気について、国がこういう形で矮小化して行こうということに対して、強い抗議の意思を持っています。控訴期限は来月5日になりますけれども、その前には、被爆者で72時間の座り込みをやろうかという計画も、今立てています。
■政治は動くか? 社会は動くか?
――被爆者の皆さんも、もう平均年齢75歳近いですよね。座り込みされるんですか?
横山: できれば救護所なども設置しながら、交代交代で座り込みをやって行こう、と。そこに、是非支援の人々にも集まっていただいて…というような事を計画しております。
厚生労働省などのお役所は、動きが鈍く、なかなか小回りも利かない。政治的に解決していく方法は無いのか。
横山: 私共は、国会議員の先生方にこの状態をお話しして、厚生労働省に「こういう認定システム自体がおかしいんだ。これを改めなければいけない」という訴えかけを半年前からやっております。現在、200名弱の国会議員の皆さんから「協力しましょう」というご賛同を頂いております。
――広田さんは、ご自身の原爆症を認定して欲しいというのも裁判の目的の1つでしょうが、この活動で1番訴えたいことは、何ですか?
広田: それは、私達被爆者としては、後に続く命達―――すべての命ですね―――のためにも、今これをここで、もう少し、《核というものがどんなものか》ということをね皆さんに考えてもらいたいんです。