インド洋津波から2年…日本人学生達が架けた虹

放送日:2007/1/ 6

2004年12月26日に発生したインド洋大津波から、先週の火曜日で丸2年が経った。
先日、被災地の子供達を訪ねて、ミュージカルを見せて来た日本人学生のグループを、今日はご紹介する。

■国境も越えて、宗派も超えて

――まず、自己紹介からお願いします。

吉益: 国際基督教大学(ICU)4年、吉益美帆(眼のツケドコロ・市民記者番号№40)です。

寶田: 寶田七瀬(眼のツケドコロ・市民記者番号№41)と言います。(同大学を)卒業して2年になります。

――大学の中の劇団で行ったんですよね。

吉益: はい、劇団『虹』と言います。

寶田: ミュージカルを公演する劇団で、地域のお年寄りの施設や幼稚園などを回って、いつも公演してます。私が学生時代に立ち上げた劇団で、ミュージカルと言うと劇場とかに(見られる場が)限られちゃうので、より多くの人にミュージカルの楽しさを伝えたいなと思って作りました。

――今回は、どうして被災地に行こうっていうことになったんですか?

吉益: 私がイギリス留学から帰ってきて、「海外公演がやりたいね」っていう風に寶田と話しているときに、お互いの頭の中にあったのが、津波の被害に遭ったスマトラ島でした。それが去年の5月です。で、いろんな方々に「こういう事をやりたいんですけど、何か協力していただけませんか?」って呼びかけました。皆さん、本当に丁寧にレスポンスして下さいました。

――全部で何人くらいで行ったんですか?

吉益: 合計8人で行きました。期間は、11日間です。経費は、大学の同窓会と、卒業生の団体からご支援をいただきました。あとは以前、新潟の被災地に劇団『虹』が公演したときにご支援いただいた、横浜にあるお寺・徳恩寺さんからも、今回またご好意でご支援いただきました。

――《キリスト教》大学の活動に、《お寺》が寄付!?

寶田: そうなんですよ! そして、《イスラム圏》に行ってミュージカルをやるという…(笑)。

――凄い! 完全に宗教を超えてますね(笑)。それで、ただの学生サークルが被災地を巡って、ほんとにミュージカル公演が出来ちゃったというわけですね。

■物は足りても、心の喪失は埋まらず…

講演の様子 そのときのステージ『レインボー航海記』の様子を寶田さんが撮影したビデオには、現地の子供達の元気な声も入っている。これは、近日中に編集されて、『東京視点』のサイトで視聴できるようになる予定だ。

吉益: あれは、メインテーマを子供と一緒に歌ったんです。作品は、ほとんどインドネシア語にしたんです。初め、私が日本語で書いたんですが、インドネシアに着いたら、「メッセージを伝えたい!」という意欲が高まって、最初の練習日に子供達に訊いて、その場で訳してもらったんです。それをその日のうちに覚えて、次の日が初日なので、手にボールペンで書いて、本番中「あ、やばい!」って思ったら、チラッと見て「アパ~」って。(笑)

――何ヶ所くらい回ったんですか?

吉益: 合計、8ヶ所回りました。インドネシアの国内、バンダ・アチェ市内と郊外で7ヶ所と、バンダ・アチェから車で3時間くらい行った、ピリーケンという所の小学校でもやりました。大体、小学校と被災地の仮設住宅、大学などで公演しました。

――被災から丸2年経ちましたが、現地の状況はどうでしたか?

吉益: 市内はもうほとんど、建物も戻ってますし、海岸沿いも、休日だと結構人がいました。新しくて綺麗な家が多かったです。非常に印象的だったのは、看板が一杯立っているんですよ。いろんなNGOや国連機関、各国政府などの看板だけが立っていて…。

寶田: 「このNGOがこの道路を造りました」とか書いてあって、ちょっと(業績の)宣伝みたいな感じがしました。

吉益: 実際、いろんな方々とお話をしたんですが、「お金が集まり過ぎているんじゃないか」っていう意見がありました。

――当時、“援助の津波”と言われましたよね。量だけ凄くて、うまく使いこなせなくて…

吉益: それが今まさに形として、バンダ・アチェに現れているというか。綺麗な家だけあっても、人が住んでいなかったりとか。それに、そういう物資はあっても、実際に人と話してみると、仮設住宅の男性などは、奥さんも子供も亡くしてしまって「私は1人なんだ」とおっしゃっていましたし、1人ぼっちになってしまっている女の子もいました。

もちろん、現地のニーズにキメ細かく役立っているNGOも、沢山あろう。劇団『虹』の活動はそれらの貢献を《否定》するものでは無く、ただ、モノやカネでは埋まらない部分を《補完》しに行ったのだ。

吉益: 仮設住宅で私達は、日本の方々に折っていただいた、およそ2,840羽の折り鶴をあげたんです。それは、絵と日本のおもちゃと一緒に、日本から持って行きました。

■「ずっと傍にいるよ」と伝えたい

――被災地の人達に見てもらったミュージカルのストーリーは、どういうものですか?

吉益: レインボー号という船の船員達が、何でも望む物が手に入るというアカシアの木を目指して、旅をするんです。その途中、お菓子の島とか、巨人の島とか、物事が全部アベコベの島とか、いろんな島に立ち寄るんです。

――ガリバー旅行記みたいな?

吉益: (笑)ちょっとそういうイメージです。ところが、あと少しでアカシア、というときになって、彼らは自分の欲しかった物に目が眩んで、「他の人達なんていらない。自分は自分で向かうから」って言って、喧嘩別れしてしまうんです。それで、キクマルという最年少の男の子を除いた4人は、全員たどり着いて、望む物を手に入れるんですけど、何か満たされない。「持っているのに満たされないのは、どうしてだろう?」って考えたら、それは「どんなに宝を持っていても、それを一緒に喜び合う友達がいなければ、意味が無いことなんだ」と気付くんです。それに気付いたときにはもう遅くて、彼らは離れ離れになって心を閉ざしてしまうんです。
でも、唯一、キクマルだけは宝じゃなくて友達をずっと捜し続けていて、やっとアカシアの木の下に見つけるんです。公演を見る子供たち「あ、やった! いた!」と思うんですが、彼らは心を閉ざしていて(キクマルの言葉を)聞いてはくれない。「どうしよう?」と考えたキクマルは、すぐ傍に(観客席の)子供達がいることに気付くんです。「あ、ここに皆いるんだ! 皆一緒に力を合わせて、レインボー号の船員達に呼びかければ、きっと聞いてくれる。きっと僕らの声は届く」―――そう信じて、思い出の歌『ともだち』を歌うんです。劇の最初に、インドネシア語に訳したサビの部分を子供達と一緒に歌ったので、「それをもう1回一緒に歌おう!」と呼びかけて、船員達に向かって歌います。それが、作品の一番伝えたいメッセージ「ともだちはずっと傍にいるよ。心を開いてみれば、すぐ気付くよ」―――そういうメッセージを、この作品は持っているんです。

――そのストーリーは、今回用に作ったんですか?

吉益: はい、私が書いて…

寶田: 私が曲を作りました。

■帰国後も続ける/現地でも始まる

――寶田さんはOGとして、ステージではなく1歩引いた立場で、ビデオで記録撮影したんですか?

寶田: はい、中に入りたい気持ちを抑えて、今回は記録をしようと思いました。だから逆に、(客席の)子供達もよく見えたんですけど、(舞台上の)参加した学生達の変化も凄くよく見られて、面白かったです。感動するところが一杯ありました。役者として、伝えたくても自分達に演技力が足りないということに途中で気付いて、皆の演技がどんどん良くなっていったりとか。
ミュージカルがほんとに好きで、今回「海外でやるから面白そう」って(いう動機だけで)来た人達が、津波の被害者の方と会ううちに、「あ、こういう現実が本当にあったんだ」って気付いて、皆がどんどん変わっていくのを目の当たりに出来ました。

――皆自身も、向こうで変わっていったんですね。でも、そうやって変わるきっかけを与えられても、帰国しちゃうと、それで終わりになりませんか?

寶田: いえ、皆の中に、《種》(たね)が埋まったんじゃないかなって感じています。この活動には、凄く意味があるというのを、1人1人が感じられたと思うんです。「次は何をする?」という話も、もう出ています。
それに現地では、一番最後に大学に行けたんですが、そこでワークショップをして、私達がこういう活動をしているというのを、現地の大学の演劇部の学生達に伝える事ができました。

――大学の演劇部ということは、まさに劇団『虹』と同じ立場の人達?

寶田: ちょっと違うタイプの演劇をしている人達なんですけど、そこに音源が入ったカラオケのCDを置いてきました。で、(吉益)美帆が台本を全部英訳してこれから送って…

吉益: 「現地で公演して下さい」って、(舞台で使う)着物も送ることになって。

――彼らが、アチェで引き継いでやってくれるわけ?

吉益: はい、『虹』の《種》が。

彼らは、抽象的な意味ではない、具体的な《種》蒔きをして来たわけだ。その《種》が、これから現地で芽を出し、活動が引き継がれていく。

■次の種蒔きは、中越で!

吉益: 今回、私は4年生ですが、その他は全員1年生と2年生だったんです。皆の中には、表現をする楽しさを知った子もいますし、演劇を《社会の中でどう活かしていくか》ということに関心が向いた子も多くいて、「これからも『虹』を続けて行きたい!」と強く言ってくれてます。これから先、彼らがまた新しい1年生、2年生と一緒に、どんどん活動の場を広げて行ってくれるんじゃないか、と期待しています。

――OGとして寶田さんは、そういう後輩達の姿を見ていて、どうでした?

寶田: 純粋に嬉しいですね。それに、「私も負けてられないな」という気がします。皆が活動しやすいように道を切り拓いて、社会人だから出来る事もあると思うし、どんどん道を作っていけたらいいなと思います。

――劇団『虹』の、新年の抱負は?

吉益: 具体的な事としては、今年の春に、新潟県の中越地震被災地に行って、この『レインボー航海記』を上演したいという気持ちがあります。被災地の小学校とアチェの小学校を結べたら、繋げられたらいいな。中越とアチェの子供同士の交流を、私達の手で、それこそ虹の橋を架けられたらいいな、と思っています。

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