北京の大学で下村講義「メディア・リテラシー」に学生興味津々

放送日:2006/10/21

北京市内にある中国伝媒大学(和訳=メディア大学/英訳=Communication大学)では、最近、メディア・リテラシーへの関心が高まってきている。その大学から、「日本のテレビ局がどんなメディア・リテラシー教育の実践をしているのか、事例を聞きたい」というリクエストを受け、先週火曜(10月10日)、計5時間の集中講義をして来た。熱心に聴講してくれた中国人の1人、林一戎さん(眼のツケドコロ・市民記者番号No.35)という女性に、北京から国際電話で加わってもらって、ご報告する。

■「当局がこの情報を流した意図を読め」
林:
私は、この春まで日本に3年間留学していました。そのときに、『東京視点』に1年間位参加していました。

『東京視点』は、このコーナーにも何度か登場しているが、中国人留学生を中心とした市民メディアの映像発信団体で、林さんはそこで顧問の私と知り合い、今回北京の教室で久々の再会となった。

林:
『中国メディア大学』は、中国のメディア業界で働く人のほとんどがここの卒業生という、メディア人材を養成する大学です。

メディア業界人の出身校が分散している日本には、無いタイプの教育機関だ。

午前の講義…140人参加
午前の講義…140人参加
右の講義中の写真を見ると、看板に「大衆媒体 与 媒介素養教育――行動中的日本電視界」(大衆メディアとメディア・リテラシー教育――行動する日本のテレビ界)とある。
中国というと、メディアでの発信に対して政府のコントロールがいろいろとあるような印象を受けるが、そういう社会で、「メディアの情報を鵜呑みにせず、自分の頭で考え、発信しよう」などというメディア・リテラシーの教育ができるのか? この講義の話をもらった当初は、「好きな事を話して講義を終え、教室を出た所で公安に連行されてしまうのではないか…?」などと冗談交じりに言っていたが、実際はそんな事は全くなく極めて自由だった。
中国メディア大学のある幹部は、私を含む10人ほどの円卓の場で、こんな話をしてくれた。 「中国のテレビで最近、軍人がすごく良い社会貢献をしたという事例が、急に報道された。軍の記念日でもないのに、なぜ今のタイミングで報道されたのか? 実はその少し前に、軍人の不祥事が報じられたために、落ちたイメージを回復させる狙いで、当局がこの情報をメディアに流したのだ。そういう裏の意図まで、冷静に読み取らねばいけない。」
―――これには、驚いた。

林:
(大学の幹部がそう発言したことについて)私は、全然驚いていません。すごく当たり前だと思います。
■報告1/全国サイズのネット・キー局の取組み(TBS)

メディア・リテラシーへの取組みは、テレビ局の大きさ(=地元との距離感)によって、できる事が違ってくる。今回の講義では、サイズ別に3つのケースについて、話した。
まず、《全国キー局》の事例として、今年5月28日に放送された、『TBSレビュー』という30分番組を一部上映した。今年度から、TBSは局としてメディア・リテラシー教育への取組みを本格化させているが、この番組ではその取組みの中から、番組制作スタッフの小学校等への出前授業、子供達の局内見学ツアー、局員向けメディア・リテラシー教育勉強会などの様子を映像で紹介している。
ただ、この番組だけを見ると、TBSが社を挙げて全面的にメディア・リテラシー教育の普及に向けて取り組んでいるような過大な印象を持ってしまうので、講義では、日曜の朝5時半からというオンエア時間も明かし、「今この教室で、私が発信している情報をも鵜呑みにせず、冷静に受け止めるメディア・リテラシーが必要だ」と、注意喚起を促した。
(私の夢は、いつか“メディア・リテラシー・バラエティ”番組を夜のゴールデンタイムに放送することだが、今の所は、こういう視聴者の少ない放送時間帯でしか扱われないのが実情だ。それでも、取り組まれるようになってきただけでも大進歩だと思って評価している。だからこそ、こうして中国でもお手本として紹介したわけだ。)

林:
番組の映像の中で、局員向け勉強会の講師に呼ばれていた音好宏助教授は、私の上智大学留学時代の先生だったんです。マスコミ論の授業で、先生には、メディア・リテラシーの大事さを教えてもらいました。カナダや日本のメディア業界での、メディア・リテラシーの現状も音先生から教わっていましたが、実際の活動風景は、下村さんが今回紹介してくれた番組を見て初めて知りました。
■報告2/地上波ローカル局の取組み(広島RCC)

TBSの取組みは、リテラシー=「読み書き能力」のうち、「読み」(受信)教育の面が中心だが、次に、《都道府県サイズの地上波ローカル局》の例として紹介したのは、「書き」(発信)教育の話だ。JNNの系列である広島県のRCC(中国放送)では、今夏から、地元の中高生を募って、「TVリポートを作ってみよう」という企画に取り組んでいる。自分でやってみる《発信》体験こそが、“見る目”を変える最良の《受信》教育というわけだ。夏休み中に2回、私もその活動現場に立ち会ったので、その模様を映像付きで紹介した。

林:
私は、日本留学時代に、ある中国テレビ業界のディレクターから、「1本の番組を《作る事》は、10本の番組を《見る事》よりも効果がある」という話を聞きました。(RCCの取組みを見て、私も)そう思いました。

※なお、このRCCの取組みは、今現在進行中で、まだ子供達の手で作品が仕上がる所まで行っていない。いずれ完成したら、このコーナーでその中身を詳しくご紹介するつもりだ。

■報告3/地域CATV局の取組み(笠岡放送)

《市町村サイズのCATV局》の事例としては、かつてこのコーナーでも取り上げた、岡山県笠岡市のCATV局で流れた番組を紹介した。

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番組ナレーション: 中央小学校の6年生が、授業の一環として、情報の送り手・受け手の立場を考えながら、24班に別れてビデオ制作に取り組みました。その作品が完成しましたので、より多くの人に見てもらうために、笠岡放送で紹介することになりました。
下村:
こんにちは、下村健一です。14年ほどTBSでアナウンサーやディレクターをやっていた経験から、今アマチュアでビデオ作りをする人たちへのアドバイザーの仕事をしています。今日は皆さんの作品を、3〜4本まとめて見て、コメントしたいと思います。では始めましょう!

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この番組では、「ありのままを撮ろう!」などのキーワードを散りばめながら、子供達の作品に私が具体的にアドバイスをした。決してプロのメディア人を養成するのではなく、“伝わる”表現を工夫する喜びを知ってもらうことが目的だ。

林:
私も『東京視点』で3本位作品を作りましたが、やはり初めのうちは、ただ“伝えたい”という気持ちばかりで、撮影や編集の技術が全然分からなかったんです。でも、周りのメンバーがサポートしてくれましたし、自分の気持ちをそのまま表現したのが良く評価されました。技術面は全然ダメだったんですけど(笑)。それと全く同じで、(この笠岡放送の番組に)共感しています。

メディア・リテラシーの副作用としてよく懸念されるのは、メディアに対して《否定的になり過ぎる》のではないか?という点だが、この体験学習によって、制作者が行なっている編集の創意工夫(肯定的!)なども分かるようになる。良い意味で、今日から《見方が変わる》という取組みである。

■必要だから、ピンと来る

2時間の講義の後、昼食をはさんで3時間ほど、学生からの熱心な質問が続いた。

午後の延長戦(質疑応答)…40人参加
午後の延長戦(質疑応答)…40人参加
林:
ある質問は、「メディア業界の人がメディア・リテラシーの普及に熱心なようだが、それは自分の仕事に対して規制(ブレーキ)にならないのか?」というものでした。

この質問には、「視聴者のレベルが上がれば、番組のレベルも上がるから、これは決してメディアの足を引っ張る教育ではない。メディアを育てる教育なのだ」と回答した。

林:
「子供向けのメディア・リテラシー教育で、うるさくて元気がいい子供をどうやって管理しているのか?」という質問も出ました。

これについては実体験から、「『テレビ番組をつくってみない?』というのは、とても楽しい教育。『作文を書いてごらん』という誘いよりも、よっぽど簡単に子供たちを乗せやすく集中させやすい。作文の1文字目が書き出せなくて、鉛筆を握ったまま固まっている子はよく見るが、ビデオカメラの赤ボタンを押せずに固まっている子は見たことがない」と回答した。

講義をしてみて、日本よりもむしろ、中国のほうがメディア・リテラシーについて《興味津々》という感じを受けた。私の訪中前の先入観は、完全にひっくり返された。再び、先ほどの中国メディア大学の幹部の話。
「中国奥地の農村で病気になった人に、栄養ドリンクのコマーシャルを過信した人が、『あの栄養ドリンクを飲んで治らないなら、お前は死ぬしかない。あれは何にでも効くんだからな』と言い切った。いとも簡単にテレビの言っている事を信じてしまっている。これだから、受信の仕方をきちんと教えなければいけないのだ。」
―――先述の軍人に関する報道や、この栄養ドリンクのコマーシャル過信の例のように、《発信者側は“意図が見え見え”/受信者側は“何でも鵜呑み”》という現状が明白だから、それを打破するメディア・リテラシー教育の必要性が、中国の民間人レベルでは容易に理解されたようだ。
逆に、日本のメディアでは、発信側の“意図”はそこまで見えやすくないし(自分は何の意図も込めず客観中立に徹している、と思い込んでいる記者までいる)、受信側の“鵜呑み”ももっと見えにくい無意識のレベルでなされている(自分は冷静でメディアに踊らされていない、と思い込んでいる視聴者も少なくない)。だから、「メディア・リテラシー教育が必要です」と言われても、ピンと来ない人がまだまだ多いのだ。

――「メディア・リテラシー」という言葉を、中国で聞いたことはありましたか?

林:
そういう教育の必要性は、皆意識してたけど、「メディア・リテラシー」という概念としては整理されていませんでしたね。今年の7月に『東京視点』の可越代表が、同じくメディア大学で講義をしてくれたんですが、その時に初めて「メディア・リテラシー」という言葉を耳にしました。

――今回の講義が終わって、学生たちの評判はどうでした?

林:
すごく評価していましたよ。「日本のメディア業界では、こういうことを始めているのか」と驚いて、「中国のメディア業界にも、とても参考になる」と言っていました。

この大学の学生達は皆、いずれはメディア業界に入っていく人材だ。さらに林さんは、この講義についての報告を、自分のブログに長文の中国語で掲載している。これを読んだ一般の中国人の人達が、メディア・リテラシーをどう受け止めるのかも、興味津々だ。

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