JR福知山線事故から1年(2)/妻を亡くした中村さんの場合

放送日:2006/04/29

尼崎で起きたJR福知山線の脱線事故から、今週火曜(4月25日)で1年。前回のこのコーナーでは、あの事故でご主人を亡くされた原口佳代さんのお話を伺ったが、引き続き今朝は、奥さんを亡くされた中村重男さんのお話をお伝えする。

■ご近所の“5つの味”

事故の後、TBSテレビ「サタデーずばッと」の河北ディレクターと私は、折りに触れ、中村さんに直接お会いしてお話を伺ってきた。
中村さんは、ご自身で居酒屋を経営している。以前は夜12時だった閉店時刻を、事故の後は11時に繰り上げた。それは、母・道子さんを失った中学生の1人息子のためだった。
まずは、事件から半年後の去年10月、夕方の開店前の忙しい仕込み作業の合間に、カウンター越しにお話しした時の会話から。

下村:
こういうお店だと、11時で、「すいません、閉店です」っていうのは結構…
中村:
辛いですね。皆さんにもかなり怒られながら、それでも早く帰らないと、子供が寝る前にはね。寝る前にちょっと一言でも声かけたいからね。それともう、子供と2人っきりだからね。土曜日を休ませてもらってるんですよ。売上は、3割くらい落ちてますね。
下村:
でもそうやって朝も夜も少しでもお子さんと話をするようにされてて、お子さんは大分落ち着かれました?
中村:
そうですね。落ち着いてよく勉強もしてくれます。以前よりしてくれてるんちゃうやろか。
下村:
以前より?
中村:
ええ。
下村:
そうですか。(息子さんの)朝のお弁当は皆さんの協力で、というのは?
中村:
最初(僕が)ずっと作ってたんですけど、ひと月くらいしてからね、子供の友達のお母さん方が5人で「線香あげたい」って来てくれたんですよ。それでいろいろ身の上話とかしてて、「今、どないしてんの?」と言うからね、「朝5時半に起きて弁当作ってる」って言ったら、「弁当、私らが作ってあげるから!」と言ってね。で、日替わりで、月曜から金曜まで。こんなカードも作ってくれてね。月曜は誰々、火曜は誰々って。食べた後の弁当箱は次の日(担当)の子供に渡して。だから、弁当箱も洗わんでもええように、ちゃんと回るようになってるんですよ。非常にそれは、お母さん方の協力で助かってます。
下村:
月曜日は何々ちゃんのお母さん、とか?
中村:
そうそう。金曜までびっちり。だから子供も前よりは、いいんじゃないでしょうかね。嫁の弁当だけだったのが、5つの味を味わえるからね。随分助かってますよ。

学校に持っていく、弁当作りのローテーション。こうして周囲にも支えられながら、中村家の新しい生活は始まった。

■オレンジレンジも漢検も

息子さんの名前は、海里。事故で亡くなった道子さんが、「スケール大きく、海の向こうでも活躍する人間に育つように」という願いを込めて、命名したという。
去年のクリスマスイブは、自宅で父と息子、男二人っきりの夕食だった。「光の当たらん、しょぼいクリスマスですね」とつぶやきながらも、少々お酒の入った中村さんは、父と子のこんな仲の良さを語っていた。

中村:
いやぁ、もう色々行ってますよ。とにかく彼女が海里とずっと思い出を作ろうとしてね。ニューヨーク行ったり、大リーガー見に行ったりとか…
海里:
ニューヨークちゃうもん。
中村:
大リーガー見に行ったりとかね。オレンジレンジを見に行ったり。オールスターも見に行ったし。阪神の、何戦やった? 中日? ロッテか?
海里:
ロッテ。日本シリーズの。
中村:
日本シリーズも取ったし。オレンジレンジでは、僕の方が(腕を振り上げ)やってましたよ。なんか、子どもは恥ずかしがってね。(僕が)「アホか、乗らんか!」言うてね(笑)。 アリーナ席をもろうてね。飛んでましたよ、ずっと。
海里:
最初は飛んでたけど、最後の方は疲れて、足とか、つってたりして。
中村:
あんな狭い所で飛ばれへん。―――漢字検定も一緒に行きましたわ。なんでか言うたら、漢字とかで点数落としたら、もったいないでしょ。(1月)1日は、東京。天皇杯、見に行く予定です。
今でもこの歳で、テレビ見てたら僕のひざの上に乗ってきますよ(笑)。
海里:
しない。
中村:
言うたらあかんかった? (笑)
海里:
してへんよ。
中村:
今日も乗ってきたやないか。何言うてんねん。
海里:
乗ってへんやん。
中村:
そんな事言うんか。
海里:
は? 真実や。

■人生の節目、右目の涙

海里君は、中学3年の受験生。親子であちこちに出かけて悲しみを紛らすばかりではなく、高校入試にも取り組まなければならない。中村さんにとって、海里君を志望校に合格させることは、2両目から運び出された道子さんの遺体の目に浮かんでいた、涙に応えることでもあった。

中村:
僕ね、今まで一切、「勉強!」なんて絶対言わなかったんですよ。僕が勉強嫌いやったし。できへんかったから。ところが、事故の前日に一緒に御飯を食べていて、彼女が子供にね、「海里、人生には竹と一緒で、《節目》がある。まっすぐちゃんと、旬で竹になるには、その節目節目に頑張らねばあかん時期がある。海里君、この中学3年がそうやで。この《節目》をきっちり頑張ったら、いい竹になるから」ということを言っていたんですよ。それを僕は道子と聞きながら、「ほんまに道子の言う通りやなぁ」と思ってね。「そやで」とか言うとったんですけど。…で、次の日に事故が起きたんですけど。
それからどこどこの高校には行かせたいというのがあったから、本人も「行きたい」言うから。で、成績見ると、なかなか行ける成績じゃないからね。
…事故の時に、彼女が右目に涙をためていたんですよ。あれが僕は忘れられなくてね。「やっぱり悔しかったんやろなぁ」と思うたら、「こいつをなんとか、その高校に行かそう」と思ってね。それで、勉強のこと、ぱぁっと言うようになってん。

「今が人生という竹の《節目》だ」という言葉を海里君に遺して、翌日、あの事故で世を去った道子さん。―――年が明けて、海里君の受験勉強もいよいよラストスパートに入る。 最愛の妻・母を失った悲しみの中で、がっちり結束してよく学び、よく遊んできた中村さん父子。しかし、「実はこんな事もあったのだ」と、つい最近打ち明けてくれた。

中村:
最初はね、1回喧嘩したんですよ。大きな喧嘩を…。
下村:
それは何月頃のことですか?
中村:
5月頃ですわ。ちょうど…(事故から)1ヶ月くらいたった時にね。彼もストレスが溜まってたんでしょうね。生意気な口答えをしたんでね、ガツンと言うたことがあるんです。横にこう、道子の(遺影の)前に座らせて、このお骨出して…「これでもそんなこと言えんのか!」とか言うて怒ったことがあります。「ママも居ないし、2人しか居ないんやぞ」って言うて。ぼろぼろ涙を流してましたね。
下村:
でもその1回だけ。
中村:
そうですね。
下村:
一度そこでぶつかって、良かったかもしれないですね。
中村:
そうですね。早いときにね。

■「僕も褒めて欲しい」

そして、先月20日。いよいよ海里君の、高校入試合格発表の日がやってきた。中村さんは、いつも通り忙しく、居酒屋『ながほり』の開店準備をしながら、海里君からの報告電話を待つ。

中村:
なんか僕の方が緊張してきた(笑)。海里も「緊張する」って言ってましたわ。昨日も言うてました、自分で。「勉強に関しては素質ないなぁ」って(笑)。「運動やったらなぁ、負けへんねんけどなぁ」って言って。「おまえ、それ誰の血や?」言うてたんですけどね…「パパ」って。 「なんか欲しいものあるか?」言うたらね、「ない」言うたからね、何かで釣らなあかんな思ってね、「よし、通ったら10万円やるわ」言うて。ハハハ。

「合格したら、賞金10万円!」と、笑い話を連発しながらも、次第に緊張してゆく中村さん。従業員や、店の馴染みの人などが固唾を飲む中で、電話が鳴った。

中村:
(電話が鳴る)はい、ながほりです。
海里:
『もしもし』
中村:
え、どうやったん? おかえり。
海里:
『うん、受かった』
中村:
そうか。よかったなぁ。
海里:
『うん』
中村:
10万どないするん?(小声)
海里:
『何かに使う』
中村:
いらん?
海里:
『いる』
中村:
5万にしてくれる?
海里:
『イヤ』
中村:
おめでとう。
海里:
『うん、ありがと』
中村:
お婆ちゃんに電話したれよ。バイバイ。
海里:
『バイバイ』(電話を切る)
河北ディレクター: おめでとうございます!
中村:
ありがとうございます。よかったですねぇ。…道子の気持がね、これでまぁちょっと叶ったしね。よかったよね。(涙)海里もやけど、僕も褒めて欲しいですよ、道子に。

道子さんも望んでいた、海里君の第一志望校への合格。中学卒業までお弁当を作り続けてきてくれた友達グループも、揃って同じ高校に受かり、お母さん達のお弁当ローテーションは、これからも週3日、続けられることになった。

■次の目標まで、また次の目標まで…

今週火曜日、道子さんの一周忌がやって来た。あの福知山線脱線事故発生から1年。 中村さんは、遺族としての賠償金請求交渉を、まだJR西日本側と始めていない。「妻を失った《見返りの金額》を決める話など、全くする気持ちになれない」と言う。あの日、犠牲になった乗客106人のうち、賠償金の話がまとまった遺族は、まだほんの数組に過ぎない。

下村:
道子さんの前では、2人で、「高校受かったよ」っていう報告はもうされたんですか?
中村:
2人ではしてないですけど、彼は自分で、(遺影の前に)合格通知を置いて1人でやってました。
下村:
合格祝いの10万円はどうなさったんですか?
中村:
合格祝いはね、こないだ九州に卒業旅行に行ってきたんですけど、その時に、服とか自分の物を色々買ってました。「もう、残さんでええから使え」とか言うて。「まぁ、そういうこともええかな」と思うて。ご褒美というかね。
下村:
卒業旅行って、学校で行かれたんですか?
中村:
いえ。僕と2人で行ったんです。たぶんね、高校入ったら、友達の方を優先するやろし、「今年がひょっとして最後かな」と思うたんですよ。
下村:
竹の節を1個、通過した訳ですよね。
中村:
そうですね。そうですね。
下村:
長かったですか? 短かったですか? 1年。
中村:
1年…うーん、まぁ長いと感じるときもあるけれど、「もう1年か」というのもありますね。
下村:
なんだかいつも、頑張ってらっしゃる所を取材させていただいて来ちゃったけれども、頑張れないでいらっしゃる時もおありですか?
中村:
そうですね。この子が大学を卒業したら、ちょっとガクッと来るんちゃうかな、とか思ったりするんですけどね。もう、親の責任も無くなるでしょ。で、パートナーも居ないとなったら、そこでちょっと…。うーん、気ぃ付けなあかんなぁと思っているんです。それまでは、頑張りますけどね。

海里君が大学を卒業するのは、順調に行って7年後。「その時、妻を失ったダメージが本当にやって来るのかも」と言う中村さん。きっとその頃、世間の人達の多くは、電車であの脱線現場を通りかかっても、事故のことを思い出しもしなくなっているだろう。

JRの満員電車は、何事も無かったかのように、今日もひっきりなしに走っている。

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