地下鉄サリン事件から11年・・・河野義行氏に今井紀明君が聞く

放送日:2006/03/18

あの地下鉄サリン事件から、明後日で満11年。直後に続いたオウム真理教の強制捜査で、松本サリン事件の犯人扱いからようやく解放された河野義行さんにとって、この日は“疑惑が晴れ始めた日”という特別な意味を持つ。当時世間からどんな白眼視を受けていたかについて、河野さんに尋ねたインタビューは数多いが、今回は聞き手がちょっと目新しい。一昨年、イラク人質事件でやはりバッシングを受けた今井紀明君が、彼ならではの視点から最近河野さんと対話した。

■「トボけるのもいい加減に」

まずは、11年前のあの日、疑惑が晴れたはずの日から新たに届くようになった別のタイプの嫌がらせの手紙の話から。

今井:
3月20日以降届くようになった手紙というのは?
河野:
ハガキなんですけど。いつのまにか私がオウム真理教の信者ということになっていて、「トボけるのもいい加減にしろ」と。
今井:
こういうのを見て、どんな気持ちですか?無言電話に恐怖感とか?
河野:
いや、もう、恐怖もあるけど、ウンザリですよね。

一度、クロだというレッテルを貼られ、刷り込まれてしまった《思い込み》というものは、かくも強いのか。
実は、今井君がこのインタビューを河野さんに申し込んだ理由は、彼自身が世間から受けたバッシングについて、分析してまとめたものをそろそろ本に出したいという気持ちがあったからだ。自分の経験のみでなく、同じような経験をした人達にも、意見を聞いて著書の参考にしようという趣旨で、その一環として河野さんとの初対面が実現した。

■正義感か、憂さ晴らしか

今井君自身は、バッシングをする側にはその人達なりの“正義感”があるのだろうと考えていたが、河野さんはそれをあっさり否定した。

今井:
バッシングする人達の像は、どう感じられますか?やっぱり正義感を持っている人達だと?
河野:
いや、私は、《憂さ晴らし》―――自分自身が面白くなくてこういう事があったときに憂さ晴らしをする、という動機の方が多いと思います。
今井:
イラクの人質事件や、拉致被害者の家族の方も批判されたことがありましたよね。
河野:
ええ、ありましたね。
今井:
最近、インタビューした社会学者の方によると、右も左も関係なくなってきているというか、なりふり構わなくなってきたといいます。これも憂さ晴らしの影響なんですかね。
河野:
そうでなかったら、きちんと自分を名乗って、「あなたの考えはおかしいんじゃないか」と正面切って論戦張ればいいわけでしょう。そういうことはしないで、名前を書かずに、あるいは偽名を使って、いろいろ仕掛けてくる。それは、憂さ晴らし、あるいは自分がそういうことをするのが楽しい、という類にしか、私には思えませんね。

今井君は、解放されてイラクから帰国した時に浴びた「自己責任」という言葉の大合唱は、その人達なりの正義感から出た批判という風に受け止めていた。

一方の河野さんは、なぜこうもただの《憂さ晴らし》と言い切るのか。それには、具体的な理由があった。河野さんには、まさに11年前の明後日=地下鉄サリン事件から始まるオウム騒動の中での、ある幻滅の体験があったのだ。

河野:
初めはね、嫌がらせの手紙あるいは無言電話というものが、正義感を持って、許さんっていう、そういうものだと思っていたんです。
今井:
そうですね。
河野:
ところが、1年経って、私が事件に関与しないということが分かった時に、「報道を信じてしまって、あなたを犯人だと思ってごめんなさい」という手紙は山ほど来るんですよ。ところが「自分は、実は嫌がらせをした」とか、「無言電話をかけた」とか、そういうものはまったく無いんですよ。1件も無いんですよ。
ほんとに正義感があるのであれば、違った時は、「俺、こうしちゃったけど、悪かった」というものがあって然るべきだと思うけれども、それが1件も無い。ということは、こういういわゆる嫌がらせの手紙とかを出した人、あるいは無言電話をかけた人というのは、少なくとも正義感を持ってる人じゃない、という思いです、私は。

つまり、犯人だと《思って》ごめんなさい、という謝罪をして来る人は沢山いたけれど、かつて嫌がらせを《して》ごめんなさい、という手紙は全く来なかった。これには、河野さんは本当にがっかりしたという。

■逃げない河野氏、逃げる批判者

今井君は次に、嫌がらせの手紙や電話の殺到に対し、具体的にどう対処して乗り切ったのかという、バッシングを浴びた体験者ならではの切実な質問をした。

今井:
例えば色々な嫌がらせの手紙とかありましたよね。それは気にしないようにしてきましたか?恐怖から逃れるために。
河野:
いや、それはもう、逃げない事ですよね。電話で例えば色々言って来たら、それはそのまま受ける。で「お前の親父は人殺しだ」って言われたらね、「何で、あんた、そういうふうに思うんか。お話しましょうよ」というふうに、真正面からぶつかっていくということをずっとしたわけです。「私が殺人者だ、と言ってるあなたの根拠は一体どこにあるんですか」と、話し合わなきゃ分かんないわけですよね。
今井:
息子さんは何か言っておられました?
河野:
「電話番号、変えてくれ」って。もう無言電話がすごくてたまんないという話だったですね。それはまあ、あえて変えなかったんです。やはり、電話番号を変えるという行為は、現場から逃げるということですよね。逃げていたらウチは潰されるっていう思いがあったんです。自分は何もしていないのだから、誰に対しても、真っ正面から受けて立つっていうスタンスで通したんです。

普通なら、どれだけ自分が正しくても、無言電話が煩わしくなって電話番号を変えてしまうが、河野さんはそれをしなかった。息子さんにとっても、相当ハードなことだったろうと推察される。
電話だけではない。河野さんは、サリン事件で犯人扱いしてくる手紙には、きちんと返事を出していた。そしてそれは、イラクで拘束され、「自作自演」とまで非難された今井君もとっていた行動だった。

河野:
普通に来た手紙に対しては、それに対する自分の考え方、ある意味、反論を書くんですよね。しかし、(相手には)届きませんね。
今井:
何通か届いたものはありましたか?
河野:
無いです。
今井:
全部、嘘だったんですか。
河野:
そうです。住所も違うし名前も違う。
今井:
その後、(宛先不明で)返って来た時はどうでしたかね。僕も同じく、返事出したんですよ。
河野:
「やっぱり」という思いですよ。やっぱり届かなかったかという…。
今井:
やっぱり全然ダメだったんだなと。
河野:
ええ。

どんなに返事を出しても、住所がデタラメであるから、相手に届かず返って来てしまう。こういう人達は、絶対に返り血を浴びない安全な所に自分の身を隠して、相手を非難するのだ。

■やっぱり、メディアリテラシー!

しかし、その人達を批判する前に、そういう思い込みを皆に与えてしまった報道のあり方に最初の問題があったことを、我々は忘れてはいけない。

河野さんと今井君の対話の最後は、それがテーマになっていく。どうすれば、マスコミの報道に踊らされなくなるのだろうか。

今井:
やっぱり、(嫌がらせをしてくる)彼等はマスコミの影響というか、完全にマスコミを信じているわけですよね。
河野:
基本的には、マスコミが流すニュースというのは、ほとんどが切り取られた《ごく一部》ですよ。他の事実も一杯あるわけですよね。だけれども、そういう行動に走る人にとっては、マスコミのニュースは、《全部》真実。それがすべてに近い、という感情があると思います。少なくとも私は、松本サリン事件前は、テレビ・新聞がそんなに大筋で間違えるなんて思ってもいなかったんですよ。ところが自分のことであれだけ大きく報道されたときに、「何なんだ?」っていう思いでした。自分は、突然具合が悪くなって、病院に運ばれただけなのに、「薬品の調合を間違えた、と救急隊員に喋った」などという、そんな記事がもっともらしく一体どこから出るんだ、って思いましたよね。
それから警察から、「殺虫剤使いますか?」という質問をされ、「どんな使い方をしますか?」と聞かれたから、「水で希釈して、噴霧器で消毒します」という言い方をしたのが、いつの間にか、「水で希釈中に毒ガス発生」になっちゃうんですよね。一部をかじって、後は推測して書いていく。だから、そんな記事が成り立っちゃうわけでしょ。
今井:
そういった“情報を疑う”ということについては、この事件の後、やっぱりものすごい考えざるを得なかったと思うんですけど。
河野:
だから、ほんとに小学校・中学校からそういう報道の読み方、という教育ですよね。メディアリテラシーですか。それはやっぱり、大変重要だと私は思っています。
今井:
河野さんご自身は、そういった取り組みはされているんですか?
河野:
まあそれは、シンポジウムとかそういうところで意見を言う程度の話なんですけれどもね。

河野さんはさらりと言うが、河野さんがこなすシンポジウムや講演会の回数は並大抵のものではない。あれから11年、数え切れないほど全国を回り、それは今も続いている。体験者が伝えなければ、という非常に強い思いが河野さんにはある。その思いは、バッシングを真正面からテーマに据えた本を書こうとしている今井君にも通じる。

■それぞれの流儀で

今井君はつい最近、イラクでの人質事件から帰国した当時受け取った嫌がらせのメールを、一気に自分のブログに公開した。はじめはあまり反応がなかったが、あるメディアが記事にしたところ、また当時並みのバッシングが一瞬再来したという。匿名性の高いバッシングに、今井君はまたもや参ってしまったが、今回はめげずにひとつひとつ、ブログで丁寧に回答していき、前向きな対話に進展していったという。
やり方が愚直すぎるとまた火に油を注ぐ事態になってしまうが、目を背けずにそういった対話をしていこう、とする姿勢は立派だ。
同じようなバッシング体験をした高遠菜穂子さんは、バッシングや自己責任論などには一切言及せず、今も黙々とイラクの子供たちと取り組みつづけている。それも一つのやり方だし、ジャーナリズムの世界に進みたい今井君が、このテーマに真正面から向き合い、取り組んでいるのも、また一つのやり方だ。

▲ ページ先頭へ