ハリケーン「カトリーナ」のニューオーリンズ直撃から丸1ヶ月。被災直後に、日本からいち早く現地入りしていたボランティアの中には、そろそろ帰国し始めた人もいる。今回はそのなかのお2人、新潟県三条市出身の五十嵐義隆さん(27歳/眼のツケドコロ・市民記者番号No.11)、神奈川県横浜市出身の和田崇さん(25歳/眼のツケドコロ・市民記者番号No.12)にお話を伺う。
彼等は、災害ボランティアとして活動実績も豊富な『日本緊急援助隊』のメンバーで、ローテンションを組んで現地入りしていた。
―今回は、何日頃から現地に入ったんですか?
五十嵐: | 第1陣が(9月)7日に入りました。 |
―じゃあ、被災から10日も経たないうちに現地入りしたんですね。
- 和田:
- それから、第2陣が入ったのが、次の月曜日の12日です。
―今現在、まだ現地に入っているメンバーもいらっしゃるんですか?
五十嵐: | はい、そうです。ニーズがある限り、出来るだけ続けたいと思ってます。 |
―今、「自分も行きたい」と志願している人は、何人ぐらいいるんですか?
五十嵐: | 実際に行けるかどうかはわかりませんが、希望者は100人を超えてます。 |
―それだけ多くの人を現地に送るとなると、経費はどうやって調達してるんですか?
五十嵐: | 航空チケットに関しては、今のところコンチネンタル航空会社のご好意で、空席があれば日本から現地まで無料で乗せていただくという形にしてもらってます。その他の現地の滞在費などの必要経費は、自分達で出すということになってます。 |
―皆さんは、経験豊富な方なのでお聞きしますが、阪神淡路大震災や、中越地震、インド洋大津波など、最近の大きな被災地に行っておこなうボランティア活動と比べて、"アメリカ合衆国"でのボランティア活動は、何か違いがありますか?
五十嵐: | やっぱりボランティアというものの認知度が非常に高いですね。気軽に参加しているというか、仕事が終わってから空いた時間に少しだけ手伝うという人も多くいました。それから、やはり全米各地から集まっていて、近辺のホテルの部屋は全部、アメリカ人のボランティアで埋まっているという状況でした。その行動の早さとか、ボランティア意識の高さという意味では、日本とは違うなと思いましたね。 |
- 和田:
- 施設の面に関していうと、日本ならば体育館なんかが避難所になるんですけど、アメリカの場合、通常はプロスポーツのスタジアムとして使われているドームが避難所になったので、空調もしっかりしていて冷房もしっかり効いてました。外はまだ暑い時期ですけど、ドームの中にいる限りは、汗をかかずにすむぐらい快適な空間が保たれているのは、アメリカらしいなあと思いましたね。
五十嵐: | 我々がボランティア活動をしていた、ヒューストンのアストロ・ドームという避難所に関して言えば、物資は十分に行き届いてました。 |
―そうしたボランティアの活躍とは対照的に、我々が目にする報道では、初動態勢の遅れなど行政サイドの不手際が随分指摘されてましたけど、そのあたりはどうでしたか?
五十嵐: | ひとつ現地で感じたのは、非常に多くの被災者が、次のステップとして"住まい"を探していました。そうした人達は政府の対応待ちという状態で、政府がどれぐらいそうした要望に対して迅速に対応しているのかというのは、やはり疑問に思うところもありました。 |
- 和田:
- お話している中では、元の自宅に帰りたいという人ももちろんいましたし、一方で、ドームの中には、物件を探す為のコンピューターも設置されていて、そこで新しい住まいを探している人もいました。
五十嵐: | やっぱり、貧しい人々への対応が問題じゃないでしょうか。自分たちの希望するような値段の物件が見つかるかというと難しいでしょうし、お金持ちの人と違って、新たに家を購入するわけにはいかないでしょうし。そういった苦しい状況にある方々への援助が、スムーズにいって欲しいなと願ってます。 |
―ボランティア側には、まったく不手際などはなく、うまく組織的に動けていましたか?
- 和田:
- 現地に入って、結局、誰がリーダーシップをとっているのかを見極めるのに時間がかかったんですが、赤十字の方なんかが中心になって「これをこうふうにやって下さい」と指導してくれたりしていました。
―中越地震なんかでは、まず現地に行くとボランティアセンターがあって、まずはそこで受付を済ませてましたけど、同じ感じですか?
- 和田:
- そうですね。
―ボランティアは、いろんな国から来てましたか?
五十嵐: | 海外からよりも国内から来たボランティアが多くて、「日本から来たんだ」と言うと、とても喜んでくれました。むしろ「学生でアメリカに留学してたのか?」というふうに聞かれて、「いや、災害救援のためだけにきたんだ」と言うと、「わざわざ日本から!」と驚かれました。 |
―治安や衛生状態はどうでしたか?
五十嵐: | 我々が行ったアストロドームでも、手錠をかけられた人もいたみたいですけど、警察も軍隊もいて、かなり犯罪行為は防がれているんじゃないかなと感じました。 |
- 和田:
- ドームの中を、空軍・海軍・陸軍の兵士や地元の警察官が巡回してました。それから衛生面に関しては、ボランティアでも「手を清潔に保って下さい」という指示が出ていて、要所要所に消毒液が用意してありました。
―避難所のドームの中は、クリーンに保たれていたということですね。そういったなかで、ドームの中で今、必要とされているニーズというのは何ですか?
五十嵐: | 中越地震でもスマトラの津波でもそうだったんですけど、避難所生活が長引けば長引く程、フラストレーションや将来への不安というのが募って来ます。ですから、一緒にいて時間を共に過ごすなかで、いくらか《心のケア》になれるような、そういったことが必要になってくると思います。物質的なニーズについては整ってくると思うんですけど、定住する場所が見つかるまでは、ボランティアとの触れ合いの場というのが、精神面で非常に大きな意味を持つんじゃないかなと思います。 |
―実際、精神的に煮詰まってしまっていて、だんだんそれが高じているような空気はありましたか?
- 和田:
- そうですね、ドームの中で子育てをしているお母さんなんかはやっぱり、自分のことだけじゃなくて子どものこともあってストレスを感じているように見受けられることもありました。でも思った以上に、これはアメリカという社会の気質なのかもしれませんが、すれ違うときに挨拶をすると必ず笑顔で返してくれたりして、意外に、失意のどん底にいるわけではない、という印象を受けましたね。
確かにアメリカという国は、強い者と弱いものがきれいに分かれてしまっていて、弱い者は見捨てられる社会だが、同時に、ひとりひとりの《その場での助け合い》というのは、皆上手で、スッとスマートに出来るのだ。それが、社会の構造的な欠陥を補っているような気がする。
―何かホッとするようなエピソードには出会いましたか?
- 和田:
- はい。僕が滞在してる間に、ドームの中で結婚式がありました。写真にもあるように、年配のカップルだったんですけど、その時間は、ボランティアも被災者も皆協力して、バージンロードのような通路を作ってあげて、皆でお祝いしてあげてました。なんか、すごくあったかいもの、アメリカらしさを感じました。ああいう状況下でも、白のウェデングドレスと、タキシードを着てましたし、ゲストとして、ボクシングの世界チャンピオンだったホリフィールドも来てました。
―今は避難所暮らしですけど、これから水がひいて、自宅に戻ってからが本当は一番大変で、そのときに、さらにボランティアの人手が必要になるでしょう。その段階になったら、『日本緊急援助隊』としては、また何かされる予定ですか?
五十嵐: | そうですね。状況をみて、もし入れるようだったら、ニューオーリンズの方にも人を送れたらいいなと思ってます。情報をきちんと把握して、どこに行くべきか、何をすべきかを見極めようと考えてます。 |
お2人の場合は、かなり規模の大きい避難所にボランティア参加しての報告だったが、出入り規制がされていた地域に入ったピースボートのメンバーからの帰国報告などを聞くと、ドームでの避難生活とは、またかなり状況が違っているようだ。そうした場所に居残った人達が身を寄せ合っている避難所では、(ドームでは十分だという)物資も相当不足しがちだし、ボランティアもパラパラとしかおらず、場所によってはかなり深刻な状況だという。一月経っても、そうしたところの情報までは、まだ報道で十分伝えられていないのだ。