今、ある女子大生が、自分の作ったビデオ作品『みんな、空でつながっている』を日本中の人達に見てもらいたくて、一人で全国縦断ツアーをしている。北海道から出発して、いよいよ来週火曜(9月6日)頃、沖縄のひめゆりの塔の前でゴールインする予定だ。
■なぜ「1000人」に挑むのか
どんな作品を皆に見せているのか、まずはオープニングのナレーションからご紹介する。
(作品より)
フラッシュを浴びた18歳、今井紀明くん。イラクで人質となり、その後、日本中から自己責任というバッシングを浴びることとなった。あの事件は一体なんだったのだろう…。
作品の主人公は、去年4月に、高遠菜穂子さん(眼のツケドコロ・市民記者番号No.1)達と一緒にイラクで拘束された今井紀明さん。そして、ナレーションの声の主が、このビデオ作品の作者である橋爪明日香さん(青山学院大学4年/眼のツケドコロ・市民記者番号No.8)だ。
あの事件発生直後、市民運動グループが人質家族のメッセージ・ビデオを撮影してアルジャジーラTVに持ち込み、この3人が人道支援活動ボランティアやジャーナリストであることを拘束グループに知らせようと動いた。その時の、家族のメッセージ撮影でカメラマンを務めたのが、この橋爪さんだった。(そのときの経緯については、解決直後の去年4月、このコーナーでもお話を伺った。)
それ以来、橋爪さんはこの問題にこだわって、今井君を追っかけ、自分のホームビデオ・カメラで撮り続けた。橋爪さんは当時から、
「“撮って出し”はやめて、じっくり考えてから、何か出来る事をしたいなと思っています」
と語っていたが、その初心を貫いて、撮影半年・編集8ヶ月という丁寧な作業を経てついに、先月(8月)初め、13分のビデオ作品を完成させた。
そして、そのテープを持って今、全国行脚をしているというわけだ。市民メディアの発信方法として、《各地を巡って上映会》という形はよく聞くが、橋爪さんは、もっと安上がり。なんと、ビデオカメラに付いている小さな液晶モニター画面に作品を映し出して、駅前などの人だかりで、見知らぬ人に声をかけて見てもらうのだ。まさにゲリラ的なこのスタイルで、1000人に直接見せて対話することを目標としている。TBSの全国ネットの番組だって、視聴者から1000本感想が来て、それに全部制作者が応えて…なんていう大規模なコミュニケーションは、成立していない。その意味では、これはすごい《マス・コミュニケーション》だ。やはり、市民メディアの底力は侮れない。
それにしても、ただインターネットで流すだけ、という方法でも可能なのに、何故わざわざここまでするのか。全国行脚中の本人を長野でつかまえて、聞いてみた。
- 橋爪:
- 「作って終わり」にしたくないんですよ。番組は"前座"でいいから見てもらって、その後にいろんな人と話をしたいというか、これを見てもらったら、人によってどんなことを感じるのかとか、そういう話を聞きたいんですよ。
―きっかけにしたいの?
- 橋爪:
- きっかけにしたい。一番面白いのが、今井くんに対してすごい否定的な意見の人に見せたりしたときに、私も結構勇気はいるんですけど、よくよく話を聞いてみると分かるところもあるし、で、こっちの話も聞いてもらえればなんか分かってくれるっていうか。だからバッシングから意見が変わったりしてくれる方がいて。私はそういう事がやりたいんですね。
―実際にそういうことあったんだ。
- 橋爪:
- はい。だから、それにチャレンジしたいっていうのがあって。あの事件ではインターネットでのバッシングが酷かったので、だから逆にインターネットで挑戦したいのもあって。
最後に言っている「インターネットで挑戦」というのは、この旅の日記を、毎日ブログでその場所その場所からアップし、それを読んだ日本中の人達が自由にコメントを書き込めるような仕掛けを作っていることを指す。議論の場も、本当に多様になったものだ。
■既存メディアの「自粛」に挑戦状
さて、この作品、前半のクライマックス・シーンは、当時日本の大手メディアでも流れなかった、ある映像。それは、拘束中の今井さん達3人が、首に刃物を突きつけられ、今にも喉元を掻き切られそうになっているショッキングな場面だ。刺激が強すぎるからと、各TV局が放映を自粛し、実際に当時TVで流されたのは、刃物無しで「NO、小泉」と言わされているシーンだけだった。その"穏やかさ"から、世間では「自作自演の芝居」説まで生まれた。
ところがインターネットでは、そのドギツい刃物の映像がどんどん流れていて、そこに映る今井さんたちの恐怖に引きつった表情は、芝居説など成り立つ余地のないものだった。当時から「どうしてこの現実を大手メディアは報じないんだ」と議論にはなっていたが、その議論自体を勿論大手メディアは報じなかったから、知る人ぞ知る、という状態だった。
橋爪さんは、インターネットからそのシーンを自分の作品の中にためらい無く取り込んだ。
(作品より抜粋)
ナレーション: | 自作自演とも言われていた映像の中には、日本では自粛されていた映像があることを、私はたまたまインターネットで見つけてしまった。 |
今井さんの父: | これがTVで放映されていません! 世界で今、このTVの映像は報道 されています! (日本の)TVに載らないのは、なぜなんですか! もうこれを見る たびに私は、息子は死んでるんじゃないかと思ってます、正直言って! |
ナレーション: | その映像を街頭で、見てもらった。 |
男: | ちょ、ちょっとこれ…。 |
女: | えー! |
作品では、街角で橋爪さんがビデオカメラの横の小さな液晶モニター画面に問題の映像を映し出し、それを覗き込んで見る人達の驚きの表情を捉えている。これは、大手メディアの我々にとっては、挑戦状を叩きつけられている様な感じさえする。 当時、橋爪さんがそんなメディアのあり方にどんなに憤慨していたか、一緒に暮らす橋爪さんの妹さんが証言してくれた。
―今井君のこととか、「自己責任」とか言われたことについて、家に帰ってなんか怒ってたりとかしてた?
- 妹:
- あ、してた、してた。「もう、ホントむかつく」とか言って。「ホント、テレビってあり得ない」とか言って。
―「テレビってあり得ない」?
- 妹:
- 「ホント、口惜しい、口惜しい」とか言って。いきなり、帰って来て泣いたりとかして。「あ〜、どうしたのかな〜」と思ったりして。
―そういうとき、妹としてはどうするの?
- 妹:
- 「頑張れ、応援してるから頑張れ」とか言って。「お姉ちゃん、絶対頑張るから」とか、いつも言ってた。
―今は、そういう「口惜しい」気持ちは、自分でビデオ作ったことで、納得したのかな?
- 妹:
- う〜ん、多分。
以前なら、テレビの前で文句を言ったり、テレビ局に反論の投書を送るぐらいしか出来なかったのが、今や、こうやって自分で《代わりの発信》が出来るようになったのだ。
■熱いけれど、押し付けない
妹さんとお話ししていて、もうひとつ興味深かったのは、この姉妹2人の距離感の保ち方だ。こんな元気な活動をしている姉と同居していたら、きっと勢いに巻き込まれて大変だろう、と思いきや、姉である明日香さんは、ちゃんと妹さんのマイペースを尊重している。
私は「市民メディア・アドバイザー」という仕事柄、こういう市民メディア系の活動をしている人を沢山知っているが、常々思う印象として、行動の仕方が“押し付けがましくない人”が多い気がする。撮影を体験すると、誰しも《TVカメラは暴力だ》と気付く。プロはそこで「仕事だから仕方ない」と割り切るけれど、市民メディアの人は、そういう言い訳を持っていない。だから結局、自分で引き受けるしかないから、そこで一種の“申し訳ない”気持ちが芽生え、周囲に働きかけるにもデリケートになっていくのかもしれない。
妹さんのペースを尊重している明日香さんのやり方を、その妹さん自身が次のように証言している。
―どんなお姉ちゃんですか?
- 妹:
- 変、変。変!
なんか、いつも忙しそうで、何やってるか分かんないけど、なんかテンパってる、いつも。
―「妹として、一緒にやりましょうよ」みたいに誘われたりとかは、ないの?
- 妹:
- よく、「どっか行こうよ」とかは誘ってくれる。けど、あんま行かない(笑)。なんか頑張ってるんだなァとは思うけど、何やってるかよく分かんない。なんか勢いがありすぎて、ついて行けない(笑)。ほんと、やりたい事やってる、かな。カッコいいな〜とは思うけど、まあちょっと心配。
―心配なのはどういうところ?
- 妹:
- え〜、なんか、「あの人、結婚できないんじゃないかな」と思って(笑)。ほんと、「あんなのについて行ける人、いないよ」と思って。
―お姉ちゃんがあれだけ年中ビデオ持ってて、妹として「自分も撮ってみよう」とか思わない?
- 妹:
- あ、思う。それは、すごい気になって。私も写真やりたくなって、自分でバイトしてカメラ買って、写真撮ったりなんかしてて。なんかビデオもいいな〜と思って。
クールに姉の活動を眺めつつ、程よく影響を受けている感じがよく伝わってくる。
■市民メディアだから出来た事
相手に圧力をかけない、身構えさせない、という橋爪さんの姿勢は、取材・撮影でも同じだ。作品の後半、彼女のカメラに映る"今井紀明"は、大手メディアのTV画面に現れた彼とは全く違う、リラックスしきった自然な19才の少年の表情をしている。そんな素顔のインタビューは、作品の中で何箇所も登場するが、その一部をご紹介する。イラクで拘束され、どこかの民家に監禁されている最中、見張り役の老人と一緒に夜の星空を眺めていた時のエピソードから。
(作品より)
- 今井:
- もう流れ星も全部! 全てがプラネタリウムみたいな。全部もう一面がそれで、びっくりした。あんなに綺麗なのは初めて! 見張りのじいちゃんがさ、「綺麗だ」って。すごい、だからね、そこでは、ある意味でちょっと《つながれた》って言うか。もちろん、すごい敵対心持ってる兵士は沢山いたけど、でもすごい、あのじいちゃんとかは、世話してくれた…。
自己責任論者からは、「皆を心配させといて、犯人達との交流を語るとは、何事か!」と、またバッシングの材料にされそうなエピソードではある。そうした反応を警戒してか、今井さんも普通のメディアの前では、こうした拘束中の実際の姿、つまり犯人像を理解する手がかりになるようなことは、決して語らなかった。そういった《建前論の影に隠れた真相》を引き出して伝えてくれる、という機能も、市民メディアの真骨頂だ。
この作品中で交わされるやりとりは、《インタビュー》というより、同世代の友達同士の《会話》に近い。実際、例えば今井さんが、帰国後の家族との交流を語るシーンでは、撮影している橋爪さんの「うらやましいなぁ〜」という声が入ったりする。そもそも撮影開始の発端となったのが、家族メッセージの撮影だったから、その時点から、橋爪さんにとっては「家族」というものが、この取材の隠しテーマになっていたのだ。
- 橋爪:
- あの事件をきっかけに、私も家族の大切さとか分かったというか。
―それから、実際、橋爪家というのは変わった?
- 橋爪:
- 変わりました。去年の夏休みに帰った時、初めてお父さんとお酒を飲んで。そしたら実はお父さんが、若い頃に学校を辞めて、バイクで北海道まで旅しに行った事があるっていう話をしてくれて、じゃあ(私も)いつか行ってみたいなって。
―それと、このビデオを見せて歩く旅がつながったんだ。
- 橋爪:
- つながったんですよ。
―じゃあ今井家の闘いを見て、逆に橋爪家が再生したわけだ。《伝える》っていうより、《自分が変わっていく》っていう…。
- 橋爪:
- ああ、それです! 別にあたし、伝えたくてやるなんて、そんな大それたこと出来るなんて思ってなかったし。むしろカメラを向けるっていうのは、人から《奪う》ことだっていうのを、その時すごい感じたので、「こんなあたしが撮っていいのかな」というのは、いつも思いながらやってました。
「取材しながら自分が変わっていく」というダイナミズムは、日々のニュースに追われているプロの報道の人間にはなかなか出来ないことだ。そこに、市民メディアの作品ならではの面白さが滲み出る。プロの場合、どうしても取材対象と一定の距離をとろうと努力してしまうが、橋爪さんの場合は、最初からそんな意識はない。もろに今井紀明という人間に巻き込まれながら、自分も揺さぶられていった、そんな半年間の記録だ。
この『対話の旅プロジェクト』も、もうゴールイン目前。彼女に道中バッタリ会うことが出来なかった方は、是非この作品『みんな、空でつながっている』を、ご自宅のパソコンからインターネットでご覧になっていただきたい。
また今月(9月)25日(日)の夕方6時からは、橋爪さんと今井さんの「レビュー&トーク」が、以前このコーナーでご紹介した、東京・東中野の『ポレポレ坐』で開催される。橋爪さんの対話相手1000人に加わりたい、という方は、ご参加を。