高遠菜穂子のイラク月例報告(4) 避難所の現実と、大晦日の希望と

放送日:2005/1/15

高遠菜穂子さんのイラク活動報告、4回目の今回は、イラクの隣国、ヨルダンの首都・アンマンを訪問中の高遠さんに、国際電話でお話を伺う。

高遠:
大晦日に日本を出まして、オーストリアのウイーン経由で、1月2日にアンマンに着きました。

−じゃあ、移動中に年明けを迎えたと。

高遠:
そうですね。

−現地では、どんな年越し風景が見られるんですか?

高遠:
2003年の年末はバグダッドで迎えたんですが、夜中の12時には祝砲が上がってましたよ。「Happy New Year」ということで。
ヨルダンでは、イスラム教の「イード」というお正月のような行事があるんですが、その時よりは、少し盛り下がったかな、というのはありますけどね。

−大晦日に日本を発ったということは、その直前に、あのインド洋の大津波のニュースが入ってきたわけですよね。高遠さんは、4年前の西インド大地震で被災者支援に携わったそうですが…

高遠:
新聞で、サリーを来たインドの女性が泣き崩れている写真とかを見て、やっぱり西インドを思い出しましたね。
あの時、私は現地にいたんですが、新聞の一面にはいつも遺体の写真が載っていて。現地で一番心配されたのは、2次感染ですね。コレラとか、肝炎とかマラリアとか。遺体があまりにも多すぎて、埋まったままっていう状況でしたから。感染は、水が汚染されることで起こるんですね。
だから多分、今回の被災地でもそうなんだろうな、と。もっとひどいんじゃないかな、と想像しています。

−イラクの状況ですが、高遠さんのグループの現地スタッフが活動の拠点にしているファルージャは、現在どういう状況なんですか?

高遠:
ファルージャでも、市内中に遺体が山のようになっていて、家の中にも知らない人の遺体があったり、家自体もかなり壊されている状態で、とても避難した市民が戻って生活が出来る状態ではないと、報告を受けました。

−避難民の人達は、いわば“仮設住宅”のようなキャンプへ移っているわけですよね?

高遠:
昨年9月の時点で既に避難民は大分いましたが、今はほとんどの人達がファルージャから避難しています。郊外の学校などで、そこにある机とかを重ねてスペースを仕切った中で、何十もの家族が住んでいたり。テントで何ヶ月も避難生活を送っている人達もいます。

今、イラクは雨季なんですよ。雨が降ってしまうと、布製のテントが濡れるし、テントと言っても床部分がなくて地面に直に暮らしているので、非常に冷たいと。砂漠に雨が降ると、粘土状になるんです。夜は冷え込みますし、かなり厳しい状況ですよね。

−そういう中で、たくさんの人達が年越しをしてるわけですよね…。
  いつもこの報告で登場する現地メンバーのカーシム君が、避難民キャンプに行った時の様子をメールで報告してきたとの事ですが?

高遠:
カーシムからのメールも、大分減ってるんですよね。インターネットに繋げるお店へ行くのも、大変危険になっているという事で。お店へ行っても、ネットが繋がらない状況が何日も続いたり…。

そんな中でも、ファルージャの再建プロジェクトのメンバー(彼ら自身、ほとんどが避難民の状態なんですけど)と一緒に、避難民キャンプまで、ストーブや毛布を届けたんですよ。
その様子を、カーシムがメールで報告してくれました。キャンプの中には、家族を失った子供達もたくさんいて。ある7歳の少女は、空爆でお母さんが亡くなったそうなんですね。でも、その子の家族はそれを隠して、「もうすぐお母さんに会えるよ」という感じの事を言っているらしくて。その子は、寒さの中でずーっと、お母さんを待っている。ガリガリに痩せてて、彼女自身が死にそうだったと、カーシムのメールには書いてありました。

−食料も、あまり行き渡っていないんでしょうか?

高遠:
今回、食料も少し配給できたんですけど、「11月8日の総攻撃以来、初めて食べ物の配給を受けた」っていう家族も、いたみたいです。

そのカーシム君からのメールの一部を、高遠さんが書いている『イラク・ホープ・ダイアリー』からご紹介する。

(以下、カーシム君のメールより引用)-----------------------------------

僕は今ラマディにいます。状況は悪く、戦闘はいつどこで始まるかわからない状態。(中略)

ファルージャの住民たちは自宅に戻ろうとしたけれど、彼らがそこで見たものは破壊され尽くした家々と、その中で横たわる見知らぬ人々の死体だったんだ。住民は引き返すしかなかったんだ。僕が思うに、住民が自宅に戻るには少なくとも3ヶ月、いやそれ以上はかかるだろう。ファルージャにはもはやいかなる”生”もない。あるのはただ、壊された家と死体だけ。

ラマディにおいても同じ。毎朝、通りに死体がいくつも転がっている。昨日の朝だって、8人の若いイラク人青年の死体があった。彼らは米軍の手伝いをしてたらしく、誰かに殺されたということだ。

僕にはもう何が何だかわからない。何が善で何が悪なのか?だけど、これだけは言える。みんな銃を持ってるから悪いんだ。

君たちが、ファルージャやラマディの民間人犠牲者に対して敬意を持って気にかけてくれるということは、彼らにとって大きな励ましになるんだ。沈黙の世界にいるよりもずっと、友達がほしいと思っている彼らの「平和な心」を励ますことにね。僕はそう思ってるよ。ありがとう。

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−カーシム君のメールはいつも、どんな悲惨な状況を伝えてきても、「ありがとう」という前向きな方向になりますよね。

高遠:
そうですね。それが、私にとっても救いだったりします。状況としては彼らの方がずっと厳しいんですが、話だけ聞いていると、こっちが挫けそうになってくるので…。

−カーシム君自身の自宅は、大丈夫なんですか?

高遠:
カーシムの家の前で、車が米軍に空爆されて、乗っていた家族連れが全員死亡してしまったそうなんです。他にも8人くらい負傷者が出ていて。車に乗っていたのは、ラマディにあるアンバール大学の教授の一家だったんですが、カーシムも、そのアンバール大学の出身なんですよね。

その空爆の情報は、イラク国内ではテレビで放送されていたらしいんですけど。ファルージャやラマディでは、アルジャジーラとかアル・アラビーアとか、大きなテレビ局も今は入らないので、「ヨルダンで見てみてくれ」って頼まれたんですけど、どこのチャンネルでもやっていませんでした。そういう風に、亡くなっていく人たちの情報がイラクの外では全く知らされないというか、もう報道が不可能な状態なんですよね。

−そんな中でもカーシム君達は避難民キャンプに行ったという事ですが、高遠さんのグループの支援は、進んでいる事は進んでいるんですか?

高遠:
そうですね…。全体的にという訳にはとてもいかないんですけど、イラク・ホープ・ネットワークに参加しているNGOと協力して進めています。

支援の一つのルートは、バグダッド経由です。“イラク支援ボランティア・高遠菜穂子”のところにお寄せいただいた寄付金の一部の50万円を一本化させて、JVC(日本国際ボランティアセンター)が窓口になって、アル・アミリヤの地区とか、バグダッドに避難しているキャンプの人達に支援として寄せています。

もう一つのルートとしては、カーシム達はじめ、ファルージャ再建プロジェクトのメンバーによる支援があります。これは、学校の再建費用としてバグダッドの銀行に置いていた寄付金の一部を、緊急支援という事で、毛布・ストーブ・燃料・食料なんかを買うのに使っています。この寄付金も日本から送られたものです。

−実際、避難している人達に買って届けているのは、どんな物資なんですか?

高遠:
食料は、小麦粉、米、砂糖、トマトソース、チーズ、紅茶、ラード…。そういったものをセットにして、1つの家族に渡しています。大家族の場合にはそのセットを2つ渡したりとか。
それから、子供達に、冬服のダウンジャケットのようなものを届けました。今はかなり寒いので、現地から送られて来た写真には、ジャケットを届けられた子供達がすごく喜んだ顔で写っていました。

−そういう写真が撮れるという事は、高遠さんのイラク人の仲間が、現地に直接出向いて、手渡しているという事ですよね。

高遠:
そうですね。毛布なんかも、小型のトラックにたくさん積んで配っているんですけど、その時の様子も、写真で送られて来ています。
「日本の皆さんからの実用的な贈り物に、とても喜んでいます」っていう報告メールも来ました。避難民の人たちも、その事をよく話しているそうで、「本当にありがとう」というメッセージも届いています。

ファルージャ総攻撃があって以来、どうしてもそちらの緊急支援に目を向けなければならない状況だが、高遠さんの活動の原点である《ストリート・チルドレンの立ち直り支援》も、この間、着実に進んでいる。 大晦日、そのストリート・チルドレンの一人だったアッバース君から来た手紙を、一部ご紹介する。

(以下、アッバース君の手紙から引用)---------------------------------

親愛なる菜穂子へ
アッサラームアレイクム!(あなたに平和!という意味。こんにちは。)
菜穂子がいなくて寂しいよ。
僕は菜穂子に僕の新しい生活ぶりを早く見せたくてしかたがないんだ。
僕はもう菜穂子が知ってるストリートボーイじゃないよ。
僕は今、立派な大工なんだぜ!
菜穂子とスレイマンさんのおかげだよ。
僕は家族の元に戻ったんだ。もう絶対に彼らから離れない。
仕事先のボスも僕のことを気に入ってくれてる。信用してくれてるんだ。
僕はいい男になったんだぜ!みんなが僕に敬意を払ってくれる。
僕はもう汚くなんかないし、ちゃんとした身なりをしてるよ。
菜穂子、いつか僕が結婚して娘が生まれたら、
約束するよ、その子に菜穂子って名前をつけるんだ。

愛を込めて。すべてのボーイズから愛を込めて。
2004年12月31日
アッバース

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高遠:
これがあるから、イラクに向かっていけると言うか、向き合えると言うか。嬉しいですね、やっぱり。

−今年の活動の予定は?

高遠:
まだ「予定」というより「希望」なんですが、イラクの友人を日本に招待して、《彼ら自身の言葉でイラクの事を伝える》機会を持てたらと考えています。今年の後半になると思いますけど…。
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