奈良女児殺害犯逮捕とメーガン法論議

放送日:2005/1/8

奈良の小1少女誘拐殺害事件の容疑者が、先週逮捕された。46歳、新聞配達員のこの容疑者は、過去2回の性犯罪での逮捕歴を持っていた。現時点(1月8日)ではまだこの男が今回の犯人とは確定していないが、既にこの段階で、「そんな前歴のある者は、出所した時点で地元社会に知らせてよ」という議論が起こっている。
そこでモデルとしてよく引用されるのが、米国の「メーガン法」。私は98年、TBSニューヨーク支局に勤務していた頃、『NEWS23』の取材で、この連邦法が出来てまだ2年の混乱が残る現場を訪ね、広い合衆国の西岸(ワシントン州)・南部(ニューメキシコ州)・東岸(ニュージャージー州)を飛び回った事がある。また、2000年には、当時暮らしていた州で一時的に同法が裁判所命令により停止されるという迷走があったのを機に、当コーナーの前身である『ビッグ・アップル・リポート』でも、この話を詳報した。(その内容は、私のサイトを参照されたい。)
 現在は、インターネットを使った告知や、発信機を使った該当者の居場所の把握などの技術が、当時より格段に進んでいるので、上記のリポートは話としてはもう古いのだが、当事者に直接話を聞いた《感覚》(これはまだ少しも古くない)は、現在の議論の参考になるはずである。

この議論で私がいつも真っ先に思い出すのは、在米当時、息子の通っていた小学校から、このメーガン法にのっとって「近所に性犯罪前歴者が来た」という知らせを受けた時のことだ。最初はやはりギョッとしたのだが、しかし、知ったところで、どうしていいか分からなかった。もともと米国では子どもの登下校は自動車送迎が一般的で、我が家でもそうしていたのだが、それ以上新たに何か防犯対策を講じるという事もできず、ただ不安感が募っただけ、という記憶がある。

実際、今回の奈良のケースでも、「こういう前科の男が新聞配達をしています」と前もって告知されていたとして、地元では何が出来たのだろうか? 被害者の通っていた小学校で事件後に実際に始まった大掛かりな集団登下校が、容疑者の住んでいた町を含む周辺市町村一帯で、告知直後から一斉に始まって、今までずっと継続していただろうか? そうすれば確かに、あるいは事件は防げたのかも知れない。しかし、全国で告知がルール化されたとして、それを受けた該当地域やその周辺すべてで、そういった対策がとれるだろうか。「そんな苦労をするより、そいつ1人がこの町から出て行けばいい」という流れになってしまわないだろうか。

カリフォルニア州の小さな町で、性犯罪前歴者の存在を知らされた住民達によるデモ行進があった時のニュース映像を、当時詳しく調べたことがある。行進に参加する人が持つプラカードには、「性犯罪者は殺せ」とか、排斥運動に反対する人を名指しして「おまえの近所に移せ」という文字が書かれていたりした。もちろん、これらは全体から見れば突出したケースではあるが、こういう事が現実に起きると、社会復帰した当人をまた追い込んでしまい、かえって危険なのではないか。“加害者側の人権”論争以前に、《社会防衛上、危険が増して問題では》という視点も入れて、議論を深めた方が良いのではないか。

もう1点、日本社会にこの制度が導入されたらどうなるかを考える時に必要なのは、米国と日本の《空気の違い》だ。
例えば、(これは性犯罪がらみの話ではないが)私がニューヨーク支局にいた頃、自分の学校で銃撃事件を起こしてしまった少年の実名と顔写真が報道された、という出来事があった。それから半年後、銃撃を起こした少年の母親が私のインタビューに応じてくれたのだが、母親のもとには、「今は辛いだろうが頑張れ」といった激励の手紙が、文字通り全米から、続々と寄せられていたのだ。段ボール箱からランダムに取り出した手紙を何通も読ませてもらいながら、私は心底感動した。嫌がらせももちろんあるだろうが、そういった苦しい立場の人をサポートしようとする大規模なリアクションも、米国社会では同時に起きる。
一方、日本社会ではどうかと言えば、私の記憶に鮮明なのは松本サリン事件で犯人扱いされた河野義行さんの事だ。河野さんに見せられたファイルには、激励の何十倍も、匿名での嫌がらせや脅迫が、手紙・FAXで殺到していた。
異質な者同士が共存していく大陸と、同質な者だけで固まろうとしてきた島国との、根本的な違い。そういった異なる社会にポンとシステムだけ輸入しようというのは、かなり無造作な発想だ。《告知される住民側》の過剰反応対策をしっかり講じるために、色々な工夫の模索が求められる。

メーガン法に反対する人権団体・ACLU(米国自由市民連合)の人が、当時私にこう言っていた。
「一番大事なポイントは、《何が本当に効果的か》ということです。 《何が耳に心地よいか》ではなくてね。」
―――冷静にそれを捜す時期が、日本社会にも来ている。

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