奈良女児誘拐殺害事件と地元コミュニティ

放送日:2004/11/27

奈良県の小学1年の女の子・有山楓ちゃんの誘拐殺害事件は、発生からちょうど10日経った今も未だ犯人が捕まっていないため、地元の人達の緊張感も解けない状態が続いている。今回は、事件そのものでなく、この地域住民たちに着眼する。

楓ちゃんが通っていた奈良市立富雄北小学校は、実は、半年前に“子供を守る模範ケース”として、新聞各紙で一斉に大きく報道されていた。自治会の手で、学校の正面玄関脇と裏門脇に、不審者の侵入を見張る監視小屋を作った、という記事である。(この小屋はその後、『みてるくん1』・『みてるくん2』と子供達が命名した。)

この「みてるくん」が出来上がるまで/出来てから今回の事件が発生する直前まで/そして今―――の3つの時期で、地元住民自治会の《子供達を守ろうとする取り組み》には、色々な曲折があった。奈良市富雄地区自治連合会の馬場徹会長に、事件発生の翌々日に伺った。(『サタデーずばッと』で一部紹介済みだが、より詳しくお伝えする。)

馬場徹・奈良市富雄地区自治連合会長:
5〜6年前から「子供を大事にしよう」という(活動方針の)中で、「(各地区の)自治会長達が、登下校時に表に立とう」といっぺん決めたんですが、これがなかなかできない。3年待ったけどできなかったなぁ。やっぱり、サラリーマンがおるし、「我が家はちょっと路地に入ったところや」とか、「マンションだ」とか、言い訳の方が先走りましてね。ま、事情は分かりますわ。
そしたらたまたま、池田の問題(2001年6月に大阪教育大付属池田小学校の校内で1・2年生 8人が殺害された事件)があったでしょ?いち早く、僕、学校の前に飛んで行って、あと5〜6人の方にいつも応援してもらってね、学校を守りましたよ。

あの事件で地元関西の受けたショックは、関東とは比べ物にならないぐらい大きい。それまで3年間、呼びかけてもなかなか動かなかった安全対策が、あれで一気に動き出したというわけだ。その一環で、「皆で金を出し合って監視小屋も作ろう」という話になった。

馬場:
校区3900世帯が自治会に加入していて、その各家からお金を頂こうと。まぁ、200円とか、150円とかいう案はあったんですけど、もう50円でええと。とにかく出して頂いたら、《子供を守る意識》が出るということで。
安達孝雄・同連合会顧問:
皆さんから集めたお金でやるんだ、行政からは1銭ももらわない。もらわない方がいい、という判断ですな。あくまでも、地域住民が「自分達の金で建てたんだ」と、改めて防犯意識を持って欲しいから。
馬場:
全部でね、寄付としては120万円集まりましてね。連合会からあと50万ほど出しまして、(小学校の)表と裏に警備の小屋を作ったんですよ。その作るのも、自治会長で大工の人がおられてね、非常にすばらしい人。それから、木工に非常に強い人がおりましてね、それと手伝いの人。プラス、富雄北小学校の楳田校長、これがまた大工が上手いんですわ。その4人で夏休みずっとやってましたね。
安達:
人件費は一切使ってない、材料費だけ。奈良市の土地に我々が建てたんで、市に全部寄付しときました。

「行政でやってくれ」というのではなく、「自分達でやるんだ」という意識を高めるために、お金も自分達で出し合って、完成した小屋を市に寄付するとは、逆転の発想だ。しかし、よく考えると、これが正しい順序ではないか。大昔、まず最初に《人》がいて、《家族》が出来て、だんだん《小社会》が出来て、そこに行政が生まれたのだから、「まずは自分達でなんとかしよう、出来ない分だけを行政にやってもらおう」というこの富雄地区のやり方こそ、《自治の原点》である。

それにしても、事件以来たびたび沈痛な表情でニュース画面に登場するあの校長先生が、大工仕事の達人で、この夏休み返上で監視小屋を作っていたとは、驚きだ。実際にこの秋から、小屋はしっかりと機能し、そこにはいつも地域住民による監視の目があった。

下村:
実際に詰めていらっしゃる方は…?
安達:
毎日、自治会から出るボランティアが詰めてる。
馬場:
今はスムーズにやってもろうてますが、初めはちょっと文句出ましたね。やっぱり苦労もあるんですよ。「なぜあんなの作った」という質問もあるんです。自分らの住んでる地区の学校でね、自分らの子供守るのは地元住民の責任ですわな。そう思いますけど。「うちの自治会はようやらんから、お金出すからそれで監視員雇ってくれ」って言われもしました。「そんなら自治会辞めはったらどうですか」ってこっちは言うてね。
下村:
やっぱり、このご時世ですから、自治会でまとまろうとしても、そう簡単にはいかない…。
安達:
色んな考え方の人がおられますからね。

そういう意見対立を乗り越えて、「みてるくん」は運営されていた。今は、少子化で学校の児童数は減っていくのが普通の傾向なのに、この富雄北小学校は、平成10年の児童数が749人で、現在では944人と増加している。つまりこの地域は、人口の流入があり、それだけ、昔からの繋がり(縁)のない新住民が多い。そういう人達をまとめ、こうした活動を実現していく自治会幹部の苦労は、並々ならぬものがあったはず。それをどのように束ねていったのか。その苦労の一端が、自治会紙『さんか』だ。

今朝これから全戸に配られる、その『さんか』を番組宛てにFAXしてもらった。内容は、事件を受けての「緊急特集号」。そこには、こんな一文がある。

今、富雄地区は、全国から注目を集めています。自治連合会、社会福祉協議会、学校、PTAなど、地区の諸団体が連携して何をなすべきか、何が足りなかったのかを真剣に話し合う事が必要です。皆様のご協力をよろしくお願いいたします。

こうやって、全戸配布のペーパーによって、皆が情報を共有して、どんどん呼びかけ、参加意識を保てる努力をしている。この自治会紙自体が《自分達で発信》していく、一種の古典的市民メディアだ。

実際の《防犯効果》だけではない。地域の子供達にとっても、近所の大人達が手作りで小屋を建てて交代で見守ってくれる姿を目の当たりにすることは、「守られている」という《安心感・信頼感》にも繋がるだろう。その《安心感》効果は、毎年の敬老の日に贈られる、子供達からのメッセージに、ハッキリ変化として現れていたという。

安達:
毎年、子供達から地域のおじいちゃん・おばあちゃんに色紙を贈るんですよ。僕は、4年間色紙もらっているけど、最初は、「おじいちゃん、おばあちゃん長生きしてください」。でも、今年は違って、「自分達をいつも守ってくれてありがとう」と。やっぱりハッキリ子供は、あの“小屋”について、我々の考えている事を素直に理解してくれてる。これは嬉しかったですね。
馬場:
学校と地域をよう結んでるよ。見張り小屋に朝おったらね、この辺は野菜を作ってますから、子供がプチトマトを持って来るんですよ。「おっちゃん、食べて」言うてね。2つなり、3つなりくれてね、「洗って食べや」とかね、「家持って帰って食べや」、「今食べるから、洗うて来てくれ」とか、楽しいよ。
下村:
そんな風に全国のモデルみたいな取り組みが実現していて、「守ってくれてありがとう」まで言われていたこの地区で、それでも子供は守り切れなかった…。
安達:
悔しい。ものすごい悔しい。各地域の役員や自治会長達、皆悔しがってる。
馬場:
昨日、急遽、会議やったんですよ。その時も、やっぱり涙流す自治会長も2人程いたね。

これだけ努力してきた地区で、今回の事件が起きたのでは、取り組んできた大人も、大人を信頼してきた子供達も、本当に衝撃は大きいだろう。それでもへこたれず、その泣きながらの自治会長会議を経て、遺体発見の翌日の朝には、もうこんな呼びかけ文の回覧チラシが出来あがって、全戸に配られた。

富雄地区の皆様。今後の対策として、登校時と下校時、子供の為に少しの時間を頂いて、全家庭の皆様が自宅前の周辺で子供たちを見守って頂きますようお願い申し上げます。

子を持つ親だけでなく、「全家庭」=全ての住民で見守ろう、という呼びかけだ。『みてるくん1・2』は建てたが、これは結局、学校敷地内への侵入を監視する2つの《点》でしかなかった。やはり、通学路全体の《面》で守らなければ意味がない。それには地域全員が意識を持たなければいけない、という決意表明である。

安達さんに、回覧配布後はどうなったかを昨日(11月26日)電話で伺ったところ、期待以上の反応があったそうだ。実際に、この呼びかけに呼応して地域住民があちこちで路上に立って、今、子供達の登下校を毎日見守っているというのだ。

更に、今後、集団登下校をしていく案が上がり、グループ毎に大人が付き添う体制作りについて、昨日の幹部会で案をまとめ、明日(28日)の自治会長会議に諮られる予定だという。普通の考え方だと、「集団登下校も学校で組織してよ」と投げそうだが、富雄地区の自治会の考えは、「始業時刻から終業時刻までは学校の責任だが、登下校時は地域が守っていこう」というわけだ。この回覧のチラシを配っている方に声を掛けたところ、「昔は、普通に上級生が下級生と一緒に帰ったりしていた。それが、今もっと危ない時代になったら、もっと無防備になってしまった。これじゃ、逆だよ」と語っていた。

しかし、富雄北小学校では、前述の通り児童数がどんどん増えているため、集団登下校は現実的になかなか難しい。通学路の道幅も狭く、道が人で溢れてしまう可能性もあるため、本当は、今のように三々五々帰ってもらうほうが都合が良い、という事情もある。集団登下校実施に向けては、更に皆の知恵を絞ることが必要となりそうだ。

今回の誘拐殺人は本当に酷い事件だったが、ただ嘆き悲しんで終わりではなく、こうして「子供を守る新しいモデル」となるような取り組みがまた生まれて、他の地域も学べれば、次の悲劇を防いでいく有効な手立てになるかもしれない。

《誰かを責めたり頼ったりせず、まず自分が動く》こと。何かが狂ってしまった日本社会を直してゆくには、これが愚直な“初めの1歩”なのかも知れない。

▲ ページ先頭へ