昨日の8月6日は、59回目の広島原爆の日。去年は長崎原爆の日に、映画『ヒバクシャ』を紹介したが、今年は、今上演中のミュージカル『はだしのゲン』に眼をツケる。『はだしのゲン』は、漫画が有名だが、それを舞台化したもの。この夏の全国巡業の締めくくりとして、8月8日まで、東京の新国立劇場で上演されている。初演から9年を迎えるが、今までに、「市民劇場賞」を、川崎・旭川・四国の3ヶ所で受賞している。草の根的に広がっているこのミュージカルにぴったりの賞だ。制作者の木山潔さん、主人公ゲンを演じる田中実幸さんに、お話を伺う。
−ずいぶんロングランになっていますね。
- 木山:
- そうですね。日本全国や海外で、もう、通算312回目の舞台です。初めは、私にできる“ちょっとした演劇”ということで、試みましたので、こんなに長く続くとは思っていませんでした。
舞台は、広島に住んでいた、ゲンという男の子の物語。ごく平凡な暮らしをしていたゲンの家族が被爆し、生き残る者と死んでいく者とに、家族が引き裂かれていく様子を描いている。しかし、主人公のゲンは、とことん明るく、前向きに生きていく。原作の漫画は、作者の実話に基づいている。
−ゲンを演じるにあたって留意していることは何ですか?
- 田中:
- 自分自身が興奮して、情緒的にならないように、行われていることを、冷静に受け止めて演ずるということを、とても心がけています。
−拝見していると、はじけるような躍動感を感じますが、それが逆に、上滑らないようにということでしょうか?
- 田中:
- “成り切る”という言い方は、誠実ではないというか…。本当に被爆体験した方たちと、私とのギャップは大きく、《生きてきているテンションが違う》ということをきちんとわきまえて、ゲン少年の価値観を大事に演じたいと思っています。
たくましく、ひたむきに生きているゲン少年。舞台全体がそのような雰囲気に包まれているが、一転して、ステージ上が、突然、全く違う世界に急変する場面がある。田中さん演じる主人公ゲンが、上空を飛ぶ米軍機から原爆が投下されるのを目撃するシーンだ。
−この部分、舞台はどういう演出になっているのですか?
- 木山:
- これは、原爆が落とされて、ゲンの父、姉、弟が焼け死ぬというシーンです。叫んだり、喚いたりということはせずに、ほとんどをパントマイムやシルエットで表現して、観客の皆さんの想像力にお任せしています。舞台は静かなのですが、そのほうがかえって恐怖感が出て、リアルということもあります。
−原爆を舞台で表現するというのに、今でもためらいがあって、舞台を創る作業にかなり精神的ストレスがある、と今年の公演企画書に書かれていますが、これは、どういうことですか?
- 木山:
- 悲惨な事実というのを体験しないと、本当のところは分からないと思っているんですね。そういうのを、想像でやってしまって、被爆者の方から「あんなものではない」といわれる可能性があるわけです。ちょっと甘いんじゃないか、とか。
やはり、こういうものを扱う心構えが相当しっかりしていないと、作ってはいけないんじゃないかという思いが強いです。それをどのように表現して、芸術的なレベルに上げていくかっていうことで、いつも悩みは尽きません。
−逆に言えば、あれだけ人気を呼んだ『はだしのゲン』の漫画が、ここまで長く舞台化されずに来たというのは、そういうことへの躊躇が、演劇界にあったと言うことでしょうか?
- 木山:
- あったと思います。作る人間の責任みたいなものがあると思います。
- 田中:
- せりふとして書かれてあるものを、舞台だからといって、私が何にも思わず喋っていいものかどうか、と迷ってしまいます。また、私がこのせりふを言っても良いのだろうかということを、この作品に関わって本当に毎回思います。生き方を問われる作品なので、自分の生き方と、このテーマとがいつも付きまとうというか…はい。答えは出ないんですけれど。今でもそうです。
−初演が96年ということは、被爆51年目の年ですよね。昨日で被爆59年。初演からの、観客の受け止め方は変わってきていませんか?
- 木山:
- 反応がビビッドというか、とても強いというか、10年前よりも、今やっている方が、リアルにとらえられているという気がします。怖いくらいの反応があるんですね。これだけ、見入ってもらっているというのは、やっている方からしてみれば、ちょっと恐ろしい気がしないでもないです。
ミュージカル『はだしのゲン』は、広島・長崎だけでなく、海外でも公演されている。初めての海外公演となった99年のNY公演を、当時、NY支局勤務だった私は、初めて観て感動した。現地の観客も、NYタイムス評も、絶賛だった。
―原爆を落とした側の国で、そんなに評価されたというのは、ちょっと意外な気もするのですが。
- 木山:
- 予想していませんでした。感動しました。NY公演には、相当の覚悟で行きました。NYでの評判が悪かったら、もう『はだしのゲン』は止めようかな、という気持ちで行きましたが、あれだけの反応と、NYタイムズ紙が褒めてくれたということは、ちょっとびっくりしましたので、大変うれしかったです。それが、ここまで続けてこられたひとつの要因でもあると思いますけど。
NY公演の時、観客用に同時通訳を務めたのが、フォービアン・バワーズさんだった。終戦後に日本に来て、GHQでマッカーサー司令官の副官としてサポートしていた方だが、アメリカ人が、『はだしのゲン』を見る必要性について、当時、短くこんな風に語っている。
- バワーズ: 非常に必要ですね。アメリカ人は原子爆弾の悲惨さを、全然分からないです。だからアメリカ人は、こういう芝居を見てからよく考えるんです。
バワーズさんは、私がこのインタビューをしてから10ヶ月後に亡くなった。いわば、最後のメッセージだ。今、正義の名の下に、アフガンやイラクにどんどん米軍を送っている状況下で、バワーズさんは、もう一度この言葉を、米国の仲間たちに呼びかけたいのではないかと思う。
−実際、9・11後、「対テロ戦争」というものが出現する時代になって、上演する意味は新しく加わったと思いますか?
- 木山:
- 状況はちょっと変わりましたので、いまの方がより切実な気持ちでやっている気がします。やっぱり、こういった舞台芸術は、まず、事実を伝えなければいけないということと、世界の風潮と、芸術的なレベルという3つの中で、日々芝居を変化させていくということだろうと思うんです。時代の中で、出演者の気持ちもあるし、その辺が難しいところだと思いますけど。でも、上演する意味は、あるかなと思っています。
−ヒロシマ・ナガサキの訴えの特徴である、原点に立ちかえった《絶対平和》というシンプルな力強さは、対テロ戦争というような複雑な時代になって、「そういう訴え方は、もう通用しないのでは」と思うことはないですか?
- 田中:
- 無いですね。その時代だからこそ、というか…。
−来年以降は、どのような構想を描いていますか?
- 木山:
- 来年は、すでに国内で50ステージほど決まっています。僕が止めたいと思っても、世間が続けてくれという限りは、続きそうですけど。