エムナマエ絵本「ゆめねこウピタ」発刊

放送日:2003/11/29

ゆめねこウピタ このコーナーの前身である『ビッグ・アップル・リポート』の頃から、度々活動の模様を報告している画家のエムナマエさんが、今週、新しい絵本『ゆめねこウピタ 階段のある街』を出版した。去年の秋の、自伝『失明地平線』出版の時以来、1年2ヶ月ぶりに、ナマエさんご本人にお話をうかがう。

前回の『失明地平線』は、ご自身が売れっ子のイラストレーターから糖尿病で完全失明して、絶望のドン底からまた新しい人生が始まっていく過程を、自ら克明に綴った本だったが、さて今回のストーリーは―――

ナマエ:夢に≪ふけっている≫猫が、夢は見るものではなく≪つかむ≫ものという事に目覚めていくんですね。“ゆめねこ”が、ゴキブリとかネズミとか、いろんな生き物との出会いによって、それまでいた小さな部屋から、扉を思いっきり開けて外の世界に出る。そこは、長い長い階段のある街。そこでも色々な出会いによって学んでいき、最後には羽の生えた猫になっていく。そして、夢を実現する力を得て、新たな旅に旅立つ、というストーリーです。

登場するキャラクター達は、これまでのナマエさんの絵のタッチを残しながらも、一段と表情が豊かだ。

ナマエ: 1つのストーリーの中でキャラクター達が自由に動き出したって事が、この絵本を楽しくしてるんじゃないかなと思います。

ゆめねこウピタ ウピタはこの階段のある街で、1年をかけて階段を上へ上へと昇っていく。花びら一杯の桜や雪の街など、春夏秋冬を描いた絵で魅せてくれながら、並行して、動物たちとウピタの出会いの物語が展開する。動物達とウピタが交わす会話の中には、ナマエさんの深いメッセージがこもっており、繰り返し読むほどに“気づき”がある。


(最初の出会い…茶色のゴキブリが、ウピタに語るシーン)----------------------------
「いいかい、ウピタ。夢は見るもんじゃなく、つかむもの。いつもおまえが見ているのは、ただのまぼろし、ちんけな夢。こんな部屋に、ほんものの夢なんてありはしないのさ。な、一度でいいから、扉のあちらへいってみな」
「うるさい」
ウピタがどなると、虫はミサイルみたいにダッシュして、扉のすきまから出ていった。

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ナマエ: 自分の目の前にいる存在が誰なのか、何者なのかっていう事を、今、考えなくなってきているんじゃないかと思うんです。もしかしたらその人が自分にとって物凄く大切なメッセージを持っているかもしれないのに、その人の言う事に耳を傾けない、そういう人も一杯いると思うし。
僕なんかは、いろんな壁にぶち当たりながらも、いろんな人の助言から自分が“学ぼう”と思ったときに初めて、ここまでやってこられたと思うんですね。
“ゆめねこ”のウピタにとって、ゴキブリはただの虫なんだけど、この瞬間、虫以上の存在になってくれるんですね。

実際、このゴキブリの言葉がきっかけとなって、ウピタは外の世界へと出て行く。1年がかりでひたすら長〜い階段を昇って行くのだが、時々ある動物との出会いの合間は、ずっと沈黙の時間になっている。

(ウピタが扉をノックするシーン)-------------------------------------------------
「あっ、扉だ。誰かいませんか」
トントントン。ノックをしたけど、返事がない。ガチャガチャガチャ。ノブをまわしても、ひらかない。耳をすませてみたけれど、どの扉も、みんなだまって立っているだけ。

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ナマエ: 結局、孤独な時間をどうプロデュースして、どう使うかが、その人の人生をいかに意味あるものにしていくかにつながっていくと思うんですね。夢をつかむには、自分で自分の道を選択する≪自由≫と、決めた道を孤独になっても歩いていく≪勇気≫と、そのバランスがないと、人生において成功者にはなれないんじゃないかと、僕は思ってるんですよ。

長い階段を昇り続け、やがてウピタは、初めて同じ猫の仲間に出会う。その猫は、左目が見えない、片目の猫だった。

(片目の猫とウピタが会話するシーン)--------------------------------------------
片目の猫とウピタが会話するシーン 「おまえ、どっからきたんや」
「階段からさ。それよりもきみ、目をどうかしたかい?」
ウピタがいうと、猫はニヤリと笑い、こたえていった。
「見るだけだったら、目なんてひとつでたくさんや。ふたつもつかうのは、もったいない。まあ、そう思っていてくれや」
「わかった。そう思うことにする」

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ナマエ: 人それぞれに立場とか肉体的状況とかが違うわけで、相手の立場をいかに尊重するかだと思います。この片目の猫がそう言ってるんだったら、言っている事を≪理解≫するかどうかは別として、言っている事を≪尊重≫しましょうと。そこで初めて、相互理解ではないんだけれど、新しい信頼関係が生まれる。僕らはお互いの立場を認めた上で、理解できてもできなくても、とにかく相手を大切にしていけば、世の中が変わっていくっていう感じがするんですよ。そういう受容の気持ちを、ウピタの「そう思うことにする」っていうセリフに代弁させたんですよね。

こうして論じると難しく聞こえるが、絵本にはあくまで童話として易しい言葉で描かれている。

他にも数ある登場キャラクターの中で、私が一番人気が出ると踏んでいるのが、体が大きいのに臆病者という設定のワニ。緑色の体に紫のコートを着て、ペタペタと派手にシールが張られた鞄を持っている。フーテンの寅さんのような雰囲気のこのワニは、同じワニの仲間を探す旅を続けている。

(ワニがウピタに語るシーン)---------------------------------------------------
ワニ「水というものは、いつも下に流れるんでね。都会の地下には、あたたかい大きな川があって、そこにはワニのともだちもいるらしい」
「ともだち、見つかると、いいですね」
ウピタがいうと、ワニは大きな口をぱっくりあけて、笑いながら、こたえていった。
「いる、と思えば、きっといる。ある、と思えば、きっとある」

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−この「都会の地下の、温かい大きな川」というのは、下水道のことですか?

ナマエ: そうですね。この絵本は、人間は出てこないんですけれども、人間が作った街で展開する生き物達のストーリーなんです。人間が他の動物達に何をしてきたかっていう、隠れたテーマもあるんですね。だから、この絵本に出てくる生き物達は、みんないわゆる“ペット”なんです。

そして、この本の中でウピタが最後に出会い、運命を決定するのが、全身黄色のカラスの子。本人はその色がイヤで、いつまでたっても空を飛ぼうとしないので、お母さんカラスが困っている。

(カラスとウピタの会話のシーン)-----------------------------------------------
「ぼく、とべなくて、いいんです。それに、ぼく、カラスでなくても、いいんです」
「そうかなあ。ぼくは、羽のあるきみが、うらやましいよ」
ウピタがいうと、カラスの子どもは首をかしげた。
「おかしいです。羽が黄色のカラスが、うらやましいなんて、おかしいです」
「おかしくないよ。黄色いカラスは、とっても目立つ。それは、すごくすてきなこと。やっぱりきみが、うらやましい」

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ウピタは別にこの子を励ましているのではなく、ただ単純に羨ましがっているだけだ。

ナマエ: この社会では、個性によって成功した人を、全面的には受け容れないというか、心から拍手をしないという傾向が若干見られるんですよね。ちょっと人と変わっていて目立ったりしていると、いじめられたり。やっぱり、その人の特殊な個性や能力によって成功した場合は、みんなで拍手をもって、その成功を褒め称えるという、相手の能力を認める素直さみたいなものを、このシーンには込めました。
例えば黄色いカラスを「羨ましい」という事があっても、僕はいいと思うんです。その秀でた才能というか、カラーによって、目立つことによって、その人は得しているはずなんですよね。≪目立つことが得につながらない状況≫が、変わってほしいなと思いますね。僕も、変わった人間という事で損をして来ましたから(笑)。今は、得してると思ってますけどね。

この後、アクシデントが起きて、ウピタとカラスの子は天国の扉の前に進むことになる。この二人と、天国の「おごそかな声」とのやり取りのシーンになると、他のシーンとはガラリと絵が変わる。淡い黄色の中に白い光が浮かび上がっているような、線画のない、光だけが溢れた見開きのページなのだ。

ナマエ: 光の世界というか、二人とも別世界に行ってしまったんですよね。死んでもいないし生きてもいないという世界。そこで、天国の扉の中にいる、神様かな、その人が、生き死にの事を喋る。我々にとって生き死にというのは、絶対に自分では決められない、本当にもう運命だけで決められるわけですよね。我々は、ただその運命を受容して、そこから先へ進んでいくしかない。
僕も失明した時に、「なぜ失明しなければならないのか」、それを受け容れた時に初めて、先のことが見えてきた。≪諦めなければならない事≫を諦めたところで、≪諦めなくていい事≫が見えてきた。僕は死にそうになる事によって、逆に生きる事の素晴らしさを知りましたしね。だから、見えなくなる事によって逆に、それまで見過ごしていたものが見えてきた。そういう、失うものがあれば得るものがある、という事を、このシーンに託したつもりなんですけどね。すごく難しいテーマなんですけれども。

−その気づきが、全面見開きに光だけ、という表現になっているんですね。

ナマエ: やっぱり我々はみんな、お任せで生きている、生かされている、という事ですね。

本の最後、もうストーリーが終わって発行所等の表示のもっと後に、またポツンと、新しい紫色の扉の絵がある。

−この最後の扉の向こうには、何があるんですか?

ナマエ: 実は、裏表紙のカバーの折り返し部分に、「ウピタから読者への手紙」があるんですね。読者の人達に、これからウピタがどこへ行って何をすればいいのか、質問しているんです。

―じゃあ、読者から来る返事で、今後の展開が決まっていくわけですか?

ナマエ: そうですね、ある程度はね。ただこの本は、よく読んでいただくと色んな仕掛けが含まれていて、未来の展開につながるネタが一杯仕込まれているんです。羽を持って、超能力を持ったウピタが、これからその力をもってこの先何をするのか。扉の向こうには、実はもう1回階段のある街があって、自分を生んでくれた、目覚めさせてくれた街に、ウピタが逆に今度は貢献をしていくっていう、新たなストーリーの始まりなんです。最後の扉はその象徴としての扉なんです。始まりの絵本でもあるんです、これは。

『ゆめねこウピタ 階段のある街』は、講談社から1300円で発売されている。

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