大分被害者支援センター」スタート

放送日:2003/07/26

世の中、本当に凶悪・悲惨な事件が後を絶たないが、そんな中で、民間人による「被害者支援センター」という組織作りが、全国各地で着々と進んでいる。来週水曜(7月30日)には、その最新のセンターが、大分県でスタートする。今回は、その中心メンバーのお話をご紹介する。

地元で何か事件が発生した時、被害者の心のケアを臨床心理士会が、法的なケアを弁護士会が、身の回りの細々としたケアを近所の人たちが…等々、それぞれが手を結んで、被害者や関係者を支えるチームを作る。事件が起きた際、直ちに動き出せるように、そうした各方面の人々が普段から組織を作って態勢を整えているのが、「被害者支援センター」だ。

今回取り上げる大分県の場合、3年前の夏、県内の野津町という所で、15才の少年が、同じ集落の中で近所付き合いをしていた一家6人を殺傷した事件が、センター発足のきっかけになった。少年は夜中にナイフでこの一家を襲い、3人が亡くなり、3人が重傷を負った。
この時、加害者は中学生、被害者の中にも小中学生がいたので、学校の同級生達に動揺が拡がるだろうと、すぐさま、スクールカウンセラーや同業の臨床心理士の有志が動いた。マスコミの目に触れないように水面下での活動だったので、当時ほとんど報道されなかったが、実は大変スピーディーな行動が次々に打たれていた。この時のメンバーが母体となって、今回のセンター設立に繋がった。
まずは、その事件直後の様子について、「大分被害者支援センター」代表の金子進之助さん、事務局長の関根剛さんからお聴きする。金子さんは現在、大分県臨床心理士会の会長、関根さんは、大分県立看護科学大学で教えている。

金子:
あの日は…そうですね、昼には、私共スクールカウンセラーが学校に着きました。ちょうど報道のヘリコプターが現場の上空をぐるぐる回っている時ですね。

−それだけ早く行った意味というのは、ありましたか?

関根:
事件発生後、初めの1週間がかなり勝負ということで、その間にどれだけ準備ができるかで、後の行動がかなり決まってしまいます。1ヶ月経った時にはもう、極端に言えば固まってしまうので、それから動き出しても、もう寄与できないんじゃないかと思います。

先月このコーナーでお伝えした、池田小事件の遺族の場合も、「事件発生直後に訪問してくれた犯罪被害経験者の皆さんの言葉が一番支えになった」という話をお聞きした。
金子さん達は、この素早い初動で何をしたのか。ポイントは、4つあった。

金子:
私ども臨床心理士会は、4つの局面を考えました。
  • 1つ目は、≪実際に被害に遭われた方≫に対する直接的な援助です。
  • 2つ目は学校。現地の小・中学校から犠牲者も加害者も出たということで、学校が非常に動揺したわけですね。ですから≪学校の生徒や先生たち≫への援助を考えました。
  • 3つ目は、≪地域の大人の方々≫への援助。
  • そして4つ目が、≪加害者の保護者≫の心のケアです。実は加害者の保護者の方も、事件に巻き込まれて相当に動揺されている。弁護士さんもつくけれども、心のケアも必要かもしれない。だから我々は、加害者の保護者の方にも、もし必要であれば援助をしようと。
その4つを考えて動き出しました。

この≪被害者・学校・地域・加害者の親≫のうち、後ろの2つは見落とされがちだが、特に3番目の≪地域の大人達へのケア≫というのが、一番意識されていない。大人が犯した犯罪と違って、少年事件の場合、その地域の大人達は「自分たちがそういう子供を育ててしまった」という自責の念や、コミュニティの今後への自信喪失に陥る。その部分に、金子さんたちはどう取り組んだのだろうか。

金子:
「身近な子供が事件を起こした」という事による皆さんの不安とういうのは、すごく大変なものがあったと思いますね。最初に聞いた時には、“今まで仲の良かった街が壊れてしまう”“自分たちが今までこうやってきたのに、それは一体何だったんだろう”“自分たちはこれからどうして行けば良いんだろう”という不安が生じていたんですね。

ですから、まず、個人的な信頼感を生むという事で、保健士さんが町に入りまして、身体の健康状態を知っていく事から始めました。そこで、私たちができることをする。それから地域の公民館に行きまして、一緒にお茶を飲んだり、リラクゼーションを教えてあげたり。

それから少し落ち着いてくると、「こんな行事を予定してたんだけど、やめた方がいいだろうか」みたいな相談があって、それに対して「やっていいですよ」と答える。ほんのささやかな事でもいいから何かしてもらって、「こんな力がある」という事を体験していただく。それによって少しずつ少しずつ、「自分たちはまだ大丈夫だ」というコミュニティとしての自信をもう1度、取り戻していったと思います。

やめようと思っていた老人会が再開されたり、子供たちの運動会があったり、婦人会の集まりがあったり。道が暗いから、みんなで木を切って道をきれいにしよう、とかですね。それから、加害者の畑が荒れていると、被害者の畑もそうなんですけど、そういうのを町の人達が、「あそこの作物を取り入れてやろうや」とか。

本当に怖い思いをしながら、そういう動きの中でね、非常に住民として、立派になさったと思います。

特にこの大分の事件の場合は、24世帯しかない小さな集落の中に、被害者と加害者の両方が暮らしていたのだから、なおさら地域の人々のショックは大きかっただろう。
≪自信の回復≫が、犯罪に巻き込まれた人の1つの“立ち直りの原則”だ、と金子さんは力説している。

それにしても金子さん達は、3年前のこの事件に遭遇した時、何故こんなにも見事に動けたのだろうか。実は、それまでの様々な不幸な出来事から、経験を学び取って、情報の交換や蓄積がされていたのだ!

金子:
私ども臨床心理士会は、あの阪神大震災で被害者支援活動をしておりまして、そこからつながって、犯罪被害者についても支援をしようという動きがあったんですね。阪神の前にも、奥尻や鹿児島で自然災害がありましたが、そこで被害者の支援に動いた方から情報を送ってもらったり。それから、佐賀で少年のバスジャック事件がありましたが、そこでも佐賀の臨床心理士会が動きましたので、その情報なんかもすぐ入れてもらって、どういう風に動けば良いのかを教えてもらいました。

表面の報道だけ見ていると、事件のたびに専門家の同じようなコメントが繰返されるばかりのようだが、実は現場の人たちは、事件のたびに、対応を進歩させているのだ。今の金子さんの短い説明の中だけでも、北海道から九州まで地名が出て来て、まさに全国の現場の人たちが連携している事がわかる。
実は先月の長崎の、12歳の少年が4歳の男の子を殺してしまった事件の直後も、長崎市役所の学校教育課の職員が、福岡県臨床心理士会作成の『学校緊急対応マニュアル』を見ながら対応に取り組んでいた。

では、そういう専門分野の人たち以外の、一般の私達は、こういう「被害者支援」の動きにどう加わったらいいのだろうか。

関根:
心の問題とか医療とかだけではなくて、被害を受けた方にとっては日常生活の中で、それこそ買い物に行けないとか、子供のケアが十分できないとか、ごくごく卑近な困り事が一杯出て来ます。そういう面ではやはり、地域の方々、近隣のサポートというのがすごく大きくなると思います。専門性を持っていない人は支援活動に加われない、という事では全く無いと思いますね。
金子:
例えば裁判所に呼び出されて行く時に、子供の世話をどうしよう、という事がある訳ですね。そういう時に、昔だったら隣の人が「うちで面倒みとくよ」とか「私が一緒に行ってあげようか」とか、そんな事だったと思うんですよね。それが今、だんだんなくなってきているので、こういう活動を通して、地域の人が自分にできる事を、「じゃあ私はこれをやってあげましょう」と言って下さるといいですね。それには、被害者の人がどんな事で困っているかを、私どもが仲介に立って皆さんに理解してもらう、そういう活動も必要です。

そういう身近な部分は、専門家より、ご近所の出番。専門家だけでは、支援にも限界があるという事だ。
金子さんはこれを、「社会の“コミュニティとしての機能”を取り戻すお手伝い」と表現されていた。私はこの話をお聞きして、あまり使われなくなった日本語=“お互い様”を復活させる取り組みかな、と感じている。
≪加害者の責任追及≫と並んで、広い意味での≪被害者の回復追求≫も大切だ。その両輪が揃って、初めて「事件の解決」と言えるのだろう。

こうして、『大分被害者支援センター』は来週立ち上げられる訳だが、あなたのお住まいの都道府県にも、こういうセンターは、もう出来ているかも知れない。関心をお持ちの方、インターネットで調べたり、地元の役所・警察に問合せてみていただきたい。
犯罪事件という不幸な出来事をきっかけにするのは悲しい事ではあるけれど、そこから何も教訓を学びとらないよりは、ずっと前向きな動きだと思う。

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