池田小事件遺族・本郷さん手記出版(後半)

放送日:2003/06/28

大阪教育大附属池田小事件の裁判が、一昨日(6月26日)結審した。宅間守被告は、最後まで遺族の感情を逆なでするような発言を続けた。その宅間被告に刺されて亡くなった8人の子ども達の1人、本郷優希ちゃんのお母さん・由美子さんが先月、『虹とひまわりの娘』(講談社・本体価格1400円)という手記を出版された。先週(6月17日)、池田小の近所にある本郷さんの自宅にお邪魔し、由美子さんの話を伺ってきた。今回は、前回に引き続き、その後半部分をご紹介する。

前回は、犯罪被害者の家族が、今に至るもどんな苦しさ・辛さの中で毎日を送っているか、周囲のサポートの有り様も合わせて御紹介した。一昨日のようなことがあると、その苦しみは一気に強まるのだろうが、大きな時の流れの中では、悲しみの中にも確実に、少しずつだが前向きな方向を指しつつはあるという。その変化について、由美子さんは次のように語る。

本郷:
一歩一歩、家族4人で前へ進んで行こうねって、いつも主人が言うんです。優希が今一番してほしいことは何だろうって考えながら、前に進んで行こうと思っています。
報道の方はよくおっしゃるんですが、「乗り越えて」とか「区切り」とか、「節目」だから話を聞かせてください、とかっていう言葉には、抵抗があります。一周忌とか裁判とか、そういう意味では「区切り」なのかもしれないですが、私達にとってこの悲しみや辛さには区切りがないという風に思えるんです。

たしかに、イベントの時だけの打上げ花火のような伝え方では、毎日毎日の被害者家族の本当の様子は、伝えようがない。

お話を伺う中で、由美子さんは「家族4人で」とごく自然に仰っていた。つまり、下の娘さんだけでなく、亡くなった優希ちゃんも、人数に当然入っているのだ。こうして優希ちゃんが≪今も生き続けている≫場所は、本郷家の家族の中だけではない。

池田小の同級生たちも、優希ちゃんたち8人の亡くなった子供たちを、今も実に自然に仲間に入れ続けている。この本には、そんなエピソードがいくつも紹介されている。
例えば、事件後閉鎖されていた池田小が再開された後の、優希ちゃんのクラスの子供達の一言日記には、今も皆の中に優希ちゃんが生き続けていることをはっきり示す、こんな言葉の数々があった。

(『虹とひまわりの娘』より…子供達の一言日記)
「ひさしぶりに、みんなでうたをうたって、楽しかったです。ゆきちゃんもうたってたね」
「ぼくのせきのとなりに本ごうゆきちゃん、いっしょになれてうれしかった」
「朝に5にんのおともだちの花の水をかえました。みんなうれしそうにわらってました」

「五人」というのは、このクラスで亡くなった子供たちのこと。
さらに、事件から約100日たった頃には、こんな出来事もあった。

虹とひまわりの娘(『虹とひまわりの娘』より)
9月17日、ついに私は意を決して、2年南組の授業をのぞいてみることにしました。子どもたちに気づかれないようにと、そっと教室前の廊下を歩き、窓のふちに隠れるようにして、中をのぞき込んでみました。
ところがその直後、まったく予想もしない展開となりました。ひとりの子どもが目ざとく私の姿を見つけて、「本郷さんのお母さんだ!」と叫んだのです。すると、クラスのみんながいっせいに駆け寄ってきて、戸惑っている私を取り囲みます。―――中略―――
そして、子どもたちは、私が頼んだわけでもないのに、われ先に優希のことを話しはじめてくれるのです。
「今日な、本郷さんと鬼ごっこしたんだよ」
「いっしょに遊んだよ」
「本郷さん縄跳び好きだったからいっしょにしたんだよ」
うれしいことに、みんな「現在形」で話してくれます。
「優希ちゃんとあの子はラブラブなんだよ」
そんな報告をしてくれる男の子もいました。―――中略―――
彼らに囲まれ、その話に耳を傾けながら、優希たちはみんなといっしょにいるんだな、大好きな学校にきているんだな、とあらためて強く感じました。実際は、まだまだ心が不安定なところのある子どもも少なくないというのに、努めて、明るく私を迎えてくれた彼らの優しさに心が打たれました。
「本郷さんのお母さん、頑張ってな」
「元気出してね」
玄関まで見送りに出てきてくれた子どもたちの声に送られて、私は心温まる思いで学校を後にしました。

あの事件では、亡くなった8人だけでなく、切りつけられて怪我をした子や、犯行を目撃しながら必死で逃げた子も沢山いた。小学2年生の彼らが、よくぞそこまで乗り越えたものだと思う。
もちろん一方では、今月8日(事件からちょうど2年目)の式にも出席できないぐらい、まだ心の傷が癒えない子達もいる。この本に描かれている子ども達も、あんな事件に打ちのめされてたまるか、と懸命に明るく闘っているということだろうか…。
そして、事件から丸2年がたった今も、優希ちゃんの存在感は、全く薄らいでいないそうだ。

本郷:
附属小の子達って、本当に心が柔らかいんです。私が行くと必ず声をかけてくれて。「今日はこんなことした」「今日はこんなプリントが配られたから、優希ちゃんの分はこれだよ」って、本当に自然に、友達として受け入れてくれている気がします。私も(当初は)学校に行くのは辛かったんですが、そんな子ども達を見ていると、優希もここにいる気がして、私も学校に行きたくなるんです。そんな子ども達の反応には、私も驚きました。

−どなたか、素晴らしい指導をされている先生がいらっしゃるんでしょうか?

本郷:
押し付けはいけないと思うんですよね。子ども達も個々に乗り越えなきゃいけないわけですから、皆揃ってこうしなさい、という指導は出来ないと思います。子供達は、自主的に手紙をくれたり、自分達なりにしたい事をしてくれてるみたいです。

この本には、子ども達から届いた手紙もいくつか紹介されている。「今日の運動会、いっぱい応援したね」「お芋掘り、楽しかったね」「明日は算数の用意、忘れないでね」といったものだ。
さらに、学年が進級してクラス替えがあっても、優希ちゃんたちは除籍されず、新しい3年生のクラスにそれぞれ所属している。教室にはちゃんと優希ちゃんの机が置かれ、宿題やお知らせのプリントも配られ、そこに誰か友達がちゃんと「本ごう優希」と名前も書いてくれる。宿題の答まで、優希ちゃんの分を書いてくれる子もいる。
喪が明けた今年の正月には、優希ちゃん宛ての年賀状が、事件当時知り合いでもなかった新しいクラスメートからも届いた。今もますます、友達の数が増えているわけだ。

子供達もすごいけれど、きっとここまで仲良くしてもらい続けている優希ちゃん自身も、もともととても人気者だったのだろう。この本に載っている写真も、どれも最高にいい笑顔が輝いている。
そんな優希ちゃんの輝きをしっかり伝えることも、由美子さんがこの執筆に込めた、強い思いだった。

本郷:
だって、…この事件に巻き込まれる為に生まれて来たわけではないですよね。たまたまそこにいたから、巻き込まれてしまっただけで。これから本当に、輝いていくはずだったんですよ。私も、あの子を産んで、いろいろな将来を思い描きながら育てていました。それがいきなり理不尽な事件で命を奪われて、「可哀相な女の子」が一人歩きしていってしまう。本郷優希って名が出ると、「あー、あの事件の女の子」って。そうじゃなくて、もし事件に巻き込まれてなかったら、他の意味で優希という名が伝わってたかもしれないんで、私は母親として、「可哀相な優希」でなく「笑顔いっぱいで、色んな可能性のあった1人の女の子」と思って欲しい、と思ったんですね。

そんな思いから、この本には、優希ちゃんの素敵なエピソードが幾つも紹介されている。

(『虹とひまわりの娘』より)
幼稚園の年長クラスが終わりに近づいていた頃のことです。―――中略―――
みんなで帰る途中のこと、坂道でリヤカーを引いているおじいさんが、何度も何度も休憩しながら登っているのに出会いました。優希と親友の奈々ちゃんがリヤカーの横で立ち止まるので、どうするのかと思っていると、何やら言葉を交わしたふたりは、うなずきあったかと思うと、おじいさんのところへ走り寄り、リヤカーを後ろから懸命に押しはじめたのです。そばで見ていた私も、すぐに手伝いに駆けつけました。―――中略―――
あの忌まわしい事件の起こる3日前にも、優希はマンションの管理人さんに手紙を渡していました。管理人さんが翌日眼の手術のために入院すると聞いて、「かんりにんさん、目のしゅじゅつがんばってね。元気な顔を見せてください」と手紙を書いて管理人室のポストに入れていたのです。ピアノのお稽古にいくかばんの中に、便箋と封筒が入っていたことから、お稽古に行く前に書いて、自分でポストに入れたのだとわかりました。
そんな優希の幼稚園時代の夢は「お花やさんになること」で、文集にも「お花やさんになりたい」と書き、その横にお花に囲まれた自分の絵を描いています。
小学校に入ると、その夢は「先生」に変わっていきました。初めて出会った教育実習の先生方と、とても楽しい時間を過ごしたようで、毎日のように、先生方の話を私に報告し、教育実習が終わって先生方とのお別れが近づいてきたときは、
「ママ、寂しいよね」
と涙を流していました。―――中略―――
「優希も、教生の先生になって附属小で教えたいな」
 と幾度となく私に話しかけてきた優希。どんな先生になることを夢見たのでしょうか?

こういう話を読むと、「むごたらしい事件の犠牲者」として、ニュースを通じて優希ちゃんと出会ってしまった我々も、しっかりと、≪本当の優希ちゃん≫をわずかだが知れた気がする。
出版からちょうど1ヶ月、読者から寄せられる感想の手紙にも、それがはっきりと現れているそうだ。

本郷:
感想のお手紙を読ませていただいたら、「優希ちゃんが一緒にいる気がする」、「声が聞こえる気がする」って。教生の先生になりたかった優希に対して、「優希ちゃんは、私達に生き方を教えてくれる先生です」「優希先生」というお手紙をいただいた時は…、すごく嬉しかったです。

−それは優希ちゃん、最高に喜んでるでしょうね!

本郷:
そのお手紙もらった時は、しばらく涙が止まらなくって。遺影の前に行って、「優希ちゃん、先生になれて良かったね」って。
本当に、本を書く作業は辛かったです。自分の閉ざした心、閉ざしたままにしておきたい心を広げて、綴っていかなくちゃいけないわけですから。でも、自分とも優希とも家族とも向き合えた。その辛い思いで書いたことが読者に伝わっていた!って、いくつかお手紙を読ませていただいてわかったので、本当に嬉しかったです。

遺影の前での「先生になれて良かったね」という由美子さんの語りかけに、きっと優希ちゃんは、「ママがこの本書いてくれたおかげだよ、ありがとう」と答えているだろう。
たまたまこの本のおかげで我々は本郷優希ちゃんを知れたが、あとの7人の犠牲になった子供達にも、それぞれに、こういう笑顔があったんだという事にまで、思いを広げたい。

そして、その笑顔を奪った犯行と、それを許してしまった私たち大人社会全員の再発防止への責任も、痛感されられる。そういう色々な意味で、この本を、ぜひ読んでいただきたい。

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