絵門ゆう子(旧名・池田裕子)さん、ガン闘病記出版

放送日:2003/05/24

がんと一緒にゆっくりと 絵門ゆう子(旧名・池田裕子)さんはかつて、NHKの朝のキャスターで人気者となり、NHKを辞めた後はTBS朝の顔として、またドラマなどにも出演と大活躍。最近あまり表舞台で見かけないと思っていたら、急に今週、「全身にがんが拡がっている状態」と大きく報道された。がんを隠していたわけではないのに、今になって急にマスコミで騒がれたきっかけになったのが、今週出版された絵門さんの著書、『がんと一緒にゆっくりと〜あらゆる療法をさまよって』(新潮社)だ。

この本は、他のガン闘病記とは一味違う、情報性の濃い本だ。『あらゆる療法をさまよって』という副題の通り、乳がんを告知されてから、全身にガンが広がって聖路加国際病院に落ち着くまでの間、様々な民間療法をさまよった記録が、他人に「バカじゃない?」と言われることを恐れず、克明に記されている。

絵門さんがガンの告知を受けたのは、平成12年10月。絵門さんは本の中で、≪告知は必要だと思うが、告知のし方にもっと工夫を≫と指摘している。実際、絵門さんの場合はどのような告知を受けたのか。本の中の一部をご紹介する。

(著書より)
医師は私たちを見るなり、「このたびは、大変なことになってしまって」と言った。深刻で暗い表情の医師。「がんを治そう」というより「がんになって気の毒に」という思いでそこにいるようだった。治療の説明に及んだが、何の希望も見出せない。(中略)
医師の「大変なことになってしまって……」という言葉の後には、「ご愁傷様でした」という言葉が続くような気がした。始終とても憐れみ深い表情で接してくれたが、それは私にとって救いになるものではなかったのだ。
(中略)そして医師は、治療に関する説明を終えると、入院と手術に対する意志の確認もないまま、「抗がん剤の副作用で髪がなくなるので、カツラを持って入院するように」と言った。
この言葉は、私の気持ちに追い討ちをかけた。なんとも言えず嫌な気がした。抗がん剤の副作用で髪がなくなった母を思い出した。

絵門さんのお母さんも、がんとの闘病の末、十年以上前に亡くなられている。絵門さんの≪情報の渡し方に配慮のある医療を≫という言葉は、とても重い。
その後も、いろいろな病院で酷い扱いをされ続けたことが書かれている。
例えば、セカンド・オピニオンを求めて他の病院を訪ねたところ、“あの先生が言うんだったら間違いないですよ”と叱られてしまったり、“妊娠したい”と相談してバカ呼ばわりされてしまったり。

絵門:
母の時の経験が、すごく私を支配していたから、私の態度も悪かったと思うんですね。だからそんな目にあってしまうこともあったかもしれないと思うんですが、それにしても…。

こうして絵門さんは、西洋医学を完全に拒否する気持ちになってしまい、自然療法や民間療法にかける決意をする。覚悟を決めるために、「自分自身を洗脳する作業が必要になった」という。

(著書より)
この日から聖路加国際病院を訪ねるまでの一年二ヶ月の間、私は主治医も持たず、さまよった。あたかも「乳がん」という罪名がついて指名手配された容疑者が捜査の手から逃げ回るように、「病院にかかる」という世の中の良識から、肉体的にも精神的にも、ただひたすら逃げた。周りが何を言っても聞く耳を持たず、そのくせ「がんが治せる」という怪しい話にはすぐ飛びついた。

絵門ゆう子さん ただ逃げるだけではなく、がんを「がんちゃん」と呼ぶなど、前向きな意識作りの努力もされていた。
それでも、ここから始まる絵門さんの“さまよいの日々”は凄まじかった。本には、絵門さんが試した健康グッズや治療法の遍歴が書かれている。断食、玄米菜食、布団(100万円)、一辺1.5mのピラミッド(15万円)、波動を出すメダルを仕込んだ電動マッサージャーと波動マット(マットが17万円)、びわの葉エキスのかけ布団(20万円)、遠赤外線マット(17万円)、ピラミッドパワーの温灸機(15万円)、宇宙エネルギーを取り込む戸棚(普通の戸棚の10倍の価格)、マイナスイオン空気清浄機(30万円)、浄水機や健康食品は次々に買い換え、健康食品は一品だけでも月10万円を越えるものもあったという。更に民間療法で、草の粉療法(4ヶ月で50万円)、気孔(40分3万円)など。
「バカじゃない!?」と思われるかもしれないが、こういう道にハマってしまう人はかなり多い。

絵門:
普通の人はまず西洋医学の治療を受ける人がほとんどなんですが、主治医との関係がうまくいかないとかで、そっぽを向く人たちが出てくるんです。そうすると“さまよい”出すわけです。患者同士でありとあらゆる情報が出回りますが、何を選択すればいいのか、≪情報の道しるべ≫になるものが何もないんです。命のタイムリミットとのせめぎ合いですから、一歩道を間違えただけで、命を失ってしまうことだってあるんです。副作用がないと言われる治療法でも、実際には大きな負担がかかってしまって、ちゃんとした治療を受けるチャンスを失ってしまったり…。すごく危険な道です。

ご主人をはじめ周囲の人たちは、さまよう絵門さんを心配し、助言をしてくれた。しかし絵門さんは、“川の中洲に取り残された気持ち”だったという。

(著書より)
しかし、中洲は、川の水の勢いが増すごとにどんどん削られ小さくなっていく。だんだん不安になっていき、あせりも出てくる。川岸のみんなは、心配気に、でも私の神経を逆なでするようなことは言わないように心がけながら、私が戻れるようにと見守ってくれている。だが、所詮彼らは安全な川岸にいる人たち、手をつなげるくらいに近くにいてくれても、立っている所が全く違う人たち。がんを告知されたその日から、私は、みんなからは致命的に遠い所に置かれてしまった。
「目の前に、すぐそばにいてくれているようでも、ほんとうの意味で私と一緒にいるなんて川岸の人たちには絶対できないんだ」
見守ってくれて有難いという気持ちとは裏腹に、押しつぶされそうな孤独感と、言い知れぬ被害者意識と、時に攻撃的な反発心が私の心に巣くっていった。

そうこうするうちに、とうとう首に激痛が走り、呼吸も困難な状態となって、2001年12月22日、聖路加国際病院に駆け込んだ。その後も症状に起伏はあったが、今はこうしてスタジオで、とても元気にお話をされている。

絵門:
ついに、病院に行って治療を受けて、首の激痛や呼吸困難など、究極の症状を取ってもらいました。全身に転移はしているんですけれども、抗がん剤を使って、こんなに普通に、何ともなく生活ができています。1週間に一度点滴治療を受けに行っているんですが、副作用もほとんどありません。ただ髪の毛は全部抜けてしまって、今はカツラをつけているんですが、それ以外に辛いことはありません。

そういった経験を経て、絵門さんは本の中で次の三者に提言をされている。
(1)まず民間療法の先生達へは、≪人の生き死にを左右している、という責任感や使命感を最後まで持って欲しい≫ということ。

絵門:
例えば、聖路加国際病院で病気が治った人達の体験談集なんて出てないですよね。でも民間療法の世界では、一人でも治った人がいると、それを10倍くらいにして本が出てしまうわけです。患者にとっては“治った”という情報の方が強烈に入ってきますから、情報の取り方が歪んでくるんです。少なくとも、体験談を出す時に“この人はこれで治ったけれど、あなたに当てはまるかどうかはわからない”“あなた自身で確かめて下さいね”くらいの言い方をしなくちゃいけないのに、“治りますよ”という言い方をしてしまう人があまりにも多いです。

(2)次に患者たちへは、≪民間療法の先生を絶対視せず、信者のようになるな≫≪訪ねて行く時は一人で行くな≫ということ。

絵門:
ただでさえ心が弱くなっているから、強い言い方をされると、すがってしまうんです。だから、周りにいる冷静な人と動いて、情報を集めるということだと思うんです。

この二点だけを聞くと“民間療法には気を付けろ”という結論に行きついてしまいそうだが、この本では、更に前向きな提言がされている。
(3)西洋医学の医師たちへ、≪民間療法にすがりたい患者の気持ちを理解し、尊重してほしい≫≪民間療法と並行して西洋医学の治療を進めるだけの“度量”を持って欲しい≫と訴えているのだ。

絵門:
患者の症状と気持ち、両方を良くするためには、本当は統合医療であるべきなんです。でもいろいろな事情で出来ていません。妙に統合医療を謳っている病院は、西洋医学が片手間になっている所が多いんです。

現在では、民間療法と西洋医学が、お互いを排除し合う背反の関係になってしまっている。
今後の絵門さんの人生プランだが、なんと絵門さんは、首の激痛で聖路加国際病院に駆け込んだその日の午後に、がん患者やその家族の為のカウンセラーになる面接実技試験を受け、合格されている。

絵門:
勉強はがんになってから始めたんです。がんになって、患者同士で生き死にに関わる相談を受けることもあって怖くなって、「勉強しなきゃ」と思って。それで養成講座を受けて、単位を満たして受験資格を得ました。

―これからの予定は?

絵門:
がんの方やその家族の方専門のカウンセリングルームを、6月くらいから、細々ながら開いていくことができそうなんです。 例えば告知を受けて半狂乱になった瞬間に、冷静に話を聞いてもらえることは物凄く大事です。遺伝子が一つずつ違うように、がんも違うんです。だから一人一人違った答えを出さなくちゃいけないのに、一つの答えを押しつけるようなことは、とても危険です。

−6月から、忙しくなりそうですね?

絵門:
どこまで大丈夫からわからないけど、このまま最後の一呼吸まで突っ走って、それで死ねればそれでいいや、くらいの開き直りはできちゃって(笑)。
がんになっている人は一杯いますけれど、がんだから死ぬって思わないで欲しいし、がんと共存していく時代だって、思って欲しいです。

(著書より)
がんのおかげで、私は人間として、少し成長できたと思う。がんになったことを、もろ手を挙げて良かったとは決して言えないが、それでも、がんになったことも含めて、自分の人生をけっこう楽しめ、捨てたものじゃないと思えるようになった。これからも、がんから逃げず、がんの問いかけに一つずつ真面目に向かい合って生きていってみようと思う。そしていつか、もろ手を挙げて「がんになれて良かった」と言える日を迎えたい。
今はまだ、あまり大きな声ではないけれども、小声でなら「ありがとう」と言える。がんに向かってこっそり「ありがとう」と言う時、私はけっこういい顔をしていると思う。
私の最後の一呼吸がいつになるのかはわからない。でも、最後の一呼吸まで、私は『がんちゃん』に「ありがとう」と言い続け、生きていくことに向かっていたいと思っている。

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