日本でも!? 「クローン人間」議論再燃

放送日:2003/02/01

明日(2/2)、東京四ッ谷で、「妊娠・出産をめぐる自己決定権を支える会」という会合が開かれる。妊娠や出産について、色々な方法を自分で選べるようにしようよ、という主旨の集まりだ。「ラエリアン・ムーブメント」の別会社である「クローンエイド社」が「日本人のクローン・ベビー誕生」と真偽不明の発表をした直後だけに、当然注目は「クローン人間の是非論」に集まりそうだ。

現在は、本当かウソかという方向に話題が集まっているが、眼のツケドコロとしては、議論の本筋をもう一度追い直して見よう。

試験管ベビーの誕生以来、妊娠や出産には様々な方法が開発され、科学技術ばかりが先へ行き、ルール作りが後から付いていく、という状況が続いている。25年前、イギリスで試験管ベビー第一号が生まれた日の新聞を見てみると、「危険残る技術 倫理面での検討なお必要」という見出しや、「自然の摂理ゆがめてない」という博士のコメントが載せられているが、これらは今のクローン人間を巡る報道と全く同じだ。だが、試験管ベビー、即ち体外受精は、今では当たり前の技術となり、いちいちニュースで報道されることはなくなった。現在ではさらに進んで、夫婦以外の人から精子(または卵子)を借りる体外受精や、子宮も借りる代理母までが行われ始めている。夫以外の精子を借りるAIDという方法は、今では日本で年間約1000件も行われているそうだ。

このように、最初はとんでもないと言われていたことがだんだん当たり前になるという流れの中に、クローン人間もあるのだろうか?それとも、今度こそは超えてはいけない一線として踏みとどまるべきなのか?後者の論拠としてしばしば言われる「自然の摂理」とは、誰が定めたものなのか?妊娠・出産に関する先端技術を常に実行し、その都度議論を巻き起こしてきた長野県諏訪マタニティクリニックの根津八紘院長は、「歴史を振り返ると、実は『自然の摂理』とはその時々の科学技術の限界に皆が引いていた線に過ぎない」と主張する。

今のところ、クローンについては技術的な難点が指摘されている。だが、そうすると「技術的問題がクリアされればクローン人間造りはOK」ということになるのだろうか?今回は、技術論以外のテーマに注目してみたい。

昨年8月に、毎日新聞がある興味深いアンケート結果を報道している。ある医療系学生の団体が、全国の医療系学生に「クローン人間についてどう思うか?」というアンケートを採ったところ、回答の7割は「好ましくない」というものだったが、「不妊治療目的に限るならばよい」という人が半数くらいいる、という結果が出たというのだ。

これを、現場のお医者さんではっきりと声に出しているのが、先ほどの根津医師だ。夫婦間以外の体外受精は現在認められているが、これでは夫婦以外の遺伝子が子供に50%も混ざってしまう。だが、クローンを作るに際して夫婦どちらかの体細胞を使うならば、少なくとも他人の遺伝子は混入しない。それならば、クローン技術を使った不妊治療の方が捨てがたいのではないか、というのが根津先生の主張だ。
先日下村が根津先生を訪ねた際、「根津先生の同調者はいるのか?」ということについて、お話を伺ってきた。

根津:
表面には出てこないと思いますし、言うと非難ごうごうで頭叩かれちゃいますから、みんな顔を出さないんじゃないですか。私が条件付きでクローン賛成、なんていう話が出たら、「また根津が…」ってバッシング始まっちゃいますね。 今度、2月2日に「フロムの会」(前述の、妊娠・出産をめぐる自己決定権を支える会)というのがもたれるんですが、そこで半日くらい、クローンの話がなされます。私もそこで話をする予定になっていますが、これから、という事じゃないですかね。

このような条件付き賛成論に対して、「いくら不妊治療に限るとしたところで、結局一度認めてしまったら歯止めが利かなくなる」という反対論も根強く存在する。
今回「ラエリアン・ムーブメント」が発表したストーリーによれば、日本人クローンベビーは、不妊治療のためではなく、事故死した2歳の子供をもう一度取り戻したいという夫婦の要望から誕生したという。今回の真偽はともかくとして、実際、やがてはそうしたニーズも現実のものとなってくるだろう。これは不妊治療のような切実な理由ではなく、単なる欲望の充足にすぎない。このような状態が加速していけば、クローン技術が優れた者のみを残そうとする強者の理論を満たすものになってしまいかねないのだ。

悪用を防ぐために厳密な法規制を敷き、クローンは不妊治療に限るとすれば、妊娠・出産についての選択肢を増やすことが出来て良い、と言う声も出てきている。だが、それでもまだダメだ、と主張する論拠に、「選択肢が増えると、それを選択しない人への非難が発生する」というのがある。例えば、子供が出来ない嫁に、姑が「なんでクローン技術を使わないんだ!」と迫る場合がこれに当たる。選択肢を広げることで、結果的に自由を奪っていることになるのだ。

それでは、クローン技術を、人間のコピーでなく臓器再生用にのみ使用する、という意見はどうか。これに対しては、ジャーナリストの粥川準二さんが、つい最近出版した「クローン人間」(光文社新書 刊)の中で、次の2点を指摘している。
一つは、人体は取り替えが効くんだ、という考え方が社会に広まることの悪影響。もう一つは、臓器再生にしても、結局は女性の卵子から核を抜いた物が必要になり、どこまで行っても卵子提供者=女性が必要とされること。すなわち、排卵誘発剤の影響や取り出した卵子の使途についての情報不足など、女性ばかりに負担がかかる様々な問題が生じてくる。

最後に、根津先生の言葉をもう1つ聞いていただこう。新しい技術に挑戦する側が常にもつべき覚悟について。

根津:
その時は「先生の言うことはよく分かります」と言っていても、後になってみると、受ける側は、「ただ子供が欲しい」という浅薄な気持ちの元に私の施設の扉を叩いてくる人が多い、ということです。こちらとしては、色々な批判があっても、それを乗り越えて命がけでやり、そういう立場の人達を守ろうという心構えでやっています。昔から言われてきた、≪約束事は守ろう≫というような人間のあるべき基本的内容を維持していくことが出来ない人達との間に、その場の約束事だけで行ってはならない、と感じます。

これまでの反省に立脚した根津先生の主張には、説得力がある。これから、技術が発展すればするほど、それに附随して様々な問題が発生してくる。そこに、ただ「子供が欲しいんです」という気持ちだけで軽々にチャレンジしてもらっては困る、技術提供者(医者側)ばかりが悩む問題ではなく、技術利用者側も重大な決意を持って臨んでほしい、とういことだ。

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