前回に引き続き、日本赤軍の重信房子リーダー(一昨年逮捕)の娘、重信メイさんに、最近出版された『秘密――パレスチナから桜の国へ』という自伝を軸に、お話を伺う。
今回は、いよいよ母親が逮捕され、メイさんが日本に帰って来るというシーンから。
『日本時間2001年4月3日午後6時、飛行機は高度を下げて成田空港への着陸態勢に入る。お母さん。お母さんのいる日本に、お母さんの大好きな桜の季節に、とうとう帰ってきました。言葉にならない思いがこみ上げてきた。70年代の自分達のやり方を反省していた、母達。アラブにいても、いつも日本の生活や四季を大切にして生きてきた母達。母達を通して、いつしか私は、日本人も、日本も、大好きになっていた。長い間心に秘めてきた愛する人を求めるように、私は日本を求めていた。母が生まれた国。四季の折々が美しい国。人間関係が暖かい国。そんな日本という国の土を、私は初めて踏む。』
−ずっと、日本を知らずに育ってきたんですよね。
- 重信:
-
「知らずながら知っている、という感じですね。ずっと話を聞いているだけだったですから。実際に降り立ったときは、心臓の音が聞こえるような感じでしたね。
飛行機の中では、私は窓際ではなかったんですが、外を見たくて一生懸命でした。真ん中の席に座っていたんですが、窓の方を覗いたりして、この下のどこかにお母さんが、同じようにドキドキしながら待っているんだな、と思っていました。」
−想像していた日本と、実際に見てみた日本との違いはどうですか?
- 重信:
- 「日本に来て1年ちょっと、具体的に色々見てきたりして、違う所もあるな、と思います。例えば、エネルギーはいっぱい貯まってるんですけれど、全部生かしていないところがあるな、という点ですね。日本人は豊かですから、第三国の人達よりも皆、ちゃんと勉強できるし、学校にも行きたいだけ行けるし、普通の生活もできるし、戦争もないし…そういう中で、その《価値》を持ってるんだけど感じていない、と思います。」
重信房子被告の法廷発言が、本の後半にも登場してくるのだが、その中で昨年の米国テロに触れている。「無差別攻撃に反対し、哀悼の意を表します」というコメントの後に、暴力による報復(アフガン空爆)に異を唱え、「微力であれ、昔、暴力に希望や幻想を託した自らの過ちを省みるが故に、それを訴えたいと思います」と声明している。
−先程朗読した部分に、「70年代の自分達のやり方を反省していた母達。」という一文がありました。重信房子リーダーだけでなく、一緒に暮らしていた日本赤軍の仲間達は、当時の反省をメイさんにも語っていたわけですか?
- 重信:
- 「そんなに堅く語ったというわけではなく、家族として色々アドバイスをもらうという形です。私達が信じていた、パレスチナなどの「弱い立場の人達を助ける」ということが間違っているとは思わないけれど、今迄のやり方が本当にその人達のためになったのかな?とか、日本の代表として行ったつもりなんだけど、代表になれたのか?ということについて、議論したことはあります。」
−「アラブにいても、いつも日本の生活や四季を大切にして生きてきた」という部分もありましたが、これは具体的には?
- 重信:
- 「例えば、子供の頃私達は、家の中と外の文化が2つあるということを強く意識していました。日本にいたらやっていたような雛祭り、鯉のぼり、正月のお雑煮など、小さいことですが、家の中では文化を無くさないように、大切にしていました。食べ物だけではなくて、色々な話にも出てきましたし、お祭りのビデオを見たりもしました。日本にはいないけれど、何となく日本を知っていて、親しみがありました。」
−先日、重信さんと喫茶店に行ったとき、下村がコブ茶を頼んだら、「いいなぁ〜、私コブ茶大好き!」と重信さんが反応し、下村は「この人、本当にアラブで28年間潜伏生活してたのか?」と疑いたくなりました。(笑)
- 重信:
- 「梅干しやこぶ茶、おもちなど、なかなか向こうでは手に入りませんから、希少価値が高かったですね。日本ではいつでも手に入りますけど。」
アラブでは、日本赤軍メンバーが大家族のように共同生活していたため、親役の人もたくさんいたし、子供世代も皆兄弟のような感じでの暮らしだった。その中でも一番、妹同然だった、みどりさんの母親が逮捕されたくだりをご紹介する。
「サンセットの美しい地中海の海岸沿いのカフェテリアで、私は母の仲間から、みどりのお母さんがペルーで逮捕されたことを知らされた。私にとっても母代わりだった、みどりのお母さんの逮捕の知らせに、つい激昂してしまい、『何故あなた達はそういう戦い方をして、生き方を狭めてしまったの?』と、泣きながら怒りをぶつけてしまった。」
この本全体を通じて、パレスチナの人々への共感というものが底を流れている。現在の報道では、“自爆テロをどんどんやる人達”というイメージが強いが、そんな報道イメージに対して非常に大きな疑問を投げかけている箇所があるので、それをご紹介する。
「同時多発テロ直後、テレビでは、アメリカへの攻撃を喜んでいるパレスチナ人の姿が繰り返し流された。こんな画面を見ていると、多数の人々が犠牲になっている現実の前に、アラブ人は何て野蛮だ、人が死んでいるのを喜ぶなんて、という、反アラブ感情が作られてしまう。第二次大戦で、日本軍がハワイのパールハーバーを攻撃したとき、日本人は手を叩いて喜んだ。広島長崎に原子爆弾が落とされたとき、アメリカ人は、日本の降伏が早まると大喜びした。パレスチナの人達の姿も、こうした一コマに過ぎない。それを、反アラブ感情を作り出すために流されるのは残念でならない。人は、限られた情報の中でしか事実を見ることが出来ず、真実から遠ざけられてしまう。」
- 重信:
-
「映像って強い力がありますよね。映像を、人と人とを嫌わせるために使ったり、情報をフィルターしていって都合良い情報だけを流したりして、“気持ちの戦争”も加わって行くんですよね。
真実というのは、フィルターを出来るだけ通さずに伝えて、見ている人・聴いている人に判断してもらいたいですね。」
机上のメディア論でなく、壮絶な実体験からこう語る重信さんの言葉には、実感がこもる。これからフリー・ジャーナリストとして活動していく彼女の動きには、大いに期待し、注目していきたい。
★『秘密――パレスチナから桜の国へ/母と私の28年』 重信メイ著(講談社)