昨日は、元JNN『ニュースの森』キャスター・久和ひとみさんの一周忌だった。この機会に、『久和ひとみスカラシップ』の設立が発表された。久和さんのように、女性ジャーナリストが日本での仕事を中断して海外の大学や研究機関に留学をしたい時、それを資金的にバックアップしようという、いわば"第2・第3の久和ひとみ"を応援する為の奨学金。ひとみさんの遺産を財源として、今後およそ10年間程度、毎年1人に100万円を支給していく。お母様の久和啓子さんに、電話でお話を伺った。
−まず本題に入る前に、こういうオープンな場でお礼を申し上げたいことがあります。いつぞやは、下村が世話人をしている学生ラジオ局『BSアカデミア』に、《久和ひとみ文庫》として300冊余りもひとみさんの蔵書をご寄付頂きまして、ありがとうございました。そして、あの本に引き続き、今度は、御遺産を一千万円も後輩たちに役立てたいということで。一昨日の発表会見は、報道機関が17社も来てくれて、まずは良かったですね。
- 久和:
- ありがとうございました。あんなに大げさにしていただくとは思っても見ませんで、大変びっくりしました。
このスカラシップ、最初は、久和さんが通っていた留学先のコロンビア大学当局から、当時の日本人同級生たちに提案という形でアイデアが出された。それを受けて、同級生3人が動き出し、そこに後から下村なども加わって、実行委員会ができた。
そのあたりの経緯を、実行委員会の中心人物の三宮美保さん(電通)は、一昨日の設立発表記者会見の席で、こう語っている。
「大学の方から、『久和ファンド』というものを設立してはどうかと。日本を代表するジャーナリストで、何かの形で残せたらということと、ご存じの通りアメリカの大学は非常に学費が高いために、3分の1程度の学生がフェローシップを受けて入学してますし。ちょうど時期を同じくして、久和さんのお母様の方から、是非後進の方にお役立て下さったら、というありがたいお申し出を頂戴いたしまして、それを実現できたらという形で、学校の奨学金とは別に、そこからアイデアを得て生み出されたという形でございます。」
なぜ、当初提案の形でなく、大学とは独立した形で設立ということになったか。留学仲間たちによると、コロンビア大はさすがに名門で、各国の著名人の名前をつけた、こうした奨学金制度が沢山あるという。現実問題として、学生たちは、その人がどんな人なのかもよく知らないで、とにかく沢山申し込んで「もらえたらラッキー」という程度の気持ちしかない。そういう形はできれば避けて、「久和ひとみが活躍する姿をテレビで見て育って、同じ道を志した人たちを直接応援したい」というのが、実行委員会の思いだったのだ。それで、「学校のシステムとは別に、自分達で作っちゃおう」ということになった。ひとみさん自身は、自分の名前が出るのを嫌がる人だったから、「もっと控え目でいいよ!」と言うだろうが…。
−お母様は、こういう形で御遺産を生かそうと、なぜ決断なさったんですか?
- 久和:
- そのお金があったところで、私たちには有効に使う手だてを知りませんでした。主人も私も働いていたので、年金を頂いています。ひとみの財産まで当てにしなくても、国の制度が変わらない限りは、普通の生活ができるんじゃないか。それならば、ひとみは《生涯教育》ということを念頭に置いておりましたので、財産を有効に、そういう方面に使っていただけたらなぁ、と、そう思ったんです。それがあれば助かるな、という思いの方に使っていただければ、と思っています。
そういう希望を、きっとひとみさん自身も持っているだろうということは、三宮さんが一昨日の会見の場で、こんなふうに表現していた。
「久和さんはご存知の通り、非常に気取らない性格でいらして、それはニューヨークに行ってからも同じでした。テレビに出ていらした方であんなに気さくでそれから気取らない方はいないんじゃないか、というのが我々の印象です。例えば、ニューヨークの街角でベーグル・スタンドのおじさんと非常に気さくに交わったり、国籍を問わずキャンパス内外で親交を深めていました。我々の印象の中で、このスカラシップに一番近い所で申し上げますと、非常に陰に日向に、後輩のジャーナリストの卵達を励ましてくれていたということがあります。私自身も以前テレビ局に勤めていたんですが、その仕事を辞めて、一念発起、ニューヨークに旅立ちました。もちろん私費留学で行ったんですが、そのように何の寄る辺もなくニューヨークに渡り、あるだけのお金を持ってきたという人間に対しても、自分の知り合いを紹介してくれたり、こういう事をやった方が良いわよ、と非常にアドバイスを下さって、共に遊び、そして学んで、色々教えて頂いたと思います。」
- 久和:
- とにかく娘は考え方が質素でした。飾り物・光り物をあまり持っていない、洋服もブランド物はあまり持っていない、そして数少ないそれを非常に大事にしていました。
−こだわったブランドは、「顔のいい男」という一点だけでしたね(笑)。
応募条件の一つであるエッセイのタイトルは、「留学で見つけたい新しい私」。これは、ひとみさんが出した本「ニューヨークで見つけた!新しい私」(ダイヤモンド社)に因んだ。数ある久和ひとみ著作本の中でも、これは本当に元気になる、下村が一番好きな1冊である。このタイトルのもとで、留学にかける意気込み、目標を書いて欲しい、というわけだ。
第1号支給者の決定は、今年の12月頃になる。その段階で、何人かの補欠者も決める。この支給決定の段階では、スケジュール的に留学先の大学の合否が出ていないので、「決めたけれどその人が試験に落ちて、肝心の留学が無くなっちゃった」という場合に備えて、繰上げ候補を決めておくという仕組みだ。(ならば合格発表シーズン後に受給者を決めようか、ということも考えたのだが、そうすると「この100万円で、決心できた!」という後押しの効果が出せなくなってしまうので、あえてチャレンジの前に、「受かったらあげるよ」という約束をしよう、ということになった。)
諸外国の新年度開始は9月だから、現実に第1号の支給式は、来年(2003年)の夏頃、ということになるだろう。
−お母様は、我々実行委員に全部お任せ、なんて仰っていますが、1回目の支給式には、是非いらして下さいね。その時には、第1号の受給者にお話をされると思いますが…
- 久和:
- いえいえ、そんな出しゃばったことは…。そっと黙って見ていますよ。
実行委員の三宮さんは、この100万円を受け取る人への思いを、一昨日の会見で、こんな風に話していた。
「ある地方誌の記者を10年ほどしていた女性が、30歳前後にして一念発起してニューヨークに渡りました。語学学校でたまたま近くに座った日本人の仲間、ということで久和さんと知り合ったそうなんですが、彼女がなかなか大学院の方に通らないと言って困ったときに、相談に乗ってあげ、ニューヨークのジャーナリストを紹介したり、教授陣を紹介したり、こうやったら何とか入れるんじゃない?ということをアドバイスして、非常に力になってあげていました。また、私費留学で行っていた私達は非常にお金にも困っていたのですが、久和さんは、日本に帰られる際に家財を全部みんな仲間に分け与え、そして力になれるんだったらなんでもなるわよ、というふうに激励してくれました。そういった彼女のキャンパス内外での取り組み、遺志を生かす形で、この奨学金を使って頂けたらと思います。」
−これで、第2第3のひとみさんが登場して、活躍してくれると良いですね。
- 久和:
- そうですね。これからの時代にマッチした、向学心に燃えた方が、きっと出ると思います。
※この『久和ひとみスカラシップ』の、具体的な応募資格、申し込み手続き、選考日程、面接委員などについては、事務局である《日本女性放送者懇談会》のHPに、近く掲載される。 http://www.sjwrt.org/<
その他、問い合わせは ⇒ 電話:03-3352-9275 (平日9時〜18時) Fax:03-3352-9251