進藤晶子便り&旧宿場町の小さな祭

放送日:2002/2/9

【進藤晶子発・ここだけの話】

NYで生活中の進藤晶子さんから、eメールが来た。去年春の「ニュースの森」キャスター降板・TBS退社以後すっかり姿を消して、週刊誌の「あの人は今」などで時々あれこれ書かれているが、実は12月17日に渡米。1人きりで頑張る近況を、このコーナーでだけは一部読み上げてよし、と御本人の承諾を頂いたので、今回の本題に入る前に、ご紹介する。

●まず、到着直後の進藤晶子の目に映った、クリスマス〜年末年始のマンハッタン風景。
『今週で、滞在も一ヶ月になろうとしています。クリスマスまでは、日本人観光客の姿を町で見かけることはほとんどなかったのですが、新年が近づくにしたがって徐々に増えていったように思います。
一方、アメリカ人の観光客の盛り上がりぶりには随分驚かされました。人で溢れかえり、道路はひどい渋滞に。歩道がすし詰め状態になって将棋倒し寸前、なんてこともありました。もちろん、みんな心から新年の訪れを祝い、なにかしらの期待をもって大晦日を迎えようとしているのでしょうが、そこには、どこか意識的にテンションを上げようとしているようにも私には見受けられました。もっとも、道行く人ひとりひとりにたずねたわけではないのであくまでも私の憶測にすぎませんが。』

●次は、今通っているある学校の、英語力別クラス分けテストに行った日のこと。
『先日、近々通うことになる学校のクラス分けテストを受けにいきました。集合時間にはまだ30分もあるというのに、そこにはすでに40人近い人たちが集まっていました。ざっと見回してみても、アジア人はほんの7〜8人。そこにも、日本人の姿はほとんど確認できなかったのは、入学申し込みの締め切りが、テロ直後だったからでしょうか。「ほとんどが日本人だよ」という知人の予想は見事に外れたわけです。
ボーっと周りをみわたす私の傍らで、必死に問題集のページをめくるスペイン人(だと思う)の男の子が。どこの国にも、『TOEIC直前対策。これで700点突破間違いなし!』みたいな教材があるものなのか、と興味深く観察してしまいました。そして、3時間近くにわたるクラス分けテストが終わると、それ以上の活動を拒否した私の脳味噌と共にトボトボと帰路についたのでした。さてさて、この先どうなることやら。 いままでに体験したことのない寒さの中で、「毛皮のコート」や「耳あて」の存在の意味を初めて体感している進藤でした。』

【地元民以外誰も知らない、素敵な祭】

これが、バケツの水を凍らせて作った“基本型”。写真では判らないが、背景は古い家並み。 只今、『札幌雪祭り』の真っ最中。どこのメディアもこれは一度は採り上げるので、敢えてこのコーナーは《誰も知らない》イベント、『奈良井アイスキャンドル祭り』に眼をツケた。

木曽の山あい、長野県木曽郡楢川村・奈良井地区という小さな集落に、先週末、このコーナーが終わった後、行ってきた。昔の中山道に沿って、古い宿場町の家並みがそのまま残っている所。歩いていると江戸時代にタイムトリップしたような気さえするその街道沿いに、雪や氷で村人たちが作ったキャンドル台がズラッと並び、夜になるとロウソクを一斉に灯して雪道を幻想的に照らし出す。ロウソクの熱で台が溶けてしまうから、2/3の夜、ほんの数時間だけのお祭りだ。
地元・楢川村役場の土川修・総務課長さんに、電話でお話を伺う。

土川:
奈良井は、長野県の南西部にあります。東京からですと、新宿から中央東線で甲府を通って塩尻で一旦降り、そこから中央西線で名古屋方面へ5つ目の駅が奈良井です。
昔の中山道でいうと、江戸と京都のド真ん中、34番目の宿場町になります。
現在の地区人口は、990人くらいです。

下村が見た、一番典型的なキャンドル台の作り方。バケツに水を入れて放っておくと、外側から凍ってくる。その状態から、中心の水の部分だけを抜くと、中空のキャンドル台が出来る、というわけ。それから、芯まで凍った固まりに、熱湯入りの空き缶を押しつけて、じわじわ〜っと空き缶を押し込んでいって、溶けたところにキャンドルを置く、という手法もあった。

−皆さん各家庭でそれぞれ知恵を絞って作る、ということなんですね。

土川:
各家庭で、寒い中何日かをかけてアイスキャンドルを作り、それを街道沿いにず〜っと並べていきます。今年は、約1200mの道沿いに1000個ほどのキャンドルが並びました。風船の中で氷を作ったり、色々な手法で色々な形のキャンドルが並んでいました。

−本当にすてきな祭りだったが、歩いている人は、地元の人ばかり。何故、外にまったく宣伝しないのですか?

土川:
祭りを作った成り立ちが、「自分たちが寒い時にとにかく楽しもう」という発想ですので、外にあえて宣伝するつもりはないんです。別に、わざわざ秘密にしてるわけでもないんですけど。

なるほど、祭りのチラシにも、「主催:厳寒を楽しむ会」となっている。 このあたりは、木曽川沿いにずーっと寒風が吹いて、もの凄く寒く、普段は人通りが全然無い。点灯の時間になったら突然、「えっ、こんなに人がいたの!?」というくらい人々が湧き出てきて、皆が楽しげに会話を交わしていた。

その寒さの中、隣村出身で東京に出て頑張っている峰ちはるさんという演歌歌手が、祭りのゲストで登場! 道端にビールケースを並べてベニヤ板を乗せただけの"ステージ"の上で、着物を着て、凍える素手を握り締めて、一生懸命歌っていた。村の人々は、豚汁をすすりながら、やや遠巻きの輪になって聴いていて、「皆さんもっと近づいて下さい」と峰さんが呼びかけたら一斉にザザーッと物も言わずに近づいたりして、なんとも言えず素朴ないい雰囲気だった。

こういう"よそ者が知らない"素敵な小さな祭りが、実は日本の各地に隠れているんだろうな、という再発見をさせられた。本来「自分たちが楽しむ物」、という祭りの原点を、確認した思いだ。

−持ち帰った祭りのチラシには、「第4回」とあります。…ということは、3年前に始まったばかり?

土川:
たった4人の若い人達が、酒を酌み交わしながら、寒いのをどういう風にして楽しくするか、というところから、最初にキャンドル台を少し作ったわけです。それを見た人達が、うちも、私も、ということで始まったんですね。

もともと、皆でこの村を作って行こう、という意識・誇りが高いのだと思う。そうでなければ、あんなに見事に、古い町並みは残せない。

−1軒のシンボル的な旧家を川崎市の『日本民家園』に移築するという話が出た時から、住民皆が、町並み保存ということにハッと気付いたそうで。

土川:
住民の動きがあって、それから昭和53年に、国から「伝統的建造物群保存地区」に指定されました。町並み全体が文化財である、という指定です。

木造ホールで全校揃って給食。(漆の食器導入前の撮影) 「自分たちで村を作る」という意識の表れを、祭りの翌朝・月曜日、村のシンボルである小学校でも目撃した。1学年1学級、全校生徒数103人の、楢川小学校。10年前に立て替えられた新校舎は、地元の木曽ヒノキをふんだんに使った木造校舎で、とても綺麗! 檜の巨木で出来たホールでは、全校生徒が一堂に集まって給食を食べるのだが、この給食の食器がなんと、全員分、地元の漆塗りなのだ!

−これはつまり、村の人たちの意思として、村議会が予算をつけて、「教育には金をかけよう」と選択した結果ですよね。

土川:
村の財政が豊かなわけでは決してありません。ですが、小学校をそのように作ったのは、《村づくりは人づくりである》というポリシーがあったからなんです。

きっと、全国各地に、こういう"知られざる『奈良井アイスキャンドル祭り』"的な行事があるのだろう。どこでも、たまたま目撃した"よそ者"の口から(このHPのように…)徐々に有名になって、観光客が訪れるようになっていくのは、止めようも無い自然の流れだ。だが、そうなった時にも、《主役は自分たちだ》という気持ちは、いつまでも堅持していって欲しい。

−今後もこのお祭りは、全国に宣伝しようというおつもりはなくて、あくまで自分達で楽しみ続けたい、という方針ですか?

土川:
はい。全国の方に来ていただきたいのは、毎年6月(今年は7〜9日)にやっている、漆器祭、宿場祭の方です。こちらは漆器の市などの色々なイベントをやっており、今年でもう35回目を迎えます。全国で漆器の市は1つしかないと思うので、新緑の木曽路に、是非お出かけ下さい。
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