サッチーこと野村沙知代容疑者が、今週水曜(01/12/5)に脱税容疑で逮捕された。ワイドショーや週刊誌などが大騒ぎの報道合戦を再燃させているこのタイミングで、敢えて世間の風に逆らって、「ここまでバッシング報道していいの?」という観点から眼をツケたい。
このコーナーでは5週前にも、『金曜芸能/報道される側の論理』という本の出版を取り上げた。近年、ワイドショーや雑誌を中心とするメディアで集中砲火を浴びた人たち御自身がズラリと登場して、取材された経験から見えた《報道陣の姿》を語った本で、野村沙知代氏本人も、登場している。
今回は、この本に収録されている対談でサッチーの言い分の聞き手役を務めた、元・共同通信記者の浅野健一・同志社大学教授に電話でお話を伺った。
−サッチー報道に極めて批判的だった浅野さんですが、逮捕という展開を受けて、今はお考えに若干の軌道修正を迫られてる状況ですか?
- 浅野:
- 逮捕されたことと、200日にわたってバッシングしたメディアの責任とは、違う問題。これによってメディアが免責されるわけでは無いと考えている。
ある人が警察に逮捕されると、その人を全ての面で悪者に仕立ててバッシングするというのは、良くある現象。だが、野村沙知代氏の場合は、各メディア(特にワイドショー、週刊誌)が、通常を越えた人格中傷をしてしまった。そのことは大きな問題だと思う。 - 逮捕されたことと、200日にわたってバッシングしたメディアの責任とは、違う問題。これによってメディアが免責されるわけでは無いと考えている。
−逮捕によって、再びバッシング報道が再燃しましたね。
- 浅野:
- 今の報道で興味深いのは、刑事手続きが始まるずっと前からメディア側が大騒ぎを繰り返し、今回、それまでにやっていた報道を何度も何度も再利用した報道をまたしている点。一時期なりを潜めていたバッシングが、逮捕によって大きく復活してしまった。
−逮捕後のメディアのコメントなどで、特に引っかかる所は?
- 浅野:
- これまで日本の新聞は人格を誹謗する見出しは控えていた筈だが、今回、朝日新聞の社会面には、「猛母猛妻」という見出しが掲載された。「逮捕=全人格否定」という点が日本の犯罪報道の悪い癖だが、今回はその悪い所が通常の何十倍にもなって出てきてしまっている。《逮捕された側の言い分》とか、《ひょっとしたら検察の側にも落ち度があるのでは》というチェックの視点がゼロの報道ばかりになってしまった。
−メディアは、検察発表に踊って「鬼畜サッチー」と言ってばかりだが、これは大本営発表に踊って「鬼畜米英」と報道した頃とどこが違うんだろう…。
- 浅野:
- 裁判で判決後ならまだしも、検察の逮捕は「絶対」ではない。犯罪については、加害者の反論を十分に聴いてから裁判で判断する、という近代社会のルールが忘れられている。
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−でも、逮捕を鵜呑みにする割には、不起訴になった学歴詐称がらみの公選法違反被疑事件については、「検察判断はおかしい」と、証拠の明示も無く“疑惑”視が再燃している。
- 浅野:
- 1つの悪の取り調べが始まると、他の事も全部悪いのではないか?という日本の風潮が如実に表れている現象だ。一般的には、「逮捕されると悪い人だ」と考えられてしまうが、「冷静に捜査や裁判の経過を見守りましょう」と社会的に啓蒙するのがジャーナリストの役割なのではないだろうか。だが、野村邸の周りにいるジャーナリストを見ると、そういう視点は全くないし、ただ野村さんを批判するだけのコメンテーターもいる。そういう人達を使っているメディアの責任もある。
−嫌いだとか不愉快だとかいう感情的な部分でマスコミが動いてしまっている点もありますね。
- 浅野:
- 社会に色々な問題がある中で、野村沙知代氏を皆でバッシングすることで快感を感じるという状態になってしまっている、と考えている。
−ただサッチーの場合は、自分からマスコミに登場して言いたいことを言うタレントでもあったわけで…。
- 浅野:
- 自分からメディアに出ている人については、たしかにある程度プライバシーを制限されてしまうが、だからといってその人に対して何を言っても良いというわけではない。その部分で《限度を越えてしまっている》のが問題であり、品格ある報道をしなければならないと考える。
−毎日新聞のWeb版「毎日インタラクティブ」が、『サッチー騒動どう思う?』で以前メール意見募集したが、それを見た時も、メディア鵜呑みの意見にショックを受けた。
- 浅野:
- 私の周辺にも、野村さんに対して偏見を持っている人は少なからずいて、「なんで浅野さんがサッチーのような人と対談しているのか。」と言われたこともある。
- → http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2000/nomura.html
- 日頃、人権と報道の問題に取り組んでいる人でさえも、メディアからの情報だけで特定の印象を持ってしまい、「サッチーはメディアの報道被害とは別」と考える人たちが多数いる。
- 私の周辺にも、野村さんに対して偏見を持っている人は少なからずいて、「なんで浅野さんがサッチーのような人と対談しているのか。」と言われたこともある。
−こういう騒ぎの報道によって、他の報道がなされなくなってしまうのも、もう一つの問題。
- 浅野:
- 前回の「サッチー騒動」の裏では、戦争ガイドライン、盗聴法などの立法が着々と進められていた。現在の状況でも、世の中に多くの問題があるなかで、サッチー報道で報道されなかったニュースについて考えて貰いたい。
−この本(『金曜芸能』)の中で、野村氏本人は、「私をどうしたかったのか、目的は何だったのかを問い掛けたい。」と言っている。
- 浅野:
- 脱税という社会悪は裁かれなければならないが、野村氏が人間的に悪だと決めつける報道はしてはならない。むしろ、脱税をきちんと解明するためにも、今は冷静になっていなければならない。
―――今回は、メディアの中で1つぐらい違う観点から物を言う番組があっても良いと思って、こういうテーマを取り上げた。「下村、何言ってんだ!」と思う方、あるいは「その通り!」と思う方、ご意見・ご要望を下さい。