「金曜芸能/報道される側の論理」出版

放送日:2001/11/03

ずっと楽しみにしていたブックレットが、ついに先週出版された。「金曜芸能〜報道される側の論理」。三田佳子さんの次男・高橋祐也さん、野村沙知代さん、三浦友和さん、三浦和義さん、宅八郎さん…という、近年ワイドショーや雑誌などのメディアから集中砲火を浴びた御本人が、取材された経験から見えた報道陣の姿を語っている。三田佳子さんの章を例に、編集した山中登志子さん(週刊金曜日)に、電話で伺った。

【1】そもそも事実が報じられていたのか?

覚せい剤事件本体については祐也さんも認め反省しているが、量的に本体を圧倒した周辺情報の数々は、事実だったのか?祐也さんはこの本の中で、こんな風に語っている。
「授業参観・運動会・学芸会・バザーなどの行事で、母はすごく頑張っていた」 「『次男が語る母・三田佳子への憎悪』という中吊り広告を見て、脱力し失笑した」 「かすっていればいいが、かすりもしない。まっすぐ投げろ、オーイ、という感じ」

山中:「記者が事実確認をしないから。三田事務所への問い合わせは、会見や入院場所、『どうしてウチにはコメントをくれないのだ』という抗議ばかり。」

祐也さんは、山中さんのインタビューに対し、こうも答えている。
「自称"友達"がよく出てくるが、誰だか分からない」
「友人は記者にオレのことを『もっと悪く言ってくれ』と言われ、仕方なく話した内容だけが使われた」

父親である高橋康夫さんもこう語っている。
「ディテールをフィクションで固めていく。マスコミとは物語を作るもの」
これは取材者側に、『予め描いたストーリーへ当てはめよう』という潜在意識が働いてしまった時に起こることだろう。やはり視聴者・読者側にも、情報を鵜呑みにせず「これホント?」と一歩引いて冷静に受け取る《眼力》が必要だ。

【2】『○○は悪いことだ』という固定観念を世間に植え付ける弊害

祐也さんは、こうも指摘する。
「『親が離婚しそうだからグレた』なんて、型にはめるな。」
「女性が働くな、ということ?そんなの、働く女性に失礼だ」

たしかに、ある個人を声高に非難することは、同時にその言葉によって、同じ属性を持つ他の人達をも傷つけることになる。異質者をハッキリさせることで「自分は多数派側だ」と確認・安心したい視聴者群が、そういう指弾の仕方を支持する。こうして、『○○は悪い事なのだ』という固定観念が、世間にますます強固に植え付けられていく…。

山中:「記者たちはただバッシングしたいだけ。最も近いパートナーに自分について書いてもらった場合でさえも、『違うな』と感じることがある。そこに、悪意や一定の方向に導こうとする意図が入っていたら、ますます違う印象を与えてしまう」

【3】「報道」被害の前に発生する「取材」被害の問題

祐也さん:「同級生の家に毎日、約10社から取材の電話があった」
高橋康夫さん:「家の周りにヘリが飛んでいて大変な近所迷惑。息子は生きる場所を失った」
これは三田さん報道に限らず、現場では極めてよく起こることだ。報道陣が自主的にルールを作るということは不可能なのか?と、本の中で山中さんは問題提起する。しかし、一律のルールが出来ると、例えば政治家がそれをタテに取材拒否する危険性もあり、難しい。

山中:「ルール作りも必要だが、今回はそれ以前の問題。マスコミ各社が『何を伝えたいか?』が分からなかった。アンケートを各社にとってみたが、全然見えてこなかった。」

―――ところでこの本、そのインパクトの強さの故に、逆に全くニュースで紹介されないという、皮肉な事態に直面している。今の所、この『眼のツケドコロ』コーナーが、採り上げた唯一の番組らしい。

山中:「発売前日にマスコミ各社にリリースを送ったが、沈黙されている。都合がよくないからかな?」

私たち報道《する側》が反省の気持ちで読むだけではなく、いつ《される側》になるか分からぬ被害者予備軍であり、同時に《見る側》として支えている間接的加害者でもある一般の人たちにも、自分の問題としてぜひ読んで欲しいと思う。

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