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下村健一の中と外

ニューヨークの室内は、アラスカの森より寒いかも。

2007年8月27日

アラスカの友人宅に24時間接続のインターネットが開通した話を、前回書いた。これで東京にいる時と同じように情報のやり取りが出来る!と思いきや、結局それっきり、アラスカを脱出するまで、僕は再び通信途絶の環境に置かれることになった。前回の駄文を送信した直後に、その友人の奥さんが、僕にピシャリと宣言したのである。「もうこれで、我が家のパソコンは使用禁止だからね。東京に帰ったらまた仕事漬けで家族とバラバラになるんだから、折角ここにいる間ぐらい、妻子と過ごすことだけに時間を使いなさい!」

圧倒的に真っ当な判決。控訴のしようもなく、僕はすごすごと(でも深く感謝しつつ)その言葉に従い、正しい夏休みの過ごし方に立ち返った。そうだよ、「ONとOFFの差が大きいほど人生は面白い」というのが、僕の持論だったじゃないか。地球の隅々にまで触手を伸ばしたwww(ワールド・ワイド・ウェブ…まさに文字通り!)という名の“網”に、こうも易々と絡め取られそうになるとは、俺も情けない小魚だ!

―――しかし、先週末に移動して来たニューヨークでは、勿論もっとヤバい文明の毒が、僕らを待っていた。こうしてアラスカの針葉樹の森からマンハッタンの摩天楼の森に直行して来ると、本当に、ユナイテッド・ステイツの両極端を1日の内に目の当たりにして、目眩がしそうになる。
 久々に訪ねるどのオフィスでも友人宅でも、子ども達までが当然のようにwwwの網の中。(アラスカで目覚めた反省からネット謹慎中の僕も、つい1回だけ、こうしてまた休暇中の禁を破ってくだらない一文を発信してしまったし…。) そして、今泊めてもらっている米国人の友人宅も、他の多くの家と同様、相変わらずの無駄な全館冷房。無人の部屋も、それどころか留守中も、常に家じゅうをギンギンに冷やしながら、当の友人は、地球温暖化への憂慮を真剣に語る。もともと人は(僕自身を含めて)自己矛盾を抱えた存在だけど、ここまで見事にその自覚が無く多岐にわたって天真爛漫だと、指摘するのも面倒になる。本当に、根は“いいヤツ”ばかりで、大好きなんだけどねぇ…。なんとも罪深いお人好しの多い国だ、とつくづく思う。

あと、別に深刻な話では無いけれど特筆すべき文明化は、久々に見るニューヨーカー達が、当たり前のように携帯電話を使っている姿だった。2000年にここでの生活を終えて日本に帰国する時点では、ニューヨークでの携帯電話の普及度は、大幅に東京より遅れていて、まだまだ“先進的ビジネスマンの持ち物”という程度の印象だった。その記憶で固定されていた僕にとって、この変化の大きさは浦島太郎級だ。(2000年の帰国時には、逆に東京の街行く人が皆携帯電話をいじっていることに、本当に唖然としたものだが、そのサプライズの再来である。)
 しかも、手持ち式ではなく、耳掛け式の小型電話を使いこなしている人が、東京より明らかに多い。補聴器とあまり変わらぬサイズで、口元に寄せる小型マイクすら無い型だから、体格の大きい黒人が黒色の耳掛け電話で喋っていると、本当に何も見えなくて、「妙に会話調で独り言を続けているヘンな人」かと思ってしまう。近未来の街中では、人々はこうして皆、手ぶらでペラペラと“1人で会話”しながら、通りを行き交うのだろうか。なんとも薄気味悪い光景じゃ。