小下村塾/投球の仕方--自分で発信!

東京大学「メディア表現演習」講義

第7講 2003年6月16日

ケーススタディ―市民メディアの現状

今回は、私がこれまで"市民メディアトレーナー"として目にしてきた、市民メディアの現状について取り上げる。  ここ2年半、私が様々な団体を見てきた実感として、今後10年程は、多くの市民メディア団体が生まれては消えていく混沌期が続くだろう。今回は、市民メディア≪団体≫の消滅と誕生の経緯について、下村が関わった『BSアカデミア』と『東京視点』を例に紹介する。また、『東京視点』最新メンバーの中村真珠(まみ)さんをゲストに迎え、話を聞きながら、市民メディア≪発信者≫の誕生について見ていこう。
 下村が普段から強調している≪市民メディアの可能性≫を、今回は肌で感じてもらいたい。これから制作実習に取り組む受講者諸君にとって、役立つ情報も多いはず!

[1] 市民メディア≪団体≫の消滅と誕生
    ―『BSアカデミア』・『東京視点』の場合

【消滅】BSアカデミア
        ―2年4ヶ月の試みが残したもの

2000年12月1日から2003年3月29日まで、TBSのBSラジオで全国に向けて放送していた『BSアカデミア』。全国向けとしては日本で初めての、大学生だけで企画・制作されるラジオ局だった。『BSアカデミア』には、ラジオドラマ、映画紹介、就職情報など、多くのコーナーがあり、私は『ニュース・アカデミア』というコーナーの専属アドバイザーを務めていた。

(1)誕生の経緯
  …≪既存メディアの空き地利用≫という新しい形

2000年12月、BSデジタル放送がスタート。既存の各テレビ局はとりあえずチャンネルだけは確保したものの、流すコンテンツに目新しい物がなかった。そこでTBSでは、BSラジオの中の1チャンネルを丸ごと開放し、大学生が作ったコンテンツを流すことにした。webサイトから参加者を募り、集まった約500人から面接等を経て、180人程のメンバーで『BSアカデミア』がスタートした。
 大手メディアの"新しいスペースはあるのにコンテンツが無い"という状況は、今でも続いている。そこに、"コンテンツはあるのに発信の場が無い"市民メディアとの利害の一致が生まれる可能性がある。

(2)「100%大学生制作」実現の意味

前述の通り、『BSアカデミア』では企画・制作の全てを大学生が行った。TBS側のスタッフがやったのは技術指導のみ。それまで、大学生が番組の中に"素材"として組み込まれる例はいくらでもあったが、『BSアカデミア』は、大学生が"主体"となって作るという新しい試みにチャレンジしたのだ。
 TBS側には、「100%大学生制作」にすることによって、人件費をかけずにコンテンツを送り出せるという利点があった。一方大学生側は、大手メディアの大掛かりな設備と全国向けの電波をタダで使って、自分たちの発信をすることが出来た。  このような≪大手による市民メディアの取り込み≫VS≪市民による大手メディアの一角崩し≫の攻防は、今後もしばしば発生する構図だろう。しかし、前者が勝って、市民メディアが完全に大手メディアに取り込まれ、"ミニ大手"になってしまっては意味が無い。市民メディアはあくまで、MyワードでMyニュースを伝えるMyメディアであり続けるべきだ。

(3)片鱗を見せた≪市民メディアだから出来る事≫
  …"市民メディアでも"ではなく!

市民メディアの送り手が自分の≪属性≫を活かしきると、大手メディアにもできないような作品が生まれる。
 私が専属アドバイザーを務めた『ニュース・アカデミア』からも、「学生」という属性を活かした、大手メディアとは全く違う視点のニュースが数多く放送された。その中から、いくつか例を紹介しよう。

【 例1 】
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件。この時『ニュースアカデミア』の学生達は、留学や旅行で日本を離れていた友人達に一斉にメールで(電話は不通になった)連絡し、情報提供を呼びかけた。
  事件直後のNYからは、WTCビルに飛行機が突っ込む瞬間を直に目撃した旅行中の学生、WTCビルに続いて倒壊した隣のビルでインターンをしていた学生の声が届いた。また、「マクドナルドに買出しに来たけど、もうフィレオフィッシュしか残っていません」というリアルなリポートをしてくれる学生もいた。(やっぱり肉が好きなんだ!)アメリカ中西部からは「学校の中ではもうアラブ系の学生へのいじめが始まっている」、テロリストを乗せた飛行機が飛び立ったボストンからは「街の中は物凄い警戒で、市の中心部に全く入れない」という情報が、それぞれ留学生から入った。また、アメリカ国外からも、イスラエルを放浪中の学生から「ヨルダンの国境が封鎖され、身動きがとれない」というリポートがあった。
  『ニュースアカデミア』でこれらの情報を発信していた頃、大手メディアでは、飛行機がWTCビルに突っ込む瞬間の映像ばかりをひたすら繰り返し流していた。今や、日本の学生は常に世界中にいる。学生ネットワークを使えば、目線が低く鮮度が高い情報を、様々な場所から迅速に集めることができるのだ。


【 例2 】
インド北西部を襲った大地震。発生から約1ヶ月半が経ち、日本のメディアでは報道されなくなった後も、『ニュースアカデミア』は、現地で日本医療救援機構のボランティア活動を続けている学生からの衛星生電話リポートを継続して流した。
この学生は、被災女性が仮設テントの中で出産した話を紹介し、「生まれた赤ちゃんのおばあちゃんが本当に喜んでいて、僕のTシャツに書いてあった『MeRu』(日本医療救援機構の頭文字)から、生まれた赤ちゃんに『メルバ』という名前をつけてしまった!」という熱いリポートを届けてくれた。
大手メディアは日々新しいニュースに追われ、インドの地震も3日も経てば過去の話になってしまう。しかし学生達には、常に新しいニュースを追いかける必要がないので、一つの話題を気が済むまで丁寧に追うことができるのだ。被災地で生まれた赤ちゃんに日本の救援グループの名前が命名された話は、BSアカデミアが報じてから半月遅れて、読売新聞がようやく後追いした。

4)閉局の経緯
   …人件費ゼロでも≪資金が回転しない≫ことの限界

BSラジオはその存在自体が知られておらず、リスナーが少ないためにスポンサーがつかなくなってしまった。いくら人件費がゼロとはいえ、維持費はかかっていく。無収入では立ち行かない。TBSは、『BSアカデミア』の意義は大きいと見て、"自腹を切る"恰好でなんとか継続していたのだが、2003年3月、とうとう閉局を決断した。

(5)では、この試みは、徒労だったのか?
  …1人1人が≪発信体験≫を得て社会の中へ!

放送をしていた2年4ヶ月間が無駄だったとは、私は全く思わない。このチャンネルに関わった学生達は、発信体験を通して確実に≪ニュースを見る目≫を養った。彼らは今や、ニュースを見ていて、「この視点が足りない」「こういう作為が入っている」と見抜く事ができる。報道とは関係ない職業に就いて社会の中に散っていっても、それぞれの職場の飲み会で、あるいは教師として教え子に、母として我が子に、目の肥えた受け手として、『アカデミア』体験を浸透させていくことが出来るわけだ。
  だから、私が思うに、市民メディア≪団体≫の存亡はあまり大きな問題ではない。極端な話だが、≪団体≫が1日で潰れてしまったとしても、関わった≪人≫にとって、その1日は必ずプラスになる。誕生と消滅を繰り返しながら、目の肥えた受け手の裾野だけは確実に広がってゆく、そこに市民メディア拡大の不可逆的な"時代の風"を感じるのだ。

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【誕生】東京視点
        ―発足1年半の着実な成長ぶり


現在、『BSアカデミア』とは対照的に、着実な成長を続けているのが、インターネット放送局『東京視点』だ。東京にいる中国人留学生や日本人の学生が、日本の最新動向や中国関連の情報を映像でリポートしている。

(1)誕生の経緯&(2)「100%大学生制作」実現の意味
   …『BSアカデミア』と同じ構図
人民日報側 ・webサイトの動画配信スペースに空き地がある。
・現地のアマチュアに全て任せた方が面白いものが出来る。
学生側 ・自前のURLより、アクセス数が多い人民日報のサイトをタダで利用した方が見てもらえる。

―ここでも、≪大手既存メディアVS市民発信者≫の攻防という構図の中で、相互の利害がうまく噛み合っている。

(3)さらに鮮明になった≪市民メディアだから出来る事≫

『BSアカデミア』で垣間見えた市民メディアの強みが、『東京視点』では更に鮮明に見えてきている。
  『東京視点』のメンバー達は、≪私≫に徹して作品を制作している。自分の身近な人、身近な話題をとことん密着して描くことで、逆に普遍性が生まれてくるのだ。(この後紹介する中村さんの例からも、それが感じ取れるだろう。)

(4)これからどうなる?
   …≪人の回転≫は頻繁。≪資金の回転≫がやはり課題!

『東京視点』は学生主体のため、サークルに新しいメンバーが入るように、この4月にも次々に新メンバーが集まった。しかし、作品を一つ作って満足して、または卒業・就職などの事情で、抜けていくメンバーもまた多い。新陳代謝が非常に激しい団体なのだ。
  資金面では、『BSアカデミア』程ではないが、やはり多少の運営費用はかかる。事務所の家賃、テープ代や交通費、カメラなどの機材にかかる費用は、今のところ善意に頼るか、メンバーが自腹を切っている。
  今後、『東京視点』からたまたまヒット作が生まれ、スポンサーがつくような事になれば、成り行きとして、もっと大規模な組織となっていくのかもしれない。あるいは、今の状態のまま、メンバーの入れ替わりを繰り返しながら地味に継続していくのかもしれない。
  下村の私見では、市民メディアはこうして自然に育っていく物だ。無理をして巨額の費用や人員を集めて大きくする物ではない。作品が生まれ、面白い物ができればまた人や金が集まるし、そうでなければ消えて行く。そうやって、自然淘汰されていくだろう。

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[2] 市民メディア≪発信者≫の誕生
    ―中村真珠さんの場合

『東京視点』新メンバー・中村真珠さんは、この3月に上智大学外国語学部を卒業、今から数日後にタイへの留学を控えている。今回は、完成したての映像リポート『寺西さんのこと』を見せてもらう。中村さんは今回、映像制作に初挑戦。中村さんの地元の駅にいる、いわゆる"ホームレス"の寺西さんと、中村さん自身との交流を描いた。作品の中では、道端の"ホームレス"が、一人の人間である"寺西さん"へと変わっていく。

(1)『寺西さんのこと』制作の背景

中村さんと寺西さんは、4年前からの友人同士。国際協力への関心、貧困・差別に対する問題意識を持っていた中村さんにとって、大きな荷物を抱えて路上生活をしている寺西さんは、気になる存在だったという。4年前の大雨の日、中村さんは意を決して、たまたま持っていたお弁当を寺西さんに差し出し、話しかけた。今ではお互いを「寺西さん」「まみちゃん」と呼び合い、確かな信頼関係を築いている。
  仲良しの友人を周囲に紹介するように、寺西さんのことを多くの人に知ってもらいたいと、中村さんはこの春、寺西さんをカメラで撮り始めた。

(2)受講者達との質疑応答で見えたポイント

作品の上映の後、受講生達からは、中村さんに様々な質問・意見が寄せられた。その質疑応答の中からは、市民メディアと大手メディアの大きな違いを見つけることができる。

【「伝えたい!」が先にある】
質問: 寺西さんは、カメラを向けられることに対して抵抗はなかったんでしょうか?
中村さん: 寺西さんよりも、むしろ私の方に抵抗がありました。寺西さんに向かって急にカメラを向けるのは失礼かな、と思ったり…。それまで取材対象として付き合ってきたわけではなかったですし。でも寺西さんのことを伝えたいから、私の気持ちを話してお願いしました。そうしたら快諾してくれて。寺西さんの方から、「撮らなくていいの?」「まだカメラ持ってこないの?」と聞かれたくらいです。
大手メディアは、伝えるための≪場≫が先にあって、「何を伝えるか」を後から探す。対照的に、市民メディアは、≪伝えたい≫ものが先にあって、「どこの場で伝えるか」を後から探す。中村さんの場合、取材相手に対してカメラを向けようと思い立つより先に、既に4年間に渡って築いた信頼関係があったからこそ、作品ができたのだ。寺西さんのあの表情、あのコメントは、手練手管のプロのインタビュアーでも、いきなり取材を始めたのでは、なかなか引き出せるものではない。

【"伝えなければいけない"縛りは無い】
質問: 最初は、ホームレスを社会問題として描くのかな、と思って見ていたんですが、そういう部分は省いて、友達感覚で作ってありました。社会問題みたいな部分は、あえて省いたんですか?
中村さん: あえて、省きました。いろいろ考えて、本当に伝えたいのは、"ホームレスの"寺西さんではなくて、私の"友達の"寺西さんだと思ったので。寺西さんがホームレスになった「理由」とか、「日本にはホームレスの人が何人いて」っていう話は省いてあります。
大手メディアには、こういう作り方ができない。大手の作る作品は、最低限伝えなければならない最大公約数の情報が8割。作り手が個性を出せるのは残り2割程度かもしれない。ホームレスを描くのならば、まず社会の中での全体像を描いて、その中で主人公がなぜホームレスになったか、という作り方をしなくてはならないだろう。
しかし市民メディアの場合、「私はこれが伝えたいんだ」という特化した情報だけで作ることができる。
 大手メディアと市民メディアの棲み分けがうまく出来れば、「全体像から≪知識≫を得たい時は大手メディア」「特化した情報から≪実感≫が欲しい時には市民メディア」といった選択肢が広がるだろう。

【"埋めなくてはならない"枠が無い】
質問: この作品が、インターネットで世界中に配信されることについては、寺西さんはどう言っているんですか?
中村さん: 実はこの作品、『東京視点』で配信するのをやめようかと思っていて…。『東京視点』で流さなくちゃいけないからこの作品を作った、というのには抵抗があります。それに、この講義のように私が補足説明をしながら見てもらえればいいですけれど、ネット配信ではそうはいかないし、どんな人がどんな受け止め方をするかわからないので…。今いろいろ悩んでいます。
不特定多数の人に発信すれば、中には制作者の意図とはまったく別の受け止め方をする人も確実に出てくる。それを避けたいと思うのなら、別の発信方法を考えてみてはどうだろう。自主上映会を開いたり、学校や市民団体へ持ち込んだり、方法は多種多様にある。大手メディアは番組枠に穴を空けるわけにはいかないが、市民メディアは、発信方法を自由に選ぶことができるのだ。
 次回予告―

次回は、制作実習(映像編)の第2弾。各班に分かれてテーマを決め、撮影へ出かけよう。