今日だけ主客逆転! 上智大生が下村に直撃インタビュー

放送日:2008/9/ 6

今朝は、普段と趣向を180度変え、このコーナーの進行役を上智大学の学生2人に明け渡し、「スペシャルゲスト・下村健一さんにお話を伺う」という形でお送りする。聞き手は、上智大学・橋場ゼミ3年の萩原さよさん、同じく3年でゼミ長の山辺江太郎さん。

山辺: 橋場先生(元毎日新聞記者)っていう方がいらっしゃるんですけれども、その方の専門分野について研究しているゼミです。今回、「フリージャーナリストの実態を知る」というテーマのもと、フリーでやっていると僕達が思う方にアプローチして、お話を聞かせてもらってるんです。

――その一環で、下村健一を訪ねてきた、ということですね。

山辺: はい。

――じゃあ、もうここからは、番組主導権をお渡ししますから、何でも訊いてください。私、答えます!

■震災報道で直面した《限界》

山辺: ではまず最初に、会社から独立して、フリーとしてやられたきっかけっていうのがあれば、教えていただきたいんですけど。

下村: きっかけは、僕の場合、阪神大震災です。あの震災があったときに、もう本当に、放送で出来る事の限界を感じたんです。まず、あまりにも大きな災害で、テレビ画面でどう切り取っても、全貌は伝わらない。テレビで見た人は、阪神大震災を分かったつもりになってるだろうけど、現場に行ったジャーナリストは皆、無力感を感じたわけですよ。「この現場のこの様子は、伝えようが無い」って思ったの。しかも、目の前で、物凄く皆が苦しんでいる。だけど、ボランティアで行ってるんじゃないから、その人達のお手伝いをするんじゃなくて、むしろ逆に、「俺達は見世物じゃないんだ! 帰れ! こっちに来るな!」みたいな罵声を浴びながら、仕事をしていたわけですよ。それはやっぱり、「何なんだろう、僕たちのやっている事は?」っていう思いは、物凄く…あの時、筑紫哲也さんもそう思ったっておっしゃってたし。凄く、何か《限界》を感じたわけです。
 もちろん、僕らがあの現場でやった事だって、それはそれで大事なんですよ。日本中の人、世界中の人が阪神大震災の状況を知れたのは、我々が、言わば心を鬼にして、目の前の人を手伝う代わりに、《伝える》ことに徹したからこそ、伝わったわけだ。でもそれは、頭では分かるけど、現場にいると、やっぱり辛いわけ。素通りして、カメラで撮るだけで、何でこの人達の手伝いをしないんだろう? それは、胸が痛みますよ。
 で、僕はもう個人的に、「この仕事、そろそろ限界かな」っていう気がし始めて、ちょっと迷っていたところに、今度は、すぐ2ヵ月後に地下鉄サリン事件が起きたんですよ。以来、オウム、オウムっていうことで、物凄い視聴率で一種の“オウム報道ブーム”みたいなものになっていって、「何かが違う。これ、上滑ってるなぁ」っていう感じで、とっても強い疑問を抱きました。

■既存メディアから一番遠い仕事へ

下村: でも、どうしていいのか分かんなくて、「うーん」って悶々としていたときに、僕の場合は、カミさんに「いつまで悶々としてんのよ。もう辞めたらいいじゃない!」って言われて、「あ、その手があったかぁ」と。(笑)

山辺・萩原: ハハハ! (笑)

下村: 辞められるっていうことを、ホントに忘れてたんですよ。それで、「ああ、じゃもう、辞めよう」と思った瞬間に、フッと楽になって。もともと、報道の仕事を一生やるつもりは無かったのに、いつの間にかそれを忘れてたんですよね。それで、TBSの社員を辞める決意をしました。その後、最終的には、「(辞表を受理する代わりに)最後にもう1回だけ辞令を受けろ」という話になって、ニューヨーク特派員っていう辞令が出て、3年間、最後にニューヨークでお勤めをして、それで辞めたんです。
 だから、僕は、フリージャーナリストになるつもりは、全然無かったの。TBSを辞めて、もうこれっきり、ジャーナリズムの世界からは離れて、全く違う事をやるつもりだった。今でも、自分がフリージャーナリストだとは、思ってません。つまり、市民メディアという新しく出来てきた流れを応援しようという今の仕事(市民メディア・アドバイザー)は、僕にとっては、既存メディアとは一番遠い、対照的な位置にある仕事だと思ったんですよ。それで今、そこに主軸を置いていて、ただ、それだけじゃ食えないから…

萩原: そのために、ラジオや…?

下村: そうそう、『サタデーずばッと』とかこういう番組に、古巣のTBSと契約を個別に結ばせてもらって、出演しているという状況です。

■とても幸せな現在のポジション

山辺: ご自分の番組で、今伝えたい事をちゃんと伝えられているかとか、自分は番組をもっとこういう風にしたいけど、出来ていないんじゃないか、という点があれば、聞かせていただきたいんですけど。

下村: この『下村健一の眼のツケドコロ』というコーナーは、自己実現度が本当に高くて、私のやりたいテーマをやらせてくれるコーナーでしたから、「もっとこういうのがやりたいのに」っていうのは、ほとんど無いです。自分の伝えたい事は、伝えられていた。同時に、『サタデーずばッと』にしても、6年半やるうちに、やっぱり段々チームの中で、「下村、こういう切り口、好きだろ?」みたいな感じで、ディレクターも分かってくるわけですよ。そうするともう、1つのコーナーのカラーっていうのが出来上がっていきます。そういう意味では、この『眼のツケドコロ』コーナーほどじゃないけど、『サタデーずばッと』も“下村カラー”っていうのは打ち出せていると思っているので、それはとても幸せですね。―――それでももちろん、本当にやりたいテーマが出来ないことは、たまにはある。

山辺: ああ、やっぱり。

下村: あるけれど、それは今や、市民メディアという世界があるわけだし、表現の方法は他に幾らでもあるから、別に大手の電波にこだわることはない、と思ってます。

■失職しても「食っていける道」を持て

山辺: これからも、こういう形態で、私達から見たらフリーという形で、ジャーナリズムのお仕事を続けて行かれる気ではいるんですか?

下村: そうですね。フリーという立場は、何が一番不安定って、やっぱり収入なわけですよ。だから、その点で躊躇して企業に留まっている“企業ジャーナリスト”は、とっても多い。でも、仕事が全部無くなっても、何か1つ、セーフティ・ネットというか、「俺にはこれで食っていく道がある」っていうものがあれば、その人は、魂をお金で売り渡さずに済むと私は思ってるんです。僕の場合は、それは、…結婚式の司会業なんですよ。僕の結婚式の司会は、もぉ~本当に上手い!

山辺・萩原: ハハハ! (笑)

下村: それは、胸を張って言っちゃうけど、ニュースのリポートの仕事なんかは、僕の他にも幾らでも上手い人達はいますけど、結婚式は、多分僕が日本一!(笑) TBSを辞めるときにも、そこは、本当に真剣に計算に入れました。「世の中がどんなに不況になっても、結婚は無くならないだろう」と。

原: そうですね!

下村: たった1回、一生に一度(のつもり)の結婚式だったら、それはちゃんと司会者も雇う人はいるだろう、と。結婚式場専属でもいいし、何か方法はあるから、「これは食いっぱぐれない!」と思ったわけ。

萩原: 今でも、それをやってるんですか?

下村: いや、今はおかげさまで、いろんな番組で生業が立ってますから、結婚式の司会は、逆に時間的にやる暇が無くて、やってないです。けど、いざという時は、それがあるから「うわぁ、どうしよう、餓死する!」ってことはないですね。

■仕事の“そもそもの目的”を忘れるな!

下村: ここは結構ポイントですよ。よく報道被害とかいろんな事が発生するときに、「何でそんな質問するんだ?」とか「どうしてそんな撮影するんだ?」って問われた報道関係者が、「食っていくためには仕様がない」って答えることは、しばしば現場であるんです。でも、「仕事だから、仕様がないんだ」って言い出すと、世の中、段々狂っていくと思うのね。それは報道の仕事に限らず、例えばちょっと前までの銀行でもそうですよ。何のためにそんなに煽って、お金を貸して、結局、不良債権膨らませて…みたいな話。金貸しという仕事の本来の大義なんか、どこへ行ったのか。そういう、《何のためにやっているのかを忘れた仕事》をしてる人がどの業種にもいて、その人達が皆、切り札で言う言葉は、「仕事だから仕様がなかった」。
 皆、まだ大学生だけど、就職したら、2~3年でそれを言い出しますよ。

山辺・萩原: はぁ…。

下村: 皆、就職当初のキラキラしていた目が、段々、死んだ魚の目になっていって…

萩原: なりたくないですね。(苦笑)

下村: 「下村さん、現実はこんなもんですよ」って言い出す。そういう若きジャーナリスト、もう一杯見てきた! だから、そうならないためには、実際に書いてなくても“透明な”辞表を常に懐に入れて、「嫌になったら辞めてやる」って思えるように、手に職を他に1個持つことです。

■なぜ市民メディアにこだわるのか

山辺: ちょっと重い話になっちゃうかもしれないんですが、今の日本のジャーナリズムの現状について、何か言いたい事とか、ご意見があればお聞きしたいです。

下村: 「堅いテーマが皆に見てもらえない」とか言って、段々避けていくような、柔らかく柔らかくなっていくような傾向が、確かにあると思うんです。これは私が市民メディア・アドバイザーっていう方向にシフトした大きな理由なんだけど、その部分を補っていくのが、多分市民メディアの台頭だと思ってます。要するに、売れるかどうかなんてことは関係無く、「これは伝えなきゃいけないから伝えたい」っていう人達の発信の場が新しく出来てきてる。日本社会のメディア状況は、ちょっと今、結構下り坂でいろんな問題を抱えてるけど、そろそろ底打ちで、これからちょっと上り坂かなぁ、もうちょっと明るい兆しが出て来るかなぁと、私は思ってます。
 大手メディアが《分かっちゃいるけど伝えられずにいるテーマ》を市民メディアがどんどん伝えていって、パソコン周りのハードウェアの技術的な進歩によって、ますますアクセスしやすくなっていったら、皆が(市民メディアも)見るようになっていくと思う。そうなれば、逆に足元に火がついて、大手メディアももう一度、そういうテーマにも目を向けるようになっていくんじゃないかと、私は、そう思っています。一番楽観的な場合の想定ですけどね、そうなって欲しいから。それで黙々と、カネにもならない市民メディア・アドバイザーをやっているわけだ!

山辺: 大手に対立できる市民メディア、っていうのが発展してきたから…

下村:  いや、ちょっと待って、《対立》ではないんです。ここが大事なんだけど、決して対立軸ではないんですよ。大手メディアと市民メディアは、《相互補完》関係なの。大手に出来ないことを市民メディアがやる。で、市民メディアが持ってない広いネットワークとか、訓練されたプロとか、そういう部分は、これからも大手メディアが担っていく。これからは、非常に《幸福な共存》関係が出来るんですよ。そうなれば、今までみたいに「全然取材しに来てくれない」ってぼやいたり、「あんな報道されちゃった」って嘆いたりなんかしてないで、自分で代案を発信すればいいじゃん、ってなるわけ。

萩原: 海外などでは、この市民メディアっていうのは、凄く盛んに行なわれていることですからね。

下村: そうですよ!

■目を輝かせ、キョロキョロしよう!

山辺: 最後に、今、「ジャーナリストになりたい」、ジャーナリストを志している人達に、何か今の段階で言っておく事とか、お言葉をいただけますか?

下村: さっきの話の関連で言えば、1つはとにかく、「俺は追放されても、他にこれで食っていける」というものを1つ用意しておくこと。それによって、表現の自由はキープ出来ますから。それは何でもいいんだよ。表現に関係ないことでもいい。「俺は自分で家が建てられる」とかでもいいし、「自給自足できるほどに畑仕事が得意だ」とか。何でもいいから、1個用意すること。
 あとは、ジャーナリストとしてのセンスっていう面で言えば、とにかくキョロキョロすること。もう、これに尽きます。なんか、キョロキョロしない奴が、この頃多いと思う。「目の輝いてる人」って言うでしょ。あれは決して抽象的な言葉じゃなくて、ホントなの。「何か面白いこと無いかなぁ?」と思ってキョロキョロしてると、自然にまぶたも上がって、空の上から来る光を目玉が反射して、ホントに光るんですよ。

山辺・萩原: へぇ。

下村: で、好奇心が無くてうつむいて歩いてる奴は、下を見てる。光は大抵、上から来るから、うつむいてる奴の目は光らないんだよ、反射しないから。だから、目を輝かせて欲しいの。キョロキョロすれば、テーマは幾らでもあります。隣の人にだって、ドラマは必ずあるし。

萩原: 常にアンテナを張る、ということですか?

下村: そうそう、キョロキョロしてね。それだけです! それ以上のテクニックは、何も要りません。シンプルな方がいいでしょ、覚えられるから。(笑)

山辺: 分かりました。本日は、本当にありがとうございました。

下村: はい。じゃあ、番組風に締めてください。「今日のゲストは」って…。

山辺: ええっ? (汗) 

萩原: あ~。 (笑) 

山辺: 「今日のゲストは、下村健一さんでした。どうもありがとうございました。」

下村: 今日のホストは、上智大学橋場ゼミの…

萩原: 萩原さよと、 

山辺: 山辺江太郎です。

下村: “でした”!

山辺・萩原: でした! 

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