岩手宮城内陸地震…高齢者地区の自主防災組織、
初稼動!

放送日:2008/7/19

岩手宮城内陸地震から、今週月曜(7月14日)でもう1ヶ月が経った。実はこの地震は、特に宮城県側で、「大地震を想定した防災訓練の直後」だったという地区や学校等が非常に多かった。今年は宮城県沖地震30周年ということで、防災イベント等が盛んに行われ、特に、地震の2日前(6月12日)は、まさにその宮城県沖地震が発生した日で、「防災の日」になっていたのだ。この偶然は、どういう効果をもたらしたのか。
地震発生から6日後、旧・岩出山町(一昨年3月末に合併で大崎市に編入)の上馬館という地区を訪れた。『サタデーずばッと』の番組で取材したものの、放送時間の都合でオンエアする機会が無かった、上馬館の住民の皆さんとの会話をご紹介する。

■幸運と、“脱・定型”精神の相乗効果

岩手宮城内陸地震は朝8時43分に発生し、この大崎市は震度6強のエリアだった。65歳以上が人口の約半分というこの地区でも、この地震発生の6日前(6月8日)に、地震を想定した訓練が行なわれていた。自主防災組織会長の佐藤さんとの会話から。

下村: 今回の直前の訓練は、地震発生時刻はどういう想定だったんですか?

佐藤会長: 8時45分に、岩出山町内で地震、震度6強

下村: 本当に想定通りなんですね! こんな直前に訓練が出来るなんて滅多に無いですよね。

佐藤会長: あまりにもタイミングが良すぎたんですよ。よく訓練というと、「日中のお天気のいい時。雨が降ったら中止・延期ですよ」って、あれは、俺は一番嫌いなんです。「炊き出しですよ」って言っても、2日前から準備しているのも、訓練にはならないんですよ。マニュアルはマニュアルですけれども、全部一律のマニュアルではうまくないから、それは経験の中で、「うちの行政区はどういうスタイルがいいのか」と、役員さん達に提案をしながら、それを皆に入れ替えてもらって。それを基に、《この地域に合ったスタイル》で皆さんに声をかけて、(この辺りの地域では)一番先に(自主防災組織が)設立になったという経過もあるわけです。

行政区長: 今回の地震で、これだけの強い揺れがあったのに(住民の皆が)落ち着いていたのは、この行政区で自主防災組織があったというのが一番だと。自主防災で自分たちが見回りしてきたという事が一番の成果だったね。

佐藤会長: 私は、皆の協力を、こういう風にいただけるんだっていう自信を持っていたし。

実際通りの地震の強さで、想定時刻も2分しか違わず、という訓練が、たった6日前に出来ていた。更に、会話の最後に出てきた自主防災組織も、今年の春に結成したばかりで、訓練を始めた途端に初仕事、というタイミングだった。これらは単なる幸運だが、マニュアルに頼らず、「自分たちの地区に合ったスタイル」を考えた、という点は、大いに勉強になる。

■“暗黙の了解”で、一斉巡回

先月の地震直後、その出来立ての自主防災組織が実際にどう見回りを行なったのか。その初仕事の様子を、地区が見渡せる小高い場所で伺った。

下村: 皆さん、どこを周られたんですか。

男性住民: 最初、あっちから周りました。あそこの家と…

下村: あの黒い屋根の。

男性住民: はい。あそこまで周った時に、テルオさんが逆の方から周ってきて。

下村: もともと「何かあったら、誰がどのルートで周る」というのは決めていたんですか?

男性住民: いや、暗黙の了解ですね、もう。

下村: 普段のお付き合いで。

佐藤会長: (何かを訊こうとして、区長に向かって)ひろちゃん、ひろちゃん!

下村: …あの、普段からヒロシさんは「ひろちゃん」なんですか?(笑) 携帯電話とかを使った連絡網は?

佐藤会長: それは出来ませんでした。5分位経ったら、もう固定電話も携帯も繋がらなかったんですよ。

下村: 携帯が切れたら、よっちゃん・ひろちゃんのネットワークが命だったわけですね。

70歳前後の皆さんが、互いに「○○ちゃん」と呼び合う。防災組織そのものの形が優れているというより、元々の人間関係が、物を言っているという感じだ。携帯電話という近代的な道具が使えなくなっても、ネットワークはびくともしなかった。

■離れた1人暮らしでも、「孤老」にあらず

この上馬館地区には、ポツンと離れた一軒家に1人で暮らすお年寄りなどもいるが、地震が収まるとすぐ、この見回り活動で皆の安否確認が出来たという。そんな中の1軒に、佐藤会長と一緒に行ってみた。

おばあちゃん: ガタガタ、グラグラって揺れが来て、「あらどうしようかな」と思って、ここ(縁側)まで這って来たんですよ。地震になると戸が開かなくなるっていうのを聞いたから、ガラガラと戸を開けて、それで、ここさこうやって居たんです。

下村: 何か倒れたりとか?

おばあちゃん: 仏壇の位牌がみんな下に落ちてきて…。2階のタンスが、2つ倒れちゃった。灯篭もね、2つ倒れちゃったんですよ。

下村: 地震が起きたすぐ後は、ご自分でも周りに連絡しようとかされました?

おばあちゃん: ううん、別に連絡って言ったって、あれだけ周りの人たちが来たから。そして電話が通じなかったから。

下村: じゃあ、電話も通じない中で、すぐさま佐藤さんが来て、安否確認が出来た、と?

おばあちゃん: そうね。

佐藤会長: 民生委員の方がすぐ隣の家なので、1人暮らしということで、何があっても常に、一番先に来て安否確認してくれるから。

下村: 「すぐ隣」と言ったって、ずっと家が無いじゃないですか! 

佐藤会長: (あっけらかんと遠くの民生委員宅を指差して)今、車ほら(停まってる)、舗装切れた所の手前の家。

下村: これだけ離れた所にポツンと暮らしていらっしゃると、こういう事があったとき、心配じゃないですか?

おばあちゃん: いや、心配したことないですよ。(笑)

あの大揺れを体験した数日後の会話なのだが、このおばあちゃんは全く不安がっていない。物理的には隣の家ととても離れているのだが、眼に見えない地域ネットワークという網の中に包まれて、安心し切って暮らしていると感じた。

■“「勝手に入るな」時代”の緊急対応を模索して

ただ、先月の地震で見回りが全てスムーズに行ったのは、地震発生が土曜日だったからという要素が大きい、と佐藤さんは言う。平日だと見回りにどんな支障が予想されるのか。

佐藤会長: 平日の場合は、大変だと思うんですよ。というのは、若い人たちはみんな出ているから。うちに残っているのは歳を取った人とか、どこにも出られない人とか。

男性住民: あそこの家はね、年を取った夫婦の方がいるんですけれども、1人は歩くのにちょっと不自由な方、あと1人は耳の遠い人なので、日中は声をかけても出て来ないんですよ。

佐藤会長: 行って玄関は開くんだけれども返事をしない場合に、果たして、了解が無いのに(家の中に)黙って入っていいのかと。地域の人たちもある程度は分かってくれる人たちだから、大丈夫かなと思うんだけれども、中には少し臍の曲がった人がいれば、後での対応が「なんだ。人の家にズカズカと入ってきていいのか」と言う時に困るなぁと。

男性住民: 田舎ですから、物売りの怪しい車とか、そういうのをたまに見ているんです、普段から。

日頃から見知らぬよそ者が、こういう集落にも入り込んできて、押し売り等をしているという心配から、若い世代は「勝手に家に入るな」と後でクレームを付けることもあるのだと言う。山間部の小さな集落と言えども、もはや、よっちゃん・ひろちゃんという間柄だけでは無くなってきているのかもしれない。それでも佐藤さん達は、時代の波だから仕方がないとは諦めず、今回の事を教訓にして、何とか、地域の同意を取り付けようとしている。

佐藤会長: 日常的な集まりとかコミュニケーションの中で、良いとか悪いとか別にして、「こういう時は、こうやるかもしれないよ」という事だけは、(前もって)一方的な投げかけはしておこうという考えは持っているんです。そうでないと進まないし。これは臨時総会とかじゃなくて、日常的な会話の中でも周知できることが幾らでもありますので、それをやる、と。

■こんな場面にも「平成の大合併」の混乱が

そしてもう1つ、時代の影響を受けている問題点が指摘された。最初にご紹介した通り、ここは以前は岩出山町という町の一部だったが、一昨年春に合併で大崎市に編入された。これによって、役所が遠く・大きくなったことが、大地震という非常時に思わぬ副作用を起こしていた。

佐藤会長: 町村合併によって対応してくれる役場の総務課の人が、たまたま地元の職員が電話に出てくれればいいんだけれども。他から異動になった人が、私(のとき)もそうだったんだけれども、出てくれたんです。今までだと、「あそこだよ」って言えば「ああ」って、地図を見ないでもすぐに分かったんだけれども、「これこれこうだ」と言っても「分からないから、他の人に代わりますから」ってなことでね。まぁ、(合併の)弊害と言えば弊害なんだけれども、今後見直していかないと。非常の場合に、「地図見るのを待っていないといけない」というのは、許せる範囲内ではないと思うので。一刻を争うときだからね。

しかも、「地図を見るのを待っても、なお、らちが明かない」場合もあるという。地名変更により、新しい地図に載っている地名と、地元の人が今でも使っている合併前の古い通称のような地名とが食い違っているので、地図と照らし合わせてもどこの話をしているのか分からない、といった混乱も生じているというのだ。市町村合併は、全国至る所でつい最近行なわれた話だから、今後のために非常に参考になる指摘だ。

ほとんど高齢者ばかりの自主防災組織で、初めての大きな地震を乗り切った小さな集落を訪ねて見えてきた、様々な強みや問題点は、どれも教訓に満ち傾聴に値する話だった。

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