サイクロン被災のミャンマーからボランティア報告

放送日:2008/6/ 7

先月初め、ミャンマーを直撃したサイクロンによる被害は、死者・行方不明が合わせて13万4千人、被災者は240万人とも言われ、未だに全貌がつかめていない。
その後発生した中国の大地震のニュースにかき消されるように、このサイクロン被害の報道がガクンと減ってしまったので、今朝は、現地にスタッフを緊急派遣している『日本ミャンマー・カルチャーセンター(JMCC)』 代表のマヘーマー・ウィンさん(眼のツケドコロ・市民記者番号№68)に、1ヶ月たった被災地の実情を伺う。

■竪琴を、支援物資に持ち替えて…

――この『日本ミャンマー・カルチャーセンター』は、普段はどういう活動をしている団体ですか?

マヘーマー: 日本にありながらミャンマーを体験できる場所として、在日ミャンマー人と日本人のスタッフが協力し合って、ミャンマー語教室やミャンマーの竪琴教室、舞踊教室、お料理教室、イベント、また、ミャンマー人に(対する)日本語教室などを開催しています。

かの有名な“ビルマの竪琴”も、ここに行けば習えるというわけだ。つまり、災害救援系のボランティア組織などでは全くない。

――今回は母国の一大事ということで、最初に“スタッフを緊急派遣”と言いましたが、正確には“里帰り”をしているわけですね。

マヘーマー: そうです。こちらの竪琴教室で教えているシェイン先生の実家が、サイクロン被災地に最も近い、ミャンマーの南部にあるデルタ地帯ミャウンミャという町にあるんです。現地と連絡が取れなくなって、実家が心配になって、すぐ飛行機のチケットを買って、先月7日に帰ったんです。

――サイクロン直後は、各国の援助隊が現地に入ろうとしても、ミャンマーの軍事政権になかなか受け入れてもらえないという状態でしたが、外国で暮らすミャンマー人の緊急帰国やボランティア活動は、すんなり出来ていたんですか?

マヘーマー: シェイン先生は、ミャンマーには(すぐ)入れました。けれど、その後、ヤンゴンとの連絡も出来なくなってしまったり、電話もインターネットもサイクロン直後からずっと10日間位通じなくて、私達は日本で物凄く心配したんです。先生は、ミャンマーを出て(隣国タイの)バンコクに着いた時にやっとインターネットが見れたようで、(私達も先生からの)メールを見て、無事だということが確認できたんです。

■毎日2万人分の炊き出しをする市民たち

――サイクロンから4日後にシェイン先生が現地に入って、それからタイに出るまでの10日間は、どんな状況だったんですか?

マヘーマー: 2万人もの避難民がミャウンミャにやってきて、ミャウンミャ市民が炊き出しをしていたそうです。物価も、通常より6倍から7倍まで上がったそうです。1日の炊き出しに使うお金は、2万人分のお米とおかずを出すのに500万円位かかるそうです。市民だけではお金も、体力的にも支えきれなくなってきて、大変な状況である、ということをシェイン先生から聞きました。

――シェイン先生のご実家は、大丈夫だったんですか?

マヘーマー: 無事でした。シェイン先生のお父様が精米所を営んでおられるんです。お父様は、政府にも繋がりがあるので、支援は、政府と(の連携)も上手く行って、問題なく出来てます。

――精米所なら、これから被災者の為に本当に大活躍ですね。シェイン先生は、現地でどんな活動をされていたんですか?

マヘーマー: 被災地の人は、サンダルなど履く物が無かったり、Tシャツなど着る物が無かったりして、(先生は)現地で古着を買って配ったり、薬などを配ったりしていたそうです。

――薬ということは、洪水の後、やはり病気が増えたりしているんですね?

マヘーマー: コレラやマラリアがすぐ発生したみたいで、お年寄りや子供たちが、サイクロンでは助かったけれど、その3、4日後には亡くなったり。食べ物が足りなかったり、水が無くて、栄養失調で大変だという話は聞きました。

■1500人に1つの仮設トイレ

――シェイン先生は、現地でずっと救援活動を続けているんですか?

マヘーマー: いえ、彼も、自分1人の力では何ともならないし、先月17日に日本に一旦戻って来て、支援に必要な物など(について)、私たちと再度打合わせました。お米、塩、巻きスカート(現地の服装)、サンダルなどの履き物、薬、それから石灰が欲しいと。

――石灰は、何に使うんですか?

マヘーマー: トイレが1500人に1個になってしまって、足りないということで、(仮設の)トイレを作って、(用を足した)後に、石灰を撒けばハエが湧かなくて済むでしょう、と言ってました。
 そして、翌18日には、(東京・高田馬場にある)教室で、シェイン先生による緊急報告会と犠牲者たちの追悼式をやりまして、参加者の皆さんに、支援を呼びかけました。おかげさまで、寄付金は、173万円と200ドルと現地の貨幣で8989チャット位集まりました
(5月30日現在/換算総額約175万2400円)。集まったお金を、先々週金曜(22日)にシェイン先生に託して、また再び現地へ入ってもらいました。

――その寄付金は、どういう風に使われているんですか?

マヘーマー: ミャンマーに物を持っていくのは非常に大変で、日本から送っても、早くて船で3ヶ月位かかるんです。また、税関を通過するまで時間がかかったりするので、現地で物を調達するようにしました。ヤンゴンで、履き物や巻きスカートを買いまして、ミャウンミャではお米を買いました。政府の援助がまだ届いていない、ラプッター近辺の村々の人々に手渡しして来たそうです。

ラプッターというのは、日本の医療チームも入って、テントを張ったりするなどの活動をしたと先月末頃報じられた地域だ。

――今は、外国からの救援活動も、一応動き出しているということですかね?

マヘーマー: はい、そうです。

■新学期開始で、居場所を失う被災者たち

――1ヶ月経ちましたが、新しい課題は発生して来ていますか?

マヘーマー: ミャンマーの新学期は、6月からなので、避難所となっている小学校が、6月2日から再開されたんです。それで、避難民が、避難所となっていた学校から出なくてはいけなくなってしまいまして、政府によって被災地に戻るように言われて、もう移動したそうです。家も家財も無く、電気も何も無い現地に戻されるのは、非常に辛いのではないかと思います。生活手段が無い中、今後の生活に困る人も非常に多いです。

――最新の現地報告会を、明日(6月8日)、東京で開くそうですね。シェイン先生がまたこちらに戻ってきて、報告するんですか?

マヘーマー: そうなんです。一昨日戻ってきて、(報告会の)打合せで、現地で撮ったビデオ映像を編集しました。

映像付きの報告ということで、大手メディアが伝えてくれない部分も色々と分かりそうだ。

マヘーマー: まだまだ、ミャンマーの現地で困っている人が沢山いますので、更なる義援金のご協力をお願い致します。お金は、郵便局からでも銀行からでも振り込めます。詳しくは、ホームページで分かります。

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