現地報告!ビルマ(ミャンマー)民衆行動から半年…
タイ国境に逃れた人々は今

放送日:2008/3/ 1

去年9月、ミャンマーで大規模な反政府行動があった。デモの模様を撮影していた映像ジャーナリスト・長井健司さんが射殺され、日本人にはその事件が特に強く記憶に残っているが、軍部によって強制的に沈静化させられた一般市民や僧侶達は、今どうしているのか?
軍の拘束を逃れてタイ国境地帯にいるミャンマー人たちの現状について、先々週、現地の様子を調査して来た国際人権団体『ヒューマンライツ・ナウ』事務局長の伊藤和子弁護士(眼のツケドコロ・市民記者番号No.64)にお話を伺う。

■「ビルマ サフラン革命の真実」

先週土曜(2月23日)、伊藤さん達は、東京で「ビルマ サフラン革命の真実」と題する帰国報告会を開いた。

――「ミャンマー」でなく「ビルマ」という、昔馴染んだ国名で呼ぶのは、こだわりがあるんですか?

伊藤: そうです。1990年にアウン・サン・スー・チーさん達の政党(国民民主連盟・NLD)が総選挙で勝利したわけですが、その結果を認めないで軍事政権が居座ってしまった。そして、その軍事政権が付けたのが「ミャンマー」という名前なんです。民主的な手続きから見て、こういったものは認められないんじゃないか、ということで、私達としては旧来の「ビルマ」という名前にこだわっています。そして、デモ行進のお坊さん達が着ていた法衣の色にちなんで、「サフラン革命」と呼んでいます。

――じゃあ、このコーナーでも「ビルマ」と呼びましょう。当時軍政への抗議行動の中心地は、最大都市ヤンゴンでしたけど、今回の現地調査は、どこに行って来たんですか?

伊藤: 今回我々が行ったのは、ビルマとタイの国境(タイ側)のメイソットという町です。そこに行って、ビルマから逃れてきた人たちのインタビューをしました。

――“逃れてきた人”って、そんなにいるんですか?

伊藤: 結構、いらっしゃいましたね。

■4000人拘束の大行動の、きっかけはラジオ

――あの9月の一連のデモで軍事政権に拘束された人の総数は、どれ位なんですか?

伊藤: 大体4000人が拘束されて、内3000人位は、もう釈放されたそうなんです。ただ、皆さんが釈放される際に「もう絶対、一切デモはしません」という一筆を当局に提出しないと釈放されなかったそうです。今確認されているだけで700人位が、まだ収容されたままになっている、と。

――あそこは軍事政権が権力を獲得して以来、今回のデモ以前から政治犯として捕まっている人は一杯いるわけですよね。

伊藤: そうです。以前からの政治犯が1100人位(捕まっている)と言われていますので、(収容されているのは合わせて)1800人を超えると言われています。

――その国境地帯で、その人達に会って、直に話を聞けたんですか?

伊藤: はい、僧侶7名・市民8名から話を聞いてきました。今回、お坊さん達がどうやって立ち上がったかっていうことなんですけど、別に何の組織も無いんですよ。(英国の)BBCラジオを通じて、「すべての僧侶の皆さん、私たちは軍事政権に対して、経済状況を良くして欲しい、それからアウン・サン・スー・チーさん等と対話をして欲しい、という事を求めて行動します。それに、一緒に参加してください」ということを呼びかけたんです。
  実はお坊さん達、僧院に住んでいらっしゃるんですけれども、特にBBCラジオのニュースを本当によく聴いていらっしゃるそうなんですよ。そういう風に聴ける
(タイの国内に流れている国際放送)ラジオが3つ位あるらしくて。ビルマは本当に窒息するような所なんですけれども、ラジオを聴くことが出来る、そして世界の状況を知ることが出来るし、国内でどんな人たちが頑張っているかっていうのも知ることが出来るんです。
 皆さん、圧政に対する苦しみっていうのは、本当に共感しているところがあって。ただ、デモをすると武力弾圧されてしまうという、本当に苦い教訓を持っているので、普通は立ち上がれないんだけれども、立ち上がろうとなると一気に立ち上がるらしいんです。ですから、そういう不満が非常に渦巻いているんだということが分かりました。

■逃れてきた人々が証言する惨劇

――武力弾圧された人たちは、その後、どう散っていったんですか?

伊藤: 本当に酷いですよ。お坊さんの中にも、軍事政権自体に射殺されているお坊さんというのも沢山います。長井さんの事件が起きたのが9月27日ですよね。その日の未明、ある僧院が「ここが(反政府行動の)中心だ」ということで襲われてしまって、そこにいる僧侶全員が拘束されたんですよ。その際に抵抗する人達も沢山いたんですけれども、そこで流血の事態になってお坊さんが殺されたと。それを見た人達は、「凄く大きな血溜まりがあったのを発見した」とおっしゃっていました。

――あの国で、僧侶に銃を向けて撃ってしまうって、大変なことですよね。

伊藤: そうですね。だからこそ、皆、非常に怒ったんだと思うんです。お坊さんがそういう目に遭ったということで、一般市民の人達も随分立ち上がったわけですが、一般市民に対しては、更に過酷ですよ。お坊さん達が1ヶ所に拘束されているということが分かって、一般市民がそこに向かって「お坊さん達を返せ」っていうデモをしたんですが、それが2台のトラックに挟まれて、トラックで人が何人か殺されて…。轢き殺された人達もいるし、トラックに挟まれて皆が立ち往生しているところに、別の方向から軍隊がやって来て、人々を撃っていったんです。私が(今回の調査で)会った学生は、コンクリートの塀を乗り越えて、隣の学校に入ったらしいんです。ところが、自分の後ろから付いてきた学生は、後ろを向いて、逃げていく最中に殺されたと。一番若かった犠牲者は、15歳の学生だったそうです。

――そういう話は皆、今回の調査で直接、経験者から聞いてこられた証言ですね。

伊藤: そうです。本当に皆、組織的に動いたものじゃない。その場で義憤に駆られてデモに参加した、組織も何もない普通の市民の方々がどんどん殺されていった、ということです。

■「もう1つの国会」と、軍事政権の「民主化プラン」

伊藤: 実は、ちょうど1990年に選ばれ(て軍事政権に追い散らされ)た国会議員の人たちが、メイソットで4年に1回の“彼らの国会”を開催しているところを傍聴することが出来たんです。400人位いる彼らのうち、100人位は死んじゃった。収容所に収容されている人もいるということで、残った人でまだ頑張るという人達が40人位いるのかな。その内30人近くが集まって、日本でもよくありますけど“影の内閣”みたいに決めたりしているわけなんです。

――それをタイ領内でやっているんですね。

伊藤: そうなんです。そこに行って、彼らの意見を色々聞くという大きなチャンス、めったに出来ない経験をすることが今回出来たんです。

――かたや軍事政権側は一応、先月、民主的政権に移行するための総選挙を再来年に行なう、とそれまでの段階的な民主化ステップを発表しましたけど、見通しは、どうですか?

伊藤: 今年の5月に憲法改正の国民投票をする、それに基づいて、再来年(2010年)に総選挙を行なうという風に言っているわけです。もともと、この憲法っていうのは、1990年に選出された国会議員が起草するはずだったんです。その手続きを全く無視してしまって、軍事政権が勝手に憲法を起草しているというところに、第1の問題点があると思うんです。
 憲法の草案を私も手に入れて読んでみたんですが、議員が440人位いるということなんですけれども、その内、110人は「軍事政権が推薦した人がなる」ということになってると。それから大統領と副大統領2名っていうのがいるんですけれども、「その内1名は、軍事政権が指名した人がなる」と言われているので、軍事政権がそのまま支配しやすい構造になっているんです。
 ご承知のとおり、本当に人権状況が悪いわけですけれども、憲法草案では一応「人権を保障する」と書かれています。但し、「現行法の範囲、そして国家秩序と矛盾しない範囲で」という風に書かれているんですね。で、その「現行法の範囲」っていうのは、(例えば)デモをしたということで首謀者とされているビルマのお坊さんが1人いらっしゃいますけれども、単に平和的なデモをしただけで国家反逆罪ということで、懲役25年位の罪で訴追されてるんです。1枚のビラを配っただけで17年、18年と収容されている人たちも沢山いるんです。

■「ビルマ・みらいの法律家基金」始動!

軍事政権と民主化勢力との対話を仲介しようとして、去年11月にビルマに入った国連事務総長特別顧問のガンバリ氏が、今月初旬にも再び現地入りするという報道もあるなか、伊藤さん達『ヒューマンライツ・ナウ』は、「ビルマ・みらいの法律家基金」という寄付金募集を始めた。

伊藤: ビルマにはいろんな民主化勢力がありますけれども、唯一の法律家の団体である『ビルマ法律家連盟』という組織が、非常に頼りにされているんです。そこが一昨年、ビルマ族や色々な少数民族も含めて、未来のリーダーになるような若者たちを集めて、法律、人権、民主主義についてもっと教えようと学校を作ったんです。「人権はどうだ」とか、「ビルマ政権はこういう憲法を提起しているけど、米国の憲法はこうだ」とか、「日本の憲法はこうだ」っていうようなことを教えているんです。そうしないと、軍事政権の中で暮らしていると、本当は人権ってどういうものなのか、皆分からないんです。
  これからビルマが民主化していく暁には、良い憲法も作らなきゃいけないし、法律家も必要だということで、
(自分達の手で憲法も作れるような)学校を作って2年間やって来たんです。私たちは、今回そこも訪れました。(この学校の様子を見るのは)2回目なんですけれども、学生たちが凄く勉強して、頑張っています。(卒業すると)一部の人達はメイソットに残って民主化活動を続けるし、一部の人達は、もともと住んでいた(ビルマの)村に戻って、今度は村の人達を教えるという役割を果たしているんです。
 ところが、(今までの主要な出資者であったデンマーク政府からの)資金が(予定の支援期間終了で)切れてしまいまして、12月に卒業式を迎えたんですけれども、その後学校が再開できない状況になっているんです。
 去年の3月にその『ビルマ法律家連盟』の人たちが来日され、この学校を日本でぜひ支えて欲しいというお話があったんです。国連に資金の申請を出したりして、その結果を待っているところなんですが、このたび、民間からもぜひ基金を集めたいということで、日本の心ある方々に、ちょっとでも寄付をしていただけると、少しの寄付でもビルマの未来にとっては意味がある、大きな種まきが出来ると思いますので、ぜひ、皆さんにご協力していただければな、とこういうキャンペーンを始めています。

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        「ビルマ・みらいの法律家基金」への寄付方法
           郵便振込口座: 00120-2-705859
           口座名: ヒューマンライツ・ナウ
           ※ 払込取扱票の通信欄に「みらいの法律家基金」と明記。 

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大手メディアの悪い癖で、派手な騒ぎの最中は大々的に報道するが、表面的に静まると、もう忘れてしまう。しかし、ビルマ現地では、問題はまだ全く解決していないのだ。

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