片山隼君ひき逃げ事件から10年…[前編]
父・徒有氏が取組む《被害者支援》

放送日:2007/11/24

東京・世田谷区で、小学2年生の片山隼君がダンプカーにひき逃げされ亡くなってから、来週水曜(11月28日)で、満10年を迎える。一度は不起訴になったダンプカーの運転手が、その後の捜査のやり直しで一転、起訴されるという異例の展開を辿った事件だったが、それを実現したのは、検察当局に不服を訴え続けたご両親の頑張りと、それを応援した一般の人々からの膨大な署名だった。それをきっかけに、以来10年、様々な社会的活動を続けている、隼君の父親である片山徒有さんに、今、何を目指しているのかを伺う。

■“被害者だから出来る支援者”に

片山さんの多彩な活動は、(1)被害者支援活動、(2)被害者との関わりから見た司法制度改革、そして(3)非行少年の更生教育という、3本の柱からなっている。
ほんの少し前まで、日本社会では何か犯罪が起きると、≪加害者の責任追及≫の方には大いに目が行くが、≪被害者の回復追求≫というところには関心が向かなかった。だが、近年、ようやくそこにも光が当たるようになってきた。そこには多くの事件被害者の活動が寄与しているが、そんな中で、片山さんもその一端を確実に担っている。

――元々≪被害者≫家族という立場だった片山さんが、どうして≪支援者≫に転じていったんですか? 最初のきっかけは、何だったんですか?

片山: 一番最初に息子の事件の話を聞いてくださった交通事故ライターの方、それから弁護士の先生―――見ず知らずの方ばかりなんですけれども、「やはり他人事ではない」という風に捉えていただいて、それぞれの職業を越えて支えてくださったんです。そういう事が自分にも出来るんじゃないかな、と思ったことが一つ。それから、いわゆる制度の運用については、経験した者の方が使いやすい、使い方がより分かっている、ということがあると思います。たとえば、おまわりさんとのやり取りというのは、おまわりさんも被害者に対して緊張しがちですし、被害者側も、本当は言いたい事がいっぱいあるんだけれども、なかなか言葉にしにくい。そういう事を、“交通整理”できればいいなぁ、という風に思ったのが最初ですね。

――片山さんは、被害者支援をベースのテーマとして、2000年に『あひる一会』という勉強会をつくられましたね。

片山: 元々は、息子が私達夫婦の結婚記念日に「プレゼント」と言って持ってきたのが、「結婚した2羽のあひる」という(手作りの)ちっちゃい絵本だったんです。それは、2羽のあひるが助け合って社会を良くしていくみたいなイメージだと思うんですけど、ハートを中心に置いて、あひるが支え合ってるっていうイメージがあるんですよ。これは大変親バカなんですけれども、凄く大事にしたいなぁと思いました。被害者問題も、とどのつまり、ハートの問題じゃないかなぁと思いまして、『あひる一会』と名づけました。一期一会の“会う”…『あひる一会』も勉強会で“会う”わけですから、そういう≪機会≫≪空間≫が大事かなと思ったんです。

――具体的には、そこでどんな勉強を深めていくんですか?

片山: 被害者と支援者とメディアの方と、学生。この4者合同による勉強会をやったんです。まず支援者、それから被害当事者。この両者が対立することが、実は多かったものですから、その辺を「お互い分かり合おうよ」っていう企画がありまして。

■それぞれに異なる、《被害者と支援者》、《被害者と被害者》

――被害者と支援者の立場の対立構造というのは、耳新しいポイントですね。本来なら、この両者は連携こそすれ、対立関係ではあり得ないと思えるのですが…。

片山: (事件後の回復の過程の中で)被害者は、いろんな可能性を試したい。支援者は、(被害者を守る)安全策を取りたい。しばしばそこで、ぶつかり合いが起きます。

メディアから取材被害を受ける。頑張りすぎて体調を崩す。未解決事件の場合は、犯人からの次のターゲットになるかもしれない。―――事件後、被害者やその家族に想定される《次なるダメージ》は、様々だ。片山さんが言う「被害者に対する安全策」とは、そういったリスクへの対策を指す。確かにこれらは、初めて事件に遭遇した渦中の被害者にはなかなか予見が難しく、体験者の真価が発揮される場面だろう。

片山: 最初に(被害者)支援を始めるときに、目標(活動のゴール)を立てるわけです。たとえば、「日常生活の回復まで」という風に決める場合とか、「刑事裁判が終わるまで」と決める場合とか、いろいろあるんです。たとえば、(被害者の中には)私のように「捜査を覆したい」と思われる方もおられますし、「もっともっと加害者側に謝罪を求めたい」と強く思われる方もおられるんです。

――未解決の事件だったら、「犯人を捕まえたい!」というのも、当然…

片山: 当然、あります。支援者はもちろん(その設定したゴールに向かって)精一杯努力するわけですが、24時間という時間をいかに有効に使ったとしても進めるには限度があります。従って、ご遺族が期待されるようなレベルと、支援者が安全策として、皆さんの健康に留意しながら「ここまで出来るよ」と考えるレベルとでは、おのずと差が出て来るんです。それが1週間、2週間だったらいいんですけれども、半年、1年となっていくと、かなりのギャップになりますので、双方共に疲れきってしまうんですね。
また、(支援者との間ではなく)被害者同士の間で、不協和音が出る場合もあります。(「事件にこだわり続けたい」と言う人もいれば)「もういいじゃないの。やはり自分の生活を大事にしたい」と考える方もおられますし。

我々報道側は、「遺族は」「被害者たちは」というように一括りにしがちだが、被害者一人ひとりの考えている事や回復の道筋は、千差万別なのだ。

■“守り”に入る《加害者》と、“変化”を求める《被害者》と

片山さんは、被害者支援をテーマに度々講演も行なっているが、そのレジュメには、被害者支援のポイントとして、《情報開示》、《心からの謝罪》、《自尊心とコミュニケーション》が挙げられている。

――隼君の事件の場合、あの時ひき逃げしていったダンプカーの運転手は、自分からは連絡を取って来なかったんですよね。

片山: そうですね。(事件後3ヶ月位で)こちらから連絡とりました。

――《心からの謝罪》は、得られたんですか?

片山: (沈黙)…そうではないと思っています。「一度だけ謝りたい」とおっしゃったんですけれども、当時の私の受けた印象では、「“一度だけ”というのはどういう意味だ?」と。命を奪ってしまったのであれば、一度だけじゃなくて、ずっと謝り続ける気持ちが必要なんじゃないかな、と私は思いました。

――「謝罪されていない」という受け止め方になったことは、10年経った今でも、事件についての心の整理の仕方に大きく影響していますか?

片山: (沈黙)…そうですね、「やっぱり期待は出来ないんだ」と思いました。被害者側は、加害者側に期待をするわけです。「自分だったら、こういう風に心を尽くして謝るだろう。自分の気持ちを相手に伝えようとするだろう」って思ったんです。ところが、加害者・被害者と分けてしまいますと、どうしても気持ちが通じ合えるもんじゃないですね。(加害者が)謝ろうと思えば思うほど言い訳になりますし、被害者の求めるお話と違う方向にどんどん進んでいってしまう。
 被害者が、どういう謝罪を求めているかというと、「どうして家族が被害に遭わなければならなかったのか」。つまり、事件直前やそれ以前のその人(加害者)の考え方、甘えとか社会観が、犯罪や事故を誘発してしまうんじゃないかなと思います。だとするならば、今そういう(事件を起こしてしまったという)結果を受けて、その人はどう考えてるのか。どのように反省してるのか。その(内面の)《変化》が見られれば、被害者はある程度納得できるんですが、やっぱりなかなか(加害者側にそういう変化は)できないというのが現状だと思います。

ここで片山さんが言う「納得」という感情は、なかなか言葉にするのは難しい。あえて言うなら、「身内がこんな犠牲になったのに、加害者の内面には何の《変化》も起きていないという虚しさ」からの解放、「加害者が《変化》したことで、もう同じ悲劇は繰り返されないだろう」というせめてもの安堵感、といった思いだろうか。実際、幾多の事件取材をしていると、「加害者や社会が事件後も何ら《変化》せず、身内の死が全くの“無駄死に”に思えてしまうことが、一番耐えられない」という遺族の声は、本当によく耳にする。

――《心からの謝罪》が得られなかった、という体験を持つ片山さんが、「被害者支援のポイントの1つは、加害者の《心からの謝罪》なのだ」と講演などで説いて回っておられる。つまりそれは、《心からの謝罪》というのは可能なのだ、ということですか?

片山: もちろんそうです。それが今までなされて来なかったのは、私たちの責任でもあるんです。日本人は「水に流す」というのが美徳とされておりますので、無かったことにされる。「忘れよう」と、どうしても諦めてきちゃったんだと思うんですね。そういう積み重ねがあったのではないかなと、自分の反省も含めて思ってます。

■丁寧な積み重ねで、日常生活の回復を

片山さんは事件後、『あひる一会』や講演などだけでなく、具体的な事件の被害者を支援する会や、遺族を支える会、励ます会などに、随分関わって来た。

片山: 相当あります。今、継続してるのだけでも20件近くあります。

――そこから片山さんが学び取った一番大切な事は、何でしょう?

片山: 最初から変わらないんですけど、やっぱり≪日常生活の回復≫ですね。思ってる事をきちっと言えるようになること。で、相手の言う事をちゃんと聞けて理解ができるということ。残念ながら事件・事故に巻き込まれると、そういうスキルが落ちます。誰でもそうです。病気になるように、思った事が言葉に出ない。相手の言う事が理解できない。これは当たり前のことです。ですから、支援をする人がそばにいて、なるべく分かりやすい言葉に置き換えてあげる。そういう丁寧な積み重ねが一番大事だと思います。また、被害体験者の方にもそういうもの(経験知)を受け継いでいただいて、次は支援者側に回っていただくということもいいんじゃないかなと思ってます。

それにしても、なぜ片山さんはここまで頑張れるのか? 実は彼のもとには、隼君事件のホームページを見た人などから、今でも時々、応援の署名が寄せられているという。

片山: 合計24万人を越えました。私は、(息子の事件に遭遇するまで)社会活動というものをやったことがありませんで、署名なんて到底いただけるものだとは思っていなかったんです。ところが街頭に出て、人から人へ、「こういう事件があるよ、こういう署名をして欲しいと思ってるらしいよ」ということがバトンリレーのように伝わって、多くの人に加わっていただいたんです。

世間の注目が、単なる野次馬の視線ではなく具体的な力になって、それまでの社会の古い仕組みを実際に突き動かしたのが、隼君事件のその後の展開だった。それが片山さんの出発点となり、「どうせ変わんないさ」という諦めとは対極の原体験を持てたからこそ、今もこうしていろいろな働きかけができているのかもしれない。

次回、このコーナーでは、冒頭に触れた片山さんの活動の3本柱のうち、(2)被害者との関わりから見た司法制度改革、(3)非行少年の更生教育について、引き続きお話を伺う。

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