高遠菜穂子のイラク報告(21)
平穏続くラマディ…本当のモデルに出来るか?

放送日:2007/10/ 6

3ヶ月ぶりの高遠菜穂子さん(眼のツケドコロ・市民記者番号№1)のイラク報告。今、ニューヨークにいる高遠さんに、お話を伺う。

■『ウラン兵器禁止を求める国際連合』

――ニューヨークでは、何を?

高遠: 『ICBUW(ウラン兵器禁止を求める国際連合)』の国際会議のお手伝いで来ました。

――会議自体は、どういう所からどういう人たちが集まってるんですか?

高遠: 主にアメリカ国内の各地からいらっしゃっていて。他にはドイツ、スウェーデン、ベルギーなど、それからもちろん日本ですね。日本は広島のプロジェクトが中心的な役割になってるので、その方達が集まって。
 会議ではイラク帰還兵の話や、米国内での動きの報告、今年ベルギーでは法案が通ったという話もあって、それが成功例として紹介されたりとかしました。
去年の会議は、広島で開かれ、イラクからも医者が来たり、世界各国から関係の方が集まって、相当大きな会議だったんです。

――“ウラン兵器禁止を求める会議”と聞くと、広島での開催はしっくり来ますが、「よりによってアメリカのお膝元で?」という感じもありますね。そういう会議をやっている事に対して、周りから逆に「何やってんだ?」という動きは無いんですか?

高遠: 広島に比べてしまうと規模的には小さいですけれども、イラク戦争や湾岸戦争からの帰還兵の中に、真剣に動いている人たちがいて、「自分たちが被害を受けてる」とか、「放射性兵器の危険性を知らされていなかった」とか、そういった事を訴えてるんです。日本に比べて、アメリカではイラク戦争っていうのは、必ず毎日話題になります。この部分でも随分と広がりはあるんじゃないですかね。そう感じます。

多くの日本人にとって、ヒロシマは《半世紀前の記憶》だが、アメリカ社会では、家族や友人を派兵されて、イラクを《今現在の事》として実感している人たちが数多くいるのだ。

■部族長グループと米軍が肩を組み…

前回、6月末にこのコーナーで報告していただいた時には、高遠さんのイラク現地の支援活動の拠点であるラマディの町で、「良い方向の変革が起きつつある」という話だった。

――その後、いかがですか?

高遠: まず掃討作戦がない。それから、不当拘束がない。それに呼応して出て来る戦闘、地元のレジスタンスの攻撃とか、そういう全部をひっくるめた戦闘がこの4ヶ月間、全く起きていないんですよ。数回、自動車の爆弾はあったんですけれども、それに過剰に反応して泥沼化して行くっていう感じは無いんです。昨日確認した時点でも、一応平穏な状況というのはずっと続いてるんです。
 どうしてそうなったかと言いますと、地元の部族長がグループで、米軍と停戦というか交渉をやって、今年の春ぐらいからそれが本格的になったんです。アンバール州全体で平穏が続いてるということは、住民にとっては奇跡みたいなもので、本当に皆が今、その平穏の時をかみしめてる感じなんです。それは凄くひしひしと伝わってくるんですけど、手放しで喜べるかっていうと、幾つか疑問もあります。恒久的な基地の問題もありますし、米軍がこの先、この地域でどういう活動をして行くのか。
 アンバール州の外では、ちょっと微妙なんです。周りから見ると、イラク国内でさえ「ラマディは米軍にひれ伏した」とか受け止められてる。米軍と部族長が肩を組んでる写真が、アメリカメディアで出ちゃったんですね。ブッシュ大統領が、毎日のようにメディアで、「イラク復興のモデル、それはラマディだ」と、凄くアピールしてるんですよ。メディアで今流れてるのは、ほとんどアメリカの言い分っていう感じで、部族長側からはあまり出てないんです。だからその辺りは、実際の所どうなのか、まだ分からないです。
 部族長たちの民間外交で、ここまで持って行ったわけですから、この先この民間外交がどういう風に行けるのかが、凄く注目されるべき点だと思います。

――住民たちの間では、この部族長たちの活動は支持されてるわけですね?

高遠: そうです。ほぼうまく行ってるので、いざこざはあまり無いんです。でもこの前、部族長の議長が爆殺されて、ちょっと激震が走りました。だから、それ(和平交渉)を妨害しようという人たちも、いるんです。

■再建プロジェクト、ようやく“公然化”

――そういうラマディの中で、高遠さんたちの活動はどうなっているんですか? 前回、「診療所を作る」とおっしゃっていましたが。

高遠: 診療所は、まだ保留状態です。とにかく住民が完全な元の生活を再開させるということで、インフラの整備みたいなことを今やってるんです。攻撃や爆弾で下水管がめちゃくちゃになって、冬場の雨季には床上浸水してたらしいので、それを集中的に直したりとか。
 以前にも、日本からの寄付、部族の寄付、いろいろありましたけど、カーシム
(高遠さんのイラク現地での活動の中心メンバー)たちにとって一番大きな変化というのは、物凄い規模で(地元の)信頼を集めたことなんです。今までは、何となく内緒で活動してたのが、カーシムが部族長に、今までやってきた実績を直接見せたり説明したりして、一気に人々の信頼というか注目を集めて…

――遂にオープンに活動できるようになったと?

高遠: そうですね。(活動として)他には、米軍とかいろんな勢力が置いた不発弾みたいな物があって、そういった物の処理もしくは調査でも大分安全が確保されますので、そういった事をしたり。それから、バグダッドからの避難民も相変わらず多いんですね。その人たちが増えてきた上に、去年は町がかなり壊されてしまって、人の流れが郊外に移動してる部分もあって、郊外の道路網を整備すべく、測量してるという話も聞いてます。

イラク全土に広がるにはまだ時間がかかるだろうが、ラマディに関しては、完全に再建の段階に入っている感じだ。

■ディアラの受難、シリアの姿勢転換

高遠: 今のアンバールは、イラクの中では非常に特別な状況で、本当に皮肉な話ですけど、テロとの戦いの最大拠点と言われた所が、一気に最も安全な所になってしまったんですね。そういった状況がメディアで繰り返し報じられている時期に、(その裏で)酷かったのが、バグダッドの北にあるイラン国境に接しているディアラ州っていう所です。先月までの約9ヶ月間、物資も止められ、掃討作戦がかなりな規模で行われていて。ディアラ州のバクーバという町に私の友人がいるんですが、彼の話では、1発のアメリカ軍の空爆で、9家族が住んでいた建物が崩壊して、9家族が皆死んでしまったのを目の前で見てしまったと(言うんです)。怪我人を搬送しようとしたが、すべての道路が封鎖されていて、なすすべが無かったと。まるで2004年のファルージャ、2006年のラマディ…そんな感じが9ヶ月間、今度はディアラで続いていたと。

――この会議が終わったら、その後はどうされますか?

高遠: また別の国でミーティングなんですが、今、目下の問題はシリアのことです。(イラクからの)避難民が150万人とか。予想はされてたんですけれども、シリア政府が入国制限を10月1日から始めてしまったという情報も入ってきて。ラマディのカーシムが(イラクから)外国に出るのに、(直接は出られないので)一旦シリアに入らなきゃいけないわけですが、それが出来ないとなると、第三国でミーティングするのも今後はちょっと難しいかなという感じです。

――せっかくラマディを中心に、アンバール州で1つのモデルケースが示せるかもしれない状況なので、何とか活動を続けられるといいですね。

高遠: いや、アンバールも手放しで喜べる状況ではないので、難しいですけどね。私たち民間の、カーシムたち独自の活動をどういう風に差別化できるかだと思います。

米軍のPR用にデコレーションされた「平和」とは一線を画しつつ、それを巧みに利用もしながら、本当の自分達の「再建」を目指す。カーシムや部族長たちのデリケートな取組みは、まだまだ続く。

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