異彩放つ正月映画『ダーウィンの悪夢』今日封切

放送日:2006/12/23

今年度アカデミー賞に部門ノミネートされ、一方で関係者の抗議にさらされているという、大変激しい賛否両論の中で、正月映画『ダーウィンの悪夢』(が今日(12月23日)から東京で封切られる。
最近この映画の監督に直接会って話したばかりという、月刊誌『エココロ』の編集主幹マエキタミヤコ(眼のツケドコロ・市民記者番号No.39)さんにお話を伺う。

■白身魚と白人がやって来て…

――まずは、どんなドキュメンタリー映画か、紹介してもらえますか。

マエキタ: アフリカ大陸の中央にあるヴィクトリア湖という、海のような湖に、貧困地区を救うために良かれと思って、外来種のナイルパーチという魚を放してしまったんです。ナイルパーチは巨大な白身魚で、実は日本にも沢山入って来て(欧州に次ぐ第2位の輸出先)、ラジオを聴いている皆も食べてます。そのナイルパーチが、“ダーウィン(の進化論)の箱庭”とまで呼ばれた豊かなその湖の在来種の魚を、どんどん物凄い勢いで食べてしまったんです。

――で、それを加工して輸出するという産業が一気に増えて…そこまでは、良かったわけでしょ。でも「それだけじゃなかった」という部分を、凄く丹念に描いてる…

マエキタ: ちゃんとそれが、働いている人達に還元されれば良かった、うん。ところが、ストリートチルドレンや売春が、何故かはびこってしまった。豊かになると思って迎えたその(加工)会社が来る前は、飢えて死ぬ人なんかいなかった村に、飢えやエイズで死ぬ人がどんどん増える、という状態になっちゃってるんです。

外から単純に考えると、新しい産業が出来たらお金が入って、総体では皆が潤うはずなのに、どんどん地元で貧困が増えていくという不思議さ―――「どうしてそうなるのか?」を、理屈ではなく生身の人間たちの姿で描いているのが、この映画だ。

■「良かれ」の積み重ねで共犯に

――マエキタさん自身が映画を観て、「ガァーン」となった部分って、具体的にはどんなシーンですか?

マエキタ: 「アンモニアで目がなくなっちゃったのよ」って言いつつ、おばさんが働いているところとか。

「目がなくなったおばさん」とは、ナイルパーチの身の部分を輸出して、残りのアラの山を処分している場面で、そのアラの山の自然発酵で発生したアンモニアガスに目をやられてしまった女の人の話だ。

マエキタ: ウジ虫が(その人の)足の上を這っていったりとか、やっぱり、生理的にびっくりしました。「そんなのだったら観たくないな」と思われると困るけど。監督自身はそういうギトギトのドキュメンタリーを撮りたかったわけではなく、《アート》の形にして沢山の人に観てもらいたいと思って作った映画なので、そういう風に観てもらいたいと思います。

ナイルパーチの身を積んでヨーロッパへ運んで行く貨物飛行機のパイロットは、この映画の中で、最初はただ、現地で売春婦をしている女性と一緒に酔っ払って歌ったりしているだけで、突っ込んだ質問にも「俺ぁ、政治の話は嫌だ!」とすっとぼけていた。だが、付き合っていた売春婦も、映画の撮影途中で実際に殺され、パイロットは、段々この監督と仲良くなっていくにつれて、徐々に変わっていく。監督がずっとしつこく聞いていた「魚を積んで行った帰り、ヨーロッパからアフリカに引き返す飛行機の貨物庫は、本当に空っぽなのか? そこにも何か積んでるんじゃないの?」という質問に対して、ラストシーン近くで、遂にパイロットが、「戦車を積んできたことがある」とちらりとほのめかす。これ以上は、これから映画を観る方の楽しみを奪ってしまうので言えないが、「自分は、本当はこんな事を望んでいないんだ」と言うときの、薄暗い部屋での彼の表情が、私には非常に印象的だった。もちろん、あの一言だけでは証拠能力は無いが、観ている側に何かを突きつけて来ることは確かで、「もっと本当の事を知りたい」と皆さんも思うに違いない。

マエキタ: 人間って、最初から悪い人じゃなくて、良かれと思ってやっている事の積み重ねで、気がつくと、自分が共犯者にされていたりすることが、凄くよくあるんですよ。

――だから、あのパイロットもそうだし、たぶん工場経営者も、誇りを持ってやっているし、皆良かれと思ってやっているんですよね。

マエキタ: 工場の夜警の人も、凄いハンサムで、声も渋くてねぇ。「戦争はいいよ~。お金になるからね」って。「なぜ、戦うの? なぜ殺し合うの? どうして?」っていうことが、すごいリアリティを持って現れる…ただのドキュメンタリー映画じゃないです!

■絶賛と酷評の狭間で―――“知識に顔を”

実はこの映画、ヨーロッパでは一昨年に公開され、ヨーロピアン・フィルム・アワードのベスト・ドキュメンタリー賞、ヴェネツィア国際映画祭のヨーロッパ・シネマ・レーベル賞、アンジェ映画祭グランプリ、パリ環境映画祭グランプリなど、数々の賞を総ナメにして話題をさらった。しかしその一方で、タンザニア大統領は「この映画は、国のイメージを傷つける」と批判声明を出した。

マエキタ: 何故、タンザニアの人がそう言うかっていうと、ヨーロッパでこの映画の反響として(ナイルパーチの)不買運動が起こって、それがきっと物凄かったんじゃないかな。で、(現地で)失業者がドーンと増えて、その人達は食えなくなって。「これ(不買運動)ってホントに良い事なのか?」っていうことです。凄く極端に振れたりするんですよね。それは、ホントに良くないと思います。

つまり、この映画自体がタンザニアにとって悪いというのではなく、この映画を観た人のリアクションの仕方がまだ練れていなかったのだ。この映画を情報として冷静に受け止め、「こういう南北貿易のあり方でいいのか?」「他のやり方を考えよう」という方向に進めば、この映画は結果的には、タンザニアにもアフリカにも良い作用を及ぼすはずだ。

きらびやかな受賞による絶賛と、タンザニアの大統領などによる酷評の両方を浴び続けているのが、フーベルト・ザウパー監督だ。ザウパー監督は、あちこちで映画のPRをしている。特に印象的だったのは、先月の来日インタビューの最後で、監督が記者に対し「皆さん、お願いですけど、記事を書くなら“魚をボイコットしよう”ではなく“武器をボイコットしよう”って書いて下さい」と念を押していた。また、映画の日本語版のパンフレットの中では、「私の映画には何も新しい事はない。ただ知識に顔を与えただけだ」と言っている。
―――“知識に顔を”! 情報に実感を! これは、素晴らしい表現だ。

マエキタ: それは、私がインタビューしたときも、何度も言ってました。

■エコ・シフト社会での映画の使命

月刊誌『エココロ』1月号 マエキタさんが監督に会ったのは、月刊誌『エココロ』でのインタビューだ。

――この1月号は篠原涼子さんが表紙で、中身もセンスのいい雑誌ですね。で、この中にザウパー監督の話をマエキタさん自身が書いてますね。

マエキタ: どうしてもお会いしたくて、インタビューを申し込みました。

――最新号は今週水曜(12月20日)に出たんですよね。この雑誌自体は、どういうものなんですか?

マエキタ: これは、エコのライフスタイルを提案する女性誌です。エコって言うと未来の話なので、地球や人類の存在というのをサステナブル(持続可能)にするための生活の知恵から、ファッション・スポーツ・ダイエットなどいろいろなテーマまで、生活を“エコ・シフト”してスマートに生きる、都会の女性を応援する雑誌なんです。

――エコロジーを大切にする生き方にずらす事を“エコ・シフト”って言うの?

マエキタ: 経済を環境経済に転換することを“エコ・シフト”と言います。まぁそれは経済だけだけれど、生活全般に言えますね。

マエキタミヤコ著『エコシフト~チャーミングに世界を変える方法』(講談社現代新書) 更に、マエキタさんは、先月出した初めての著書、講談社現代新書『エコシフト~チャーミングに世界を変える方法~』の中でも、「この映画はいい!」と1節を割いて紹介している。

マエキタ: 世の中が今、エコ・シフトしつつあるとホントに感じています。そういうムーヴメントっていうのはいろんな形を取っている。映画も1つの形で、こういう映画を観ると特に、映画産業の新しい使命みたいなものを感じます。

――大体こういう映画って、そんなに金かかってないもんね。

マエキタ: これ、凄いッスよ。監督だけだからね。

――勝手にビデオカメラを背負って、ヒョコヒョコ現場に入り込んでいるだけですからね。

■「見えざる手」は、“見えてる人”しか導かない

この新書『エコシフト』の中で、マエキタさんはこの映画に触れた後、こういう情報を発信する大切さに関して、「完全情報なんてあり得ない」という話を書いている。

マエキタ: グローバリゼーションを肯定している、あるいは許している自由資本主義経済っていうのは、アダム・スミスがお父さんと言われてるんですが、そのアダム・スミスの理論は、「完全情報(が全員に共有されている状態)だったら」っていう条件付きなんです。

――皆が全てを知っている状態なら、どういう経済行動を取るか…という理論?

マエキタ: そう。つまり「どこでそれが作られ、どうやって運ばれ消費されているか」っていうこと(情報)まで皆が共有している状態なら、(経済は統制せずに)自然に任せておくのがいい。それで大丈夫な理由を説明するために、1つの例として、「あなたは、目の前の人が泣いていたら、泣くでしょう? 人間には共感性があるんだから、経済は自然に任せておけばうまく行くんです」って、アダム・スミスは言ったんです。それに乗っかって、企業は「そうだ! 自由資本主義経済、グローバリゼーションだ!」って言っているんですけど、「ちょっと待って! 完全情報(という前提条件)を忘れてない? 完全情報だけ忘れてない?」って思います。

――じゃあ、マエキタ説としては、そのアダム・スミスが前提とした“完全情報”に近づけるために、今の情報の欠落部分を埋めるのが、こういう『ダーウィンの悪夢』みたいな映画だったり…

マエキタ: それから、フェア・トレードだったり。もちろん、(相手の)顔が見えるようにする。そうすれば「泣くでしょう?」って。少なくとも心は動きますよね、泣かないにしても。確かに、どの国の人でも、心が動く。「そういう事があるんだ」って知ったら、「あ、どうしようかな」って考える。それが人間っていうものだから。そういう情報共有をもっともっと沢山やれば、自由資本主義経済は今の形でいい、アダム・スミスは正しい、ということになるのかもしれない。

――じゃあ、今アダム・スミスが生きていたら、『ダーウィンの悪夢』をぜひ観て下さいって言いますかね?

マエキタ: 言うと思いますね。(笑) 少なくとも(こういう情報発信活動をしている)私達の肩を持ってくれるよね、って(私は)言ってます。

今日(12月23日)から、まず東京・渋谷のスペイン坂にある映画館『シネマライズ』でロードショーが始まり、年明けから各地で順次公開される。ぜひチェックを。

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