引きこもり社会復帰施設死亡事件(1)息子を失った母の胸中

放送日:2006/09/23

 引きこもりの若者のカウンセリングを行ない、時には家庭から引き取って共同生活をしながら自立を促す―――という触れ込みの、名古屋の民間施設『アイ・メンタルスクール』で、今年4月、死亡事件が起きた。拉致同然の暴力的な方法で無理やり連れて行かれ入所させられたAさん(26歳)が、入所から4日目の朝、全身傷だらけで亡くなり、スクールの杉浦昌子代表をはじめ、スタッフ5人が逮捕監禁致死罪で起訴されて、今も裁判が続いている。
“熱血カウンセラー”として本を出したりTVに出たりしていた杉浦代表の逮捕は、関係者の間でかなり衝撃を呼んだ。
何故こんな事をしてしまったのか、法廷で本人達への尋問が行なわれているが、こうした悲劇の再発を防ぐためには、もう一つの「何故」―――《なぜ、こんな所に我が子を預ける判断をしてしまったのか》も解明する必要がある。
引きこもりの人数は、今や数十万人とも100万人台とも言われているから、沢山の親たちにとって、これは他人事ではない切実なテーマだ。今回の事件は、「馬鹿な親だね」の一言で片付けられるような特殊なケースなのか? それとも、今後も起こり得る、皆に注意喚起すべき出来事なのか? いつかAさんのお母さんの気持ちが落ち着かれたら、ゆっくり話を伺おうと思っていた。で、このほど、その機会が訪れた。一昨日(9月21日)放送の『NEWS23』のコーナー「それから」の“じっくり版”として、再編集してご紹介する。

■知りたい情報が届かない

友達の多かったAさんが徐々に自宅に引きこもるようになったのは、高校卒業後、ハワイに語学留学して帰国した後、今から3〜4年前の頃からだったと言う。

母:
本人も、「俺も、このままじゃダメなんだよなー」って、そういう気持ちをとても持ってて。私も「何やってんの!」って、「もう、ちょっといい加減にしなさい」なんてやりますね。そうすると本人は「お前になんか言われたくないよ」。…なんかこう1つの殻に、(母子共に)閉じこもっちゃってる状況なんですよ。これは、何とかして、2人がここから離れないとダメなんだよ、というのは、両方が分かってるんです。でも、そこに《きっかけ》を作ってくれる何かがない。第三者(他人)がそれを理解してくれて、そういう人がポンと背中叩いて、こっちに引っ張ってくれて―――そういう所があるといいねって、少しずつ、意識し始めまして。

子供本人が物理的に引きこもり、それに悩んだ家族がその問題を心の中に抱え込んで心理的に引きこもるという、“二重の引きこもり”状態は、非常に典型的だ。脱出口を探し求めて、田舎に家を借りて母子で1ヶ月気分転換に暮らしてみたり、仏法の講話の会を見つけて母親が通ってみたり、と試みたが、なかなか「これだ!」というものに出会えなかったと言う。

母:
田舎にそういう場所あったらいいなっていうのは、非常に思ってました。けれどやっぱり思い当たらない、思いつかない。なかなかそういう情報が入って来ないっていうのがあって。いざ、調べたいと思って、インターネットで開けたり、区に電話したりとか、してみたんですが、そこでは情報は、正直得られなくって。

これだけインターネットで情報が提供されている時代でも、いざ必要な情報となると、なかなかうまく得られない。家族の会などの組織も色々できてHPを開いているのに、必要としている人に届かない。これも、そうした団体の人によると典型的な現象で、理由は大きく分けて3つあるようだ。

  1. 引きこもりの人の平均年齢が30才
    → 親が高齢のためネットが苦手で、目に入らない。
  2. 悩みで頭が固まっている → 目に入っても心に届かない。自分の事だと気付かない
  3. 世間体が気になる → 心に届いても、体が動かない。行動に移せない

■光を放射されると、影が見えない

そんな中、たまたま今年初めに、テレビや書店で杉浦昌子という名前を立て続けに目にしたAさんの母は、早速本人に電話をし、3月末、東京駅の喫茶店で杉浦代表と面会した。

母:
今時こんなに大変なね、子ども達に全力を出してる人がいるんだなって、ほんとに熱いものを感じましてね。
下村:
(その面会の時)失敗事例というのはお訊きにならなかった?
母:
まさか、何か子どもにとってマイナスになるような事を訊くような気持ちにはなれない。なれないというか、質問なんか全然思ってもいなかったんです。何かね、その時から、私の中では、「あ、この人だったら大丈夫」っていうような感じ方になってるんです。
下村:
会った、初回で?
母:
 うん…。

悩みぬいた親の耳には、ガラッパチの“杉浦節”は力強く響き、親はトンネルに光が差した気分になって、「光の後ろには、影があるかも…」などとは考えられない心理になっていた。
母は、すっかり信頼する気持ちで、名古屋市にある『アイメンタル・スクール』の寮の下見に行った。

母:
「中を見学させてもらってもいいですか?」って言って「どうぞ」って言われました。で、玄関の前にある階段を上がって、2階と3階のところは全部見たんです。で、お部屋は全部、ドアがなくって。2人いたり。それぞれの部屋の空気を見させてもらって、全然悪い感じはしませんでした。「うちは、全部ドアが無くてオープンなんですよ」って言われました。その時の1階の空気も、ほんとに嫌な空気ではなく、そこの施設に入ってる人が、皆自由にしているように見えたんですね。まさか、縛られてる人とか、そういう人が奥にいるなんていうのは、想像もしてませんでした。ドアが二重になっていて、ほんと壁のようにしか見えなかったんです。

壁のように見えたのが“二重ドア”だったというのは、事件の後で知ったことで、この下見の時点では全然気付けなかったわけだ。その“二重ドア”の奥に、鎖で繋がれた人達の部屋があったのだが、その時点では全く説明は無く、遂に、母は、Aさんをここに預ける決意をしてしまう。

■「期待」が「疑問」を封じ込め…

一番問題視された、自宅から強引に連れ出すという手法については、「夜中に自宅で寝ているところを突然連れ出すから、本人には内緒にしておけ」と言われていたという。勿論、手錠や足錠を使うという暴力的な部分までは聞かされていなかった。内緒にしておくことについても、《本人の為》だと思うからこそ、内心の葛藤は無かったと母は言う。

母:
私の中では、その葛藤はないんですよ。どちらかというと、もうじき本当にあなたのケアをしてくれる場所に巡り会うよっていう言い方をしてたんです。
下村:
それは伝えていた?
母:
ええ。
下村:
いよいよ迎えに来る日の前夜も、普通に床に就かれたわけですよね。この後、朝起きる迄の間に、連れ去られるんだとは…
母:
「連れ去られる」って、思ってないです。
下村:
「迎えに来てくれる」んだと、むしろ期待感をもって…?
母:
そうです、勿論。だから、もう声が弾んでたようですよ、その頃の私の声は。愚かですよね。

そして、拉致当日。4月14日未明、母と息子は、寝室で並んで寝ていたが、連れ去りの実行グループの到着と同時に、母は指示通り、隣の部屋に身を隠した。

下村:
 お隣の部屋から声とかは聞こえてこなかった?
母:
 いやいや、最初は(説得のやり取りが)すごい聞こえて来ました。ものすごい…(ため息)。その時にね、今思えば、「やめてくれ」って出れば良かったし…。
下村:
 「やめてくれ」って(隣室から引止めに)出ようかなとも、思われたんですか?
母:
 それは思うんですよ。だけど、息子のためにも、自分は鬼になって、グッと息をのんで、ここさえ通り抜けたら、必ず次は良い結果になると思って、息を潜めてましたけどね…。

事件が起きてから結果論で振り返れば、判断ミスと言えるが、何年も引きこもりの中で苦悩してきた親子だと、これが出口の始まりだと思って、すがってしまう。

■このインタビューを出発点に

それから起きた出来事について、検察の冒頭陳述は、こう述べる。
「被告らは、抵抗する被害者に手錠と足錠をかけ、猿ぐつわをした上、被害者を抱え上げて車まで運び、3列目座席前の床に押し込み、車を出発させた。寮に到着すると、被害者の腹部に鎖を巻きつけ、その鎖を鍵部屋内の柱に南京錠で固定し、紙おむつを1枚つけただけの状態で拘束した。」
―――この4日後、Aさんは、暴行による挫滅症候群が原因の急性腎不全で亡くなった。以来、母は自分を責め続けている。

そっとしておいて欲しい。でも、今現在、同じ悩みを抱えている親たちが、沢山いるに違いない。その人達が同じ道に迷い込まないよう、「自分の経験を伝えたい」。だから、「このインタビューは出発点。色んな親たちが繋がり、語り出すことが出来たら」と母は言う。

母:
自分の悩みでね、オープンに出来ないで悩んでる方がきっといるだろうなと、同じように。やはり苦しんでる人達がお互いに何かもう少し、隣り合わせに情報が手に入ったらいいなぁぐらいのことは、…ちょっとうまく言えないんですけど、そういう《広がり》になったらいいなっていうのは思います。自分がね、元気出して、息子に喜ばれる事(こうした取組み)を何かやって行かねばなぁと思ってます。

来週は、『アイ・メンタルスクール』でカウンセラーをしていて、解散した今も当時の寮生たちのケアをし続けている男性へのインタビューを通して、“反対側”からこの事件を更に立体的に見つめる。

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