間もなく8・15…映画『蟻の兵隊』公開中!

放送日:2006/08/05

あと10日で、終戦記念日。今、東京・渋谷のシアター『イメージフォーラム』で上映中の戦争映画に、観客が詰め掛けている。都内ここ1ヵ所だけで上映されている『蟻の兵隊』は、封切り最初の1週間の観客動員数で、同館始まって以来の新記録を樹立した。何がそんなに受けているのかを、監督の池谷薫さん(眼のツケドコロ・市民記者番号No.32)に伺う。池谷さんは、元々テレビマン。以前私も関わっていた、TBS「テレポート6」という関東ローカルニュース番組のスタッフだった時期もある。

■命じられた“蟻”たちに起こった事

――どんな映画なんですか?

池谷:
奥村和一さんという元日本兵の執念を描いた人間ドキュメンタリーです。1945年8月15日、戦争は終わったけれど、中国の山西省にいた陸軍第一軍将兵の2600人にとっては終戦ではなかった。《軍の命令で》残留させられて、その後、中国国民党と共産党の内戦に巻き込まれたんです。ところが、「兵士達は勝手に残ったんだ」として、国には“逃亡兵”として扱われてしまったんですね。80歳を超えた奥村さん達は、「あれは軍の命令だったんだ、自分たちは《日本兵として》戦後も戦ったんだという事を認めて欲しい」と、去年まで裁判をやっていたんです。この映画は、その真相を解明しようという《執念》を描いたドキュメンタリーなんです。

といってもこれは、裁判記録の映画ではない。カメラを担いだ池谷さんが追いかけたのは、本当は一体何があったのかという《真相究明》の為に中国の現地を訪れた、奥村さんの旅の様子だ。
映画の中から、何シーンかご紹介しよう。まず、奥村さんが、派兵されそのまま残留させられた中国の戦地を再び訪れて、共産党軍と戦った時のことを振り返る場面。

―<作品から>――――――――――――――――――――――――――――――――
生きているうちに1回来たいと思ってたけど、やっと来れた・・・。そのギュウダサイ(地名)の死闘でですね、同じ戦友の斉藤さんがですね、「天皇陛下万歳!」って叫んで死んだんですよ(涙声)。もう戦後3年も経っているんですよ。
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――戦後3年も経ってからの戦死?

池谷:
2600人残留した将兵のうち、550人が戦死したんです。他にも自決した人、捕虜になり(シベリアなどに)抑留された人もいました。奥村さんは、6年2カ月も抑留され、日本に引き上げる事が出来たのは、昭和29年です。

■被害女性のアドバイスに揺さぶられ

この映画の魅力は、残留兵問題のみに限定せず、「人間は戦争下ではどうなってしまうのか」という一番根本的な“問い”を、奥村和一という1人の《蟻の兵隊》を通して、見事に描き出している点だ。
私も試写会で拝見したが、中国の戦地で生身の人間を殺す練習をさせられた時の事を、奥村さんが現地で振り返るシーンには、息を呑んだ。人形を使うのではなく、生きている中国人を実際の練習台にして剣で突き刺して殺した体験を、奥村さんは、現場に立って淡々と語っている。

―<作品から>――――――――――――――――――――――――――――――――
「構えろ!」って一人一人に、こうやって突き刺していくんですよね。おっかなくて震えているもんだから、目も開けられませんし。突いたってね、あばら骨にぶつかるくらいで、出来ないんですよ。そうすると「何やってるんだ!」って言われましてね。「抜けっ! 抜けっ!」って何回も、やらされるんです。それを兵隊が順番でやらされるんですよね。まあ、これが、私の教育でしょうね、兵として。人を殺せるまでになったいわば最終試験といいますかね。仕上げの場所だったんです…。
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――でも、奥村さん自身があらためて現場を訪ねるということは、自分が殺した中国人の家族や遺族が残っている所に行くわけですよね?

池谷:
そうですね。だから、奥村さんは、旅立つ前は「殴られると思っていた。殴られる覚悟で行った」って言ってました。ところが、中国の人もやっぱり分かるわけですよ。このおじいさんがどういう覚悟でここに立っているのか、それが分かるから、もちろん(殴られるなんて)そんな事はない。旅の最後には、日本軍に強姦され、性暴力の被害に遭ったおばあちゃんとも出会うんですけど、その女性はむしろ「あなたが好きでやった事じゃない。だから、日本軍のことは憎んでいても、今目の前に立っている元日本兵のあなたを憎んでいるわけじゃない」と言うんですよ。「あなたもちゃんと、戦争の事をご家族に話したら?」なんていう風に言ってくれたんですね。実は、奥村さんは、自分がやってきた事を今まで家族に一切話したことはなかったんですよ。語れなかったんですね。

この女性の言葉に背中を押されて、奥村さんは、この中国の旅から帰国後、自分の妻に初めて戦地での体験を語った。以来、奥村夫人は、奥村さんの活動の最大の支援者となった。

■戦争は、死ぬまで人を放さない

奥村さんの現地訪問の旅は、“反省に行った日本人と、寛大に許す中国人”という構図だけでは終わらない。奥村さん達が殺した地元中国人の子孫と対面するシーンでは、奥村さんは、当時殺したのが農民ではなく警備要員だったと知らされると、態度を豹変させ、顔つきも変わり「警備員だったら、職場放棄すべきじゃないだろう」と、突然その子孫を問い詰め始めてしまう。

――あの場面、監督もびっくりしたのでは?

池谷:
いやぁ、驚きましたね。本人も(自分の豹変に)全く気付いていないんですよ。奥村さん自身「自分が今ちょっとおかしいぞ」とは、分からないんです。「殺したのが実は警備兵だと分かって、(それなら)処刑されても当然だ、という風に思ったんじゃないんですか?」って、後で僕が聞いたんですが、そう問われて奥村さんは初めて我に帰るんですよ。

―<作品から>――――――――――――――――――――――――――――――――
(そういう思いが)全然なかったといえばウソになるでしょうね。私はやっぱり《日本兵になって》追及していましたよね。自分の中に日本兵というのがまだ存在していたんですね。それに気付いた。そういう、軍隊教育で受けたものが依然として、私の中に残っているんだな、とね…。
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――気持ちや考え方が一瞬にして、日本兵の当時に戻ってしまった、という事に、後から池谷さんの指摘を受けて気付いたんですね?

池谷:
結局、戦争っていうのは、《一度行ったら、死ぬまでその人を放さない》という事なんです。そりゃ、気付いたら辛いですよ。軍隊で受けた教育は全部払拭していたと思っていたのに、自分の頭の中の奥深い所にまだ残っていて、それが出てしまったんですから。戦争っていうのは、実はそういうもので、「一度行ったら死ぬまで忘れられないんだ、という覚悟があって戦争に行けますか?」という事を、奥村さんは私達に突き付けたんです。

「今の若い人達は、何も知らない」とよく言われるが、奥村さんはある場で、「戦争教育を受けていない今の若い人たちは幸福で、羨ましい。自分は、まずその(若い人達の)水準まで行かなくてはならない」と、逆の事を語っていた。

■「段々深まる」「我が家の」問題

しかしもちろん、奥村さんの羨ましがる“今の若い人達”が、奥村さんから学ぶべき事は多い。

――実際、若い観客が徐々に増えているそうですね。

池谷:
ありがたい事に、『蟻の兵隊を観る会』『蟻の兵隊・竹薮勝手連』というのが出来たんです。ボランティアの上映応援団です。試写会を観た人達が、もっと他の人にも見せたいという思いを抱いて集まって来てくれたんですね。最初は、主婦の方々が多かったんですが、段々年齢が下がって、今は大学生を中心に増えて来ています。

その若い人達が、奥村さんの話を直接聞きたいと、あちこちで対話の会も行なっているという。先月、早稲田大学で開かれた「我ら、元日本兵と遭遇す」というイベントで、奥村さんが学生たちに語った言葉をご紹介する。

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奥村:
私は中国で人を殺したということ、このことは一生忘れません。それは私が死ぬまでついてまわる問題です。自分が家庭をもって、子供が生まれたらね、子供はかわいいんですよね。そうすると、「自分が殺した相手にも子供がおっただろう」と。それは、《段々深まる問題》なんです。《忘れていく問題》じゃないんです。
そしてそれは、《私だけの問題》ではないんです。あなたのおじいちゃんも戦争に行ったら、戦争の体験を持っているんです。ただそれを語ることができたか、語らないで悩みながら死んでいったか、なんです。それぞれのうちに、《戦争と我が家》があるんです。残念ながら、日本はそれを引き継いでいないんです。中国に行くとわかるんです。おじいちゃんから聞いた問題、自分が体験したことをみんなが伝え歩いているんです。日本もそういう風に戦争を伝えなくてはならない。再び戦争をしないためには、戦争を語らなければならない。

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■「生きてて良かった」と「観て良かった」と

先月(7月)22日の映画公開初日、館内にあふれる観衆を目にした奥村さん(その3日前に82才の誕生日)の第一声は、「生きてて良かった」。それを聞いて客席からは満場の拍手が惜しみなく送られた。

池谷:
僕も横にいて、ちょっとウルッと来ましたね。だって、ずっと孤立無援の戦いを強いられて来たでしょう? 裁判やったって、支援者は誰もいなかったし、メディアもあまり採り上げなかった中で、これだけ注目を集められたんですから、やっぱり嬉しかったんでしょうね。

それ以来大入りが続き、イメージフォーラムは昨日で終わるはずだった上映予定が、延長になった。「観て良かった」という観客の口コミは、さざ波のように広がっており、今日(8月5日)からは、大阪の第七芸術劇場と名古屋のシネマスコーレでも、上映が始まる。

池谷:
大阪では今日12時35分の回の上映後、奥村和一さんと私が舞台挨拶とティーチインをします。明日6日は名古屋でも舞台挨拶をします。

――さらに、「蟻の兵隊を見る会」が主体となって、自主上映会の動きもあるそうですね。ホームページに、“自主上映の開き方”が懇切丁寧に載っていますが…?

池谷:
地方の映画館では、こういう映画はなかなか上映してもらえないでしょう? そうすると、観たいけど観れないっていう人がたくさんいるんですよ。そういう所へは、むしろ映画のほうがお邪魔するという風にして、広めて行きたいと思っています。
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