横田めぐみさん拉致を描いた米国映画、日本で初上映

放送日:2006/07/01

北朝鮮拉致被害者の横田めぐみさん事件をテーマに、アメリカで制作されたドキュメンタリー映画『アブダクション』(拉致)が、今週火曜(6月27日)、日本で初めて上映された。
この映画の監督クリス・シェリダン氏夫妻に同行して来日中の、アソシエイト・プロデューサーの川辺裕子さん(眼のツケドコロ・市民記者番号No.29)にお話を伺う。川辺さんは米国在住で、この映画のほとんどは、夫妻と川辺さんの3人の作業で作られたと言う。

■映画完成の影に、膨大な英訳努力

――アソシエイト・プロデューサーって、どんな立場なんですか?

川辺:
テープ起こしから通訳、ホテルの手配まで、もう何でもお世話をするんです。

私も今回初めて観たのだが、この映画は、政治的な要素や歴史的背景には敢えて触れず、横田夫妻を中心に日本人拉致被害者家族の姿をテーマに描いた85分の作品だ。米国映画なのだから英語のナレーションが入り、それに日本語字幕が付くと思いきや、ほとんど全部が日本語で、日本人がそのまま観られる映画になっている。逆に、アメリカでの上映では英語の字幕が付くという。

――この英訳は、川辺さんがすべてなさったんですか?

川辺:
日本で取材したテープが100本以上あるんですが、ボランティアの方にも手伝って頂いて、皆さんと協力しながらそれを全部英訳して、作成した原稿を監督が見て、言葉を抜粋しながら作りました。

――監督は、少しは日本語が出来るんですか?

川辺:
出来ません。共同制作者で奥さんのパティ・キムは、昔日本に1年半位住んでいた事があるので、ちょっと話せますけどね。

――川辺さんは、どのくらいの期間、この映画制作に専念されたんですか?

川辺:
1年以上です。

――どうしてここまで深く関わることになったんですか?

川辺:
彼らは私が関係する前に日本に来て取材していたんですが、その時に撮影したテープを全部チェックして、日本語でタイプ打ちをする人を募集していると、知人から聞いたんです。ブラジルから日本に帰って来てアルバイト生活をしていた私は、国際関係に興味もあったし、拉致問題についても何とかお手伝いしたいと思っていたので、「ボランティアでいいので関わらせてください。この仕事は、絶対私にしか出来ません」と電子メールを送ったんです。クリスが私のメールを見て「すごく情熱的な電子メールが来ているよ」と言ってくれたのが、始まりなんです。

この映画では、30年位前のテレビ番組(失踪者の情報提供を求めるショー)に若かりし横田夫妻が出演している映像を筆頭に、膨大な量の過去の映像資料をつなぎながら、その合間に、独自の取材インタビューも織り交ぜている。それは川辺さんがすべてアレンジして、監督の通訳を務めながら日本で行なったのだと言う。川辺さんの役割はまさに、第3の監督と言っても過言ではなさそうだ。

――実際、制作の中でどういう苦労がありましたか?

川辺:
正直に申し上げると、やはり文化の違いですね。アメリカと日本では、すべてのシステムが違うんですよ。ですから、私がいかに良い日米間の架け橋になるかというのが、一番大変な所でした。

――クリスさんやパティさんと対立してしまう事はあったんですか?

川辺:
すごく信頼して頂いているので、私が「あ、その表現は日本人には通じない」と言えば、「じゃあ、使わない」とすぐに受け容れてくれましたね。
■この問題の為に、1人1人が出来ること

――アメリカで暮らすクリスさんが、何故よその国の事件で、映画を作ろうと思い立ったのですか?

川辺:
2002年に北朝鮮の金正日が拉致を認めたという記事がワシントン・ポスト紙に小さく載ったんですが、それをパティが偶然見つけて、衝撃を受けたのがきっかけです。2回目に記事になった時、拉致被害者の中に13歳の少女がいるという事を知って、彼女は再び物凄くショックを受けたんです。その当時ワシントンでは、スナイパー(銃の無差別殺人)事件が新聞の一面を大きく占めていて、人々は拉致問題の記事にあまり注目しなかったんですね。パティはジャーナリストなので、ジャーナリスト精神から「アメリカでは全く知られていないこの話を伝えるべきだ」と認識したんです。それで、夫のクリスに「ちょっと、この記事見て見て!」ってパティが言って、制作が始まったんです。

――米国では、ずいぶん賞も取ったようですね?

川辺:
そうですね、おかげさまで。1月にユタ州パークシティで開かれた『スラムダンス映画祭』では、「ベスト・ドキュメンタリー観客賞」というのを頂きました。これは、実際にその映画を観た観客の皆さんが投票して決まる賞なので、一番嬉しかったですね。

以後、3つの映画祭で受賞し、つい最近ではシドニー映画祭でも上映された。

――映画館での上映にも、川辺さんは立ち会ったんですか?

川辺:
はい、行ける所は全部行きました。もちろん、スラムダンス映画祭にも行きました。

――米国での一般観客の反応は?

川辺:
物凄く良い反響を頂いています。一番多い反応は、こんな事件が起きているという事を自分たちが《知らなかった》という衝撃ですね。2つ目は、こんな事件が実際に起きたという事が《信じられない》。3つ目に多いのは、「お嬢さんが帰る日まで《頑張って下さい》」というメッセージ。4つ目は《自分に、何が出来ますか?》というメッセージです。このメッセージは心に響きましたね。これを感じてもらう為に、この映画を作ったんです。世界中の人に知ってもらって、ちょっとした事でもいいから皆で協力して、何とか解決に向かって行こうという思いで映画を作ったので、これは一番嬉しかったですね。

――お客さんから「自分に何が出来ますか?」と聞かれたら、何と答えているんですか?

川辺:
今、私達が言えるのは、「とにかく多くの人に、この映画の事を伝えて下さい」という事です。「この拉致問題の事を伝えて、もっと勉強して関心を高めてもらって、政府もそこから動いて行けるように、皆で国民として動いて行こうではないか!」と語りかけています。

パティさんも今回の東京での上映会の最後に、「これを皆に話して欲しい。電子メールでいいから、周囲との話題にして欲しい。私はこれを、どこの国の観客にも頼んでいる」と語っていた。とても印象的なメッセージだった。

■外国人制作ならではのシーン

映画では、横田さんが配っているビラを通行人が叩き落すシーンや、『拉致被害者家族会』事務局長の増元照明さんが2004年の参院選で「家族会バッシング」に言及するシーンなど、米国の観客には理解しにくいのではないかと思われる要素も入っている。

――あれは、どういう狙いで入れたんですか?

川辺:
ビラ叩き落しのシーンは、昔日本人がこの拉致問題を全く信じていなかった時代に、横田さんがあそこまで頑張って皆に伝えようとしていたのに、誰も関心を向けなかったというところを表したかったんです。昔は誰も知らなかったけれども、今はここまで関心を高めて協力してもらえるようになった、という流れのうちの1つですね。「家族会バッシング」は、1家族の問題が政治的なしがらみに関与して行かなければならなくなった過程を表したかったんです。「これだけ世論が盛り上がっているのにどうして落選したのか?」という質問も、アメリカの観客から頂きました。けれども、私たちが表したかったのは、選挙に受かった落ちたではなく、自分の人生を賭けてここまで努力をしている増元さんの《サムライ精神》を見せたかったんです。彼は、戦う“戦士”ですから。

このほか映画には、横田夫妻が自宅で夫婦喧嘩をするひと幕や、米国議会訪問の感想として、早紀江さんが「アメリカ人のお尻って、大きくて四角いのね」と言って明るく笑うシーンなど、日本の報道映像ではお目にかかった事の無いような場面が登場する。“悲劇の両親”というステレオタイプに押し込めないこれらのイメージ破りな映像が、横田夫妻の人間性や強さの源泉を見事に描き出していて、逆に胸を打つ。そのあたりも、外国人制作ならではの魅力だ。

■待たれる、日本での一般公開

――今のところ、この1回しか、日本で上映する予定は無いですよね?

川辺:
はい。後は、外国人日本記者クラブで1回上映されましたけど。今は単に試写会の段階で、配給会社の方たちと交渉して、いずれは一般公開されることを目指しています。上映の決定権は、私たち制作側ではなく配給会社にありますので。

――日本で観られる機会がもし今後出来たら、川辺さんから日本の観客に伝えたいメッセージは?

川辺:
それはもう、とにかく「皆で助け合って、何とか拉致問題を解決して行きましょう」という事です。世論の力というものは、本当に大きいと思うんです。取材を通じて出会った横田さんご夫妻を、私は個人的に本当に尊敬しています。お2人の人格に、人生に、会えてありがとうございました、と思っています。そんな素晴らしい方たちを皆さんで支えて行きましょう!

今回の上映会では、その横田夫妻も初めて作品を観た。安倍晋三官房長官ら政府・国会の拉致問題関係者も、ずらりと姿を見せた。移り気な日本社会で、拉致問題への関心をしっかり持続させる為にも、この映画の、日本での一般公開が待たれる。

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