世界初!フセイン元大統領が書いた小説、日本で出版へ

放送日:2006/05/13

イラクのサダム・フセイン元大統領が、在任中に書いた小説『悪魔のダンス』が、世界で初めて日本で出版されることになった。権利を獲得し、翻訳も担当した平田伊都子さんにお話を伺う。

■こっそり書いていた純愛、不倫、古武道

――あのサダム・フセインに、大統領在任中に小説を書く時間があったのですか。

平田:
そうですよね。私もそこが不思議なんですけど、でも、彼はいろいろな情報を持っているし、非常に現実主義な人だから、「この戦争はもう負けるだろうな」と(初めから)捨ててたと思うのね。内容は、不倫小説や純愛物語の要素があったりして、割と俗っぽいんです。だから、ひっそりと書いてたんですって、人目につかないように。

――『人目を憚るように、机に覆いかぶさってこっそり何かを書いていた』というアジズ元副首相の目撃談が、平田さんの書いた「後書き」に紹介されていますね。

平田:
やっぱりね、戦争を直前にした大統領が、そういうシーンを書いているなんて、見られたくないわよね。でも小説を読んだら分かるんですけど、彼の子供時代のお話とか、ベドゥインという砂漠の人の生活とか、そういうのが一杯出てくるんです。だから、物語と言うよりおとぎ話みたいな感じで楽しいですよ。
ストーリーは、「今から1500年ぐらい前のユーフラテス川のほとりに、おじいさんとおばあさんと3人の孫がいました。」みたいな(始まりの)おとぎ話です。その一番年長の孫が悪い奴で、ある部族を乗っ取る時に、ローマ帝国を抱き込んで一緒に侵略戦争をするわけです。で、一旦は、その部族を乗っ取るんだけど、最後にはその部族の人達が、郷土愛や部族愛に燃えながら立ち上がって、もう一回やっつける、という単純な話なんです。

――平田さんの翻訳から戦闘シーンを朗読させていただこうと思うんですけれども、ここにサーリムという主人公が出てきますね。

平田:
サーリムは、あとから(悪い奴を)やっつけるほうですね。正義の味方、白馬の騎士です。

(『悪魔のダンス』より)
サーリムは被り布をはずした。アラブの若者を象徴する、肩までかかる長い黒髪が、戦場を疾走する。/ローマ人たちは彼の姿を見ると、山羊が狼から逃げるように一目散に退散した。/サーリムは敵兵を馬から討ち落とすと、一瞬攻撃を止め、敵兵がもう一度馬に乗るまで、他の者の攻撃も止めさせた。サーリムが敵兵の刀を折ると、周囲の者に刀を渡すように命じてから、彼自身あるいは他の者が再び戦闘を始めるという具合だった。これは、サーリムが執拗に守るアラブ式古武道だったのだ。

■二つの塔から火の手が上がる…

――正々堂々と戦うんだっていう感じですね?

平田:
そうなんですよ、昔の戦、っていう感じですよね。読んでいくと、場面ごとにアラブの流儀とか伝統や風習とか、いろんな事がわかってくるんですよ。食べ物の事も極々細かく書いてくれているんです。だから読んでてお勉強になっちゃう、「ああ、アラブの人ってこういう生活してるんだな」って。で、それが今のアラブの世界でもあるってことなんです。

――そのまま、1500年経っている?

平田:
そう、そう。その部族意識とか、部族愛というのが今もあって、それが現代のイラクの内戦にも繋がるっていう話なんです。だから、出て来るエピソードがそれぞれ現代と一致するんですね。たとえば、ローマ帝国。これは、アメリカ“帝国”なんですよ。ピピッとすぐわかっちゃう。

ローマ帝国=アメリカ合衆国というのを強く示唆する部分が、戦いのクライマックスシーンにある。ここでローマ人司令官に付き添っているハスキールという男が、最初の部分で平田さんが説明していた「最年長の孫」だ。

平田:
こいつが、悪い。悪の象徴になってるんです。アラブの心を裏切る、裏切り者なんです。しかも、不倫という方法で他民族を乗っ取るんです。族長の妻を騙すんですね。

(『悪魔のダンス』より)
アラブ部族は勝利し、旗が高々と掲げられた。その時、二つの塔、ツインタワーから火の手が上がるのをハスキールは見た。火の勢いは、ハスキールとローマ人司令官の戦意も欲望も、完膚なきまでに打ち砕いた。/絶望的な状況の中で、ローマ人司令官はハスキールに聞いた。/ 「一体、どうやってあんな事をやらかしたんだろう?誰か他の民族がいたに違いない。アラブと同じ信念を持つ民族。奴らがグルになって、二つの塔を燃やしたんだ。」ハスキールが答えた。「違いますよ。アラブ人は警備の者を殺して、塔の中ほどか頂上に火をつけた。塔の底からではない。つまり……塔と共に彼らも燃え尽きるのを覚悟した上での行動だ。彼らは命を惜しまない殉教者だ。『アッラーフ・アクバル』(アラーは偉大なり)と叫び続けたんだ」

――「二つの塔」って、まさしく「9・11」の米国テロの…

平田:
そう、ツインタワーです。ただ、この小説は、ツインタワーのテロが起こった後に書いてますからね。象徴的な富=アメリカあるいはユダヤの象徴としてツインタワーを書いているから、この部分をもって必ずしも「フセインはアルカイーダと関係がある」っていうことじゃないと思います。

■開戦前夜に書かれた《遺書》

もし、戦争が始まることなく、予定通りこれがイラクで発刊されていたら、あの「9・11」テロを全面支持する意思表明だと受け取られ、大量破壊兵器が見つからずに苦慮していた米国にとって、“攻める大義名分”の1つになっていたのではないか―――この疑問に、平田さんはこう答えた。

平田:
もし戦争が起こらずに出版されていたら、の話でしょ?でも、あの時点で既に、彼は《遺書》のつもりで、これを書いていたんですよ。戦争はもう、起こるんだと。そして、イラクは負けるんだと見通してた。彼は、もう本当に現実主義の人だから。

――なるほど、つまり「もし当時出版されていたら」という仮定自体が、フセインの頭の中になかった話なんですね。これは、長い長い《遺書》として読むことができると。

平田:
そうです。「お前らイラクは、一旦はやられちゃうけど、頑張って、後で盛り返すんだよ」っていう、国民に向けたメッセージだと思いますね。それがもう、読んでいて明確なんですよ。

――ほんとにこれは、戦争直前に書かれたんですか?

平田:
脱稿したのが2003年の3月18日なんですよ。3月20日にアメリカが爆撃しましたよね、ですから、ほんとに“前夜”なんです。書き終えて、自分の主治医に託して、情報省に渡したんですよね。そのときにサダムは、「これをイラクで100円で売れ」って言ったんです。まあ日本だと100円ってどうってことないんですけど、10倍くらいする感覚ですかね。で、「売り上げは戦争孤児に渡しなさい」って言ったんですよ。私はそれを知った時点で、「あ、これは《遺書》だな」ってわかったんですね。

■平田さんが権利を獲得するまで

――その原稿がめぐり巡って平田さんの手元に来るまでの顛末は、どういったことなんですか?

平田:
私が初めてこの(手元にある)原稿のゲラを見たのは、昨年(2005年)4月28日、彼の誕生日だったんですよ。たまたま私は、ヨルダンのフセイン国際弁護団の事務所にいたんです。事務所の人からこれを見せられて、「これを近々、ヨルダンでアラビア語で出版する」って聞かされました。読んでみたら、なかなかどうして日本の古武道みたいなことも入っていてわかりやすいし、「日本の人にイラクの人の心とか伝統とか文化を知ってもらうのにいいなぁ」と思ったんです。でも初めは、「こんなの、絶対訳したくない」とも思いましたよ(笑)。難しいんですよ、アラビア語は。

確かに、社会背景などが全部違うので、そのまま直訳しても日本人にはわからないだろう。解説を加えなければならないところが結構あるに違いない。
実は先日、高遠さんのイラク報告で私がアンマンに行ったとき、平田さんと偶然同じ飛行機の隣席だった。彼女は、この小説を出すために、最後の契約を交わしに行くところだった。

平田:
そのときに、契約書に弁護団のサインが欲しかったんですが、弁護団はちょうど、3月15日のイラクのフセイン裁判で皆いなかったんですよ。そしたら事務所の人が「それはラガドさん(フセインの長女)が全権を握っているから、ラガドさんと交渉してくれ」と言われたんです。それで、ツテをたどって彼女と直接電話で話をして、OKを取ったんですよ。その時、彼女にね、「出版してもいいけれども、逐一ちゃんと訳すんだよ」って言われました。「こんなの全部訳してたら日本人はわかんない!」と思ったけど、グッと我慢して「頑張ります」って(笑)。それで帰ってきたんですよ。

■欧米でも中東でも、イラクでもまだ読まれぬうちに…

――それで、世界初出版っていうことになったわけですけど、他の国でどうしてまだ出せていないんでしょう?

平田:
ヨルダンで出すことになっていたのに、昨年の6月26日にヨルダン政府がこれを発行禁止にしてしまったんです。なぜかというと、1つは、元大統領がこういうものを書くと、イラクでまた内紛が起こるという理由。2つ目の理由は、イラクとヨルダンの関係に支障をきたすと、こういう判断があったんです。ヨルダンでフランス語版も英語版も出すって言うことだったんだけど、結局、全部凍結しているわけです。

――あまりにも隣り合った国だから…

平田:
影響力がすごいんですよね。今でもヨルダンで結構(サダム・フセインの)ファンが多いんですよ。

それは私も、先日アンマンのタクシー乗り場で客待ちをしている、イラク人ドライバーたちと話した時にも感じた。《根強い》人気と言うより、反米感情が募るにつれて、その反動で、《新たな》フセイン人気が生まれつつあるような印象を受けた。そういう空気を煽る危険を感じて、ヨルダン政府は発行禁止措置を取ったのかもしれない。

――そんな問題作、日本での出版タイトルは「悪魔のダンス」…

平田:
このタイトルも苦労したんですよ。原題は違うんですよ、「裏切り者よ、出て行け」とか、「くたばれ、裏切り者」。でもこれって、日本人には取っつき難いじゃないですか。引いちゃうでしょ。それで結局「悪魔のダンス」になったんです。

サダム・フセイン元イラク大統領が書いたこの小説、徳間書店から出版される。店頭に並ぶのは、来週(5月19日頃)だ。別に、この本を紹介することで、サダム・フセイン大統領時代の圧制を肯定しようという気は無い。ただ、これだけ現代世界史を揺さぶった人物の考え方が垣間見られそうな本なので、とにかく私も一読してみようと思う。

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