北の元スパイに密着…映画『送還日記』先週封切

放送日:2006/03/11

韓国のメジャー映画雑誌『CINE21』で“過去10年の映画ベスト1”に選ばれた大注目の韓国映画『送還日記』が、先週土曜日(3月4日)から東京で上映されている。
この映画について、日本であまり報じられない理由はシンプルで、韓流スターが誰も登場しないから。主人公は、韓国国内で逮捕された北朝鮮のスパイ達。ただし『007』シリーズのようなアクション映画ではなく、全て実話のドキュメンタリーだ。とはいっても、政治色の濃い重い内容の映画というわけでもなく、人間味あふれる作品に仕上がっている。逮捕されてから30年以上も韓国の刑務所で過ごし、年老いて釈放された後も、韓国社会で生活しながら“北”への思いを抱き続けたお爺さん達の素顔に、金東元(キム・ドンウォン)監督が個人的に12年間も密着して撮影した力作だ。

■監督自身が辿り着いた“脱デジタル”思考

「釈放後も“北”への思いを抱き続けた」というのは、単なる望郷の念ではなく、北朝鮮式の政治思想を今も変えることなく持っている、ということを意味する。自らの政治思想を変えることを“転向”と言うが、“非転向”であるがゆえに長期間囚人であり続けた人達のことを、「非転向長期囚」と韓国社会では言う。
監督自身も、最初そんな彼らに拒否感を抱いていた事を、自分が喋るナレーションで認めている。ところが、計800時間以上もカメラを回すうちに、徐々にそういう拒否感が揺らいでいく。彼らは筋金入りの元スパイのはずなのに、実に純朴な好々爺が多い。それを観ながら、観客も一緒になって揺らいでいく。―――そんな映画なのだ。
先日東京に来た金監督が、試写会の後のトークイベントで、その辺りの自分自身の心の変化について語った。

金: 私はドキュメンタリーを撮りながら、出会う人(取材対象者)に影響受けすぎるんです、気が弱いもんですから。
長期囚のお爺さん達と会ったときも、彼らが北朝鮮に対する、非常に肯定的な話を色々するんです。そういうの聞いていて、「ああ、そうだったんだ。もしかしたら北朝鮮の方が正しいのかも知れない。自分の方が間違っているのかも知れない」なんて思ったこともありました。そうかと思えばまた逆に、お爺さんたちが北朝鮮の話でとても自分が理解できないような思想的な話とかドンドンしてきたり、非常に賞賛したりなんかするときには、「何かおかしいなぁ。やっぱり大きな問題を抱えた体制から産まれたからこういうこと言うんだな」と思ったりもしてました。
そうこうする間に自分の中で、「南か北か」とか「どちらが正しくてどちらが間違っているか」といった、或いは「どちらがより優れているか」といったような、ある意味で《白黒論理》と言いますか、そういった二元論みたいなものに非常に自分が冒されているんだな、と気が付くようになりました。おそらくそういう感じ方は私だけではなく、韓国に住んでいる人は殆どそう考えていると思うんです。つまり、朝鮮半島の分断がもたらした《分断思考》だというふうに私は考えております。
そういう風に考えますと、事実そのもの、現象そのものがポイントなわけではなくて、それをどう見るかという、私自身の見方、思考の方法というものに問題があるんだと気付くようになりました。
そういう中で、あるときは非常に肯定してみたり、非常に嫌ってみたり、そういったことをずっと繰り返して、その非常にアップダウンの激しい過程の中で、あるときに《一定の距離感》を持つことができるようになりました。「非転向長期囚」の人達や、北の体制に対して、ありのままに受け入れようという淡々とした気持ち、そういう視点を、まだ十分ではないんですけど、持つようになれたのかな、と思っております。
私が未だに少し理解できない部分が残っていたとしても、あるいは自分としてはちょっと気に入らない考えだと思っていても、少なくとも「彼らの存在を認めて友達になれる」、最低レベルでも「共存する相手ではある」ということを、認識できるようになりました。

オール・オア・ナッシング、1か0かではなく、あるがままを受け容れられるように少しずつなっていったということだ。

■“体温を持ったカメラ”が映し出したもの

さらにこの映画には、何人か、獄中の拷問に耐え切れずに転向を宣言した老人も出てくる。彼らの言動の端々に見え隠れする、負い目や悔いのような表情は、非転向組の一途さとはまた違った、人間描写の深みを、この作品に与えている。思想教育の洗脳が解けて、「あ〜自分は間違っていた」という単純な話ではないのだ。
例えば、今は梨作りの農家を営んでいるある老人は、梨の木のそばにある小屋の外に腰掛けて、ついに転向させられた獄中での拷問を振り返って、素朴に微笑みながら、こんなことを言う。

(『送還日記』より)
この地球上の全ての母親に本当に頼みたいのは、子供を産むならナイチンゲールみたいな子だけを産んでほしいってことだ。それと、靴を作る人は、先っぽをフニャフニャに作ってほしい。

つまり、爪先の硬い靴で、さんざん蹴られたのだろう。難しいイデオロギーの匂いゼロのコメントだが、どんな個人史を辿って来たのかが想像できる。
この映画のパンフレットの中で、歴史学者の韓洪九教授が、こんな表現をしている。―――「12年の間、抱きかかえてきた歳月のおかげで、カメラというやつも体温を持つようになったようだった。」

この映画に対して韓国国内の右翼勢力からの反発が意外に少なかった、と金監督は試写会の時に言っていたが、それも、彼が《北》を肯定しているのではなく《人間》を肯定しているのだ、ということが、誰の目にも明らかに伝わったからだろう。

■世間の受容と、当局の圧力と

さらにもう1点、反発が少なかった理由として、「作品自体の力だけでなく、時代の風も変わってきている」と監督は語る。

金: 2000年の南北首脳会談の時に、北の金正日さんを目にするわけなんですけど、その時に、北の人達に(今まで)抱いていたイメージとはずいぶん違って、「あ、彼も人間なんだな」と、多くの韓国の人達は感じたんです。
世論調査なんかを行いましても、韓国にとっての最大の敵国は、それまでは北朝鮮と答える人が多かったんですけど、今は、「最大の友好国は北朝鮮だ」と答える人が多くなっております。また、公式的な政府間のチャンネルだけではなくて、民間団体・NGOなんかも一生懸命、活発に韓国から北朝鮮に向かって交流や支援というものを行っております。一度北朝鮮に行ったことがある人であれば、皆「北朝鮮をどうにか助けてあげなければいけない」と思う傾向があります。
北朝鮮に対して敵対的な姿勢を持っている人であっても、やっぱりこれ以上朝鮮半島での戦争はあってはいけない、というふうに思ってますし、厳しい見方をしている人でも、あまりムダな刺激をしないようにと考えているようです。

たしかに、2000年の南北首脳会談の時の、平壌空港での金大中大統領と金正日総書記の握手シーンは、我々日本人でさえ未だに強く印象に残っているのだから、韓国人の人達にとっては、なおさら遥かに鮮明だろう。
勿論、韓国社会で全ての人が、この映画『送還日記』を肯定しているわけではない。象徴的な現象としては、韓国内には、「こういう人達はいずれ必ず転向させる」という国家の意思を込めて、「《非》転向」ではなく「《未》転向」という言い方もある。今回の映画の紹介文の中でも、メディアによっては「未転向」にこだわっている例もあるという。こうした単語ひとつの選び方にも、朝鮮半島の緊張感が反映されている。
韓国社会では概ね受け容れられたとはいっても、韓国当局は、この映画を煙たがりはしなかったのだろうか。実は撮影中の1996年に、金監督の事務所に突然刑事たちが来て、監督を逮捕する事件が起きている。容疑は別件だったが、取り調べのターゲットは明らかに「“北の元スパイ”達と一体何を撮っているのか、という点に集中していた」と、映画の中で監督自身が語っている。凄いのは、監督が連行されて行くシーン、カメラや編集機など全てが押収される様子も、そのまま映画に描かれているところだ。連行の真っ最中にも、スタッフはちゃんと撮影していたのだ。
結局、これで前科がついた為に、2001年に平壌で南北統一イベントが開かれた時にも、金監督には渡航許可が下りなかった。この時には、空港まで行って後輩に北での撮影を頼むシーンが映画に出てくる。そういった障害を乗り越えながら、完成に漕ぎ着けたのがこのドキュメンタリーだ。

■日本の観客は、どう観るか?

東京での試写会後のトークイベントには、このコーナーにも何度か出演している森達也監督が、友人として登壇した。森監督が語る、この映画のヒットの理由は…

森: なぜヒットしたかっていうと、まあ、当たり前です。これも東元(=金監督)に聞いたんですけど、彼が子供の頃には、学校で、「北のスパイってのは頭に角が生えてる」って、そういう教育を受けてたそうです。それほど怖い人達なんだと。自分達とは違う人間なんだと。だから、冒頭のナレーションで、東元が「会うのが怖かった」というところがありますよね。そういった思いを皆韓国の人は持っていて、それが、「そうじゃないんだよ」ってことが、ここで示される。だから普通に考えりゃ、そりゃヒットしますよ。自分が思い込んでいたものと違うものがここにあるってことですから。普通に考えればね。

森監督が、「普通に考えれば」と繰り返し強調するのは、つまり、「日本では、普通どおりにはいかない。日本社会では、“自分が思い込んでいたものと違うもの”があると、それはヒットではなく拒否反応に繋がる」という懸念を指している。
森さんは、オウム真理教の信者達の様子を教団の内側から撮った『A』というドキュメンタリー映画を以前作った。私は非常に面白かったと思うのだが、日本社会からは全く受け容れられず、信じられないほど客が入らなかったという経験を持つ。そんな森さんの実感から出たのが、上記の発言というわけだ。たしかに、日本では拉致問題で北朝鮮への反発が強いので、この映画も物議を醸すかもしれない。
先週の日本での封切りに当たって、そんな日本社会に向けてのメッセージを、金監督はこう発している。

金: 本当に言いたいことは沢山あるんですけど、南北関係が良好になるということは、朝鮮半島の問題だけではない、というふうに思うんです。それは日韓関係の友好にも大きな影響をもたらすものだと信じております。
また、ちょっと大きな話をしますと、それは本当に全世界の平和な時代の幕開けの鐘を打つような、そういうことにも繋がると思います。今は、紛争がまた紛争を呼ぶということに繋がっているんですけども、一つの紛争をはっきり終わらせるということで、平和に対する希望というものを人々にもたらすことができる。それが南北の平和だというように考えております。
日本の皆様におかれましては、南北コリアンに対して非常に暖かい視線を送っていただければというふうに思いますし、私の映画は小さな映画ですけど、もう一度ボタンを掛け直すような小さなきっかけになれれば、というふうに願っております。

■未完結の“日記”

タイトルの『送還日記』が示すように、最終的に、主人公の老人たちは、北朝鮮に送還される。撮影を始めた頃には金監督自身想定もしていなかった2000年の南北首脳会談で、「非転向長期囚を北に還す」ということが発表され、その3ヶ月後、実際に63人が送還された。そのギリギリの局面で、北に還るか韓国に残るかを一人一人が決断する様子、還ると決めた人達の、韓国でできた友人達との別れ―――と、映画は最後に急ピッチで展開する。
そのドラマチックなお別れシーンで、エンディングかと思いきや、やがて北から、向こうに還った彼らの様子を伝える文字通り“劇的”なビデオテープが届く。…その続きは、ぜひ映画館で観ていただきたい。
このドキュメンタリー映画『送還日記』は、海外での評価も高く、ロバート・レッドフォードが主宰するサンダンス映画祭では「表現の自由賞」を受賞している。日本でもヒットした韓国映画『シュリ』のカン・ジェギュ監督は、「金東元監督を、誇らしく感じます」とコメントしているし、また、イ・ビョンホン主演の『JSA』のパク・チャヌク監督は、「こんなに泣きながら見た映画は初めて。同じ祖国統一という願いを込めて作った『JSA』を考えたら、恥ずかしく思います」とまで言っている。さらに、俳優アン・ソンギさんは、「一度あの映画を観なさい、と、観た人は全員言うと思います」と述べている。(いずれもパンフレットより)
私も、この場を借りて言う。朝鮮半島情勢への理解を“頭”のレベルから“心”のレベルに近づける為にも、あなたがいかなるスタンスであれ、とにかく「一度、この映画を観て下さい。」

『送還日記』は、東京・渋谷での上映後、日本各地で上映される予定だ。

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