発生から半年…インド洋津波被災地の日本人ボランティア

放送日:2005/6/18

インド洋大津波は、来週日曜日で発生から半年を迎える。2月初めにこのコーナーでは、「被災地に臨時のラジオを作り、被災者へラジオを贈ろう」という日本人ボランティア達のユニークな取り組みを紹介した。この活動が、その後どこまで発展したか、前回も報告していただいたチャーリー加賀美さんに、国際電話で再びお話を伺う。

―今回はどちらにいらっしゃるんですか?

加賀美: 現在は、インドネシアのスマトラ島におります。
私達が想像していた以上に、復興は"進んでいない"というのが現状ですね。被災地では、仮設テントがあちこちに建って、以前は住宅地域だった所は、まるで昔から野原だったかのように本当にきれいに片付けられて、瓦礫ひとつ転がっておりません。今は広々とした空き地のようになっています。ほとんどの被災者の方は、インドネシア政府、あるいはアチェ州が提供している、避難民キャンプといいますか、仮設住宅地にテントを張って生活を始めています。ただ、昔住んでいた家の土台だけが残っている場合もありまして、「自分が住んでいた場所から離れたくない」ということで、そこに、国連やインドネシア政府から配給されたテントを張ったり、流されてきたブリキ板なんかを拾ったりして、ひとりで小さな小屋を建てて住んでいる方もいらっしゃいます。

―再建のための建築資材を運んだりする交通機関、道路の状況はどうですか? もう大型車も行き交っていますか?

加賀美: まず、アチェの空港はもう再開されているので問題ないんですが、スマトラ島の西側、インド洋に面した250キロ位は、まだまだ物資を運ぶのに、いわば物流の幹線である道路があちこちで寸断されてます。インドネシアの国軍が応急処置で穴を埋めたりしてるんですが、スコールのような時々降る夕立だとかで、また穴が大きくなってしまいまして、車がスムーズに通れない状況です。通常ですと、ムラダという隣町とアチェの間は、幹線を通れば4〜5時間の距離なんですが、今は9〜10時間位かかるということです。さらには、橋が流されてまして、臨時の橋は架けてあるんですが、一方通行しかできません。
それから、港の近くでは、係留していた船体が幹線道路上にまで津波で押し上げられていて、未だに大型船が2隻、道路の上にドーンと止まったままなんですよ。それを迂回するために脇道を通らなきゃいけない状態です。海の方でも、ジャカルタの船が沈没してひっくり返ったままになってまして、こちらもまだまったく手つかずのままです。

―本当に、"これから"が復興という感じなんですね。難民キャンプの皆さんの状態はいかがですか?

加賀美: テントで暮らしている皆さんは、6ヶ月経っても、まだまだ地震からくる恐怖、精神的なショックで、夜もなかなか眠れないそうです。家族の半分以上が流されてしまったとか、働き手の夫が亡くなってしまったというケースが非常に多いですね。
それぞれの大きなキャンプには、診療所がありまして、そこにドクターや看護婦が詰めているんですが、薬をもらいながらの生活を送っている方、津波によって家族を失った悲しみ、ショックから立ち直ることができないという方が、非常に多くいらっしゃいます。
皆さん一様に、「早く仕事に戻りたい」と言っていて、それは、家を建て直すのにはお金が必要だし、それから、家族を亡くした悲しみを少しでもやわらげるためなんですよね。まだまだ"治療"が必要だと強く感じてます。

―地震・津波発生の直後には多くみられた、外国からの支援活動はどうなっていますか?

加賀美: 食料は無料で配給されてますが、そのうちでも、米は日本のものが多いですね。ですから、日の丸のついた袋からお米をもらって食べてる方が多いです。ただ、津波発生直後には190団体くらいものNGOが活動してたんですが、もうほとんどが引き上げてます。
まだヨーロッパからのNGOの中には、活動を継続してる団体もあるようで、空港で白人をみかけて聞いてみると、NGO関係者だと言ってました。日本からも2、3のNGOが来ているという話は聞いているんですが、現場で実際にすれ違ったりということはまだ無いです。

そんな中で活動しているチャーリーさん達の団体が、NPO法人『BHNテレコム支援協議会』である。4年前(2001年)の西インド大地震、昨年(2004年)のイラン大地震の時にも、このコーナーで紹介した。"BHN"(Basic Human Needs= 衣食住、教育、医療衛生といった生活基盤分野)を"テレコム"(通信)整備の面から支援しようという団体で、前回(2月)このコーナーに出ていただいた時は、簡単に発信できるミニFMラジオ局一式と、その電波を受信できるFMラジオを被災者に無料配布する、という話だった。現在はどんな状況なのだろうか。

加賀美: 今は、スマトラ島の東側のロックスマウエという町に来てるんですが、バンダアチェからここに、約4万人の避難民が来てテント生活を送ってます。そういう人達を対象として、この町にミニFM局を設営している最中です。出力が50ワット、カバーエリアが20キロから30キロくらいです。来週月曜日(6月20日)が開局式で、正式な記念式典の後で、運営を任せるための贈呈式も併せて行います。
実は今回、TBSラジオが5千台のラジオを被災地に配布するということで、その配布も私達のNGOがお引き受けしまして、もう水曜日(6月15日)から、無料で配布を始めています。バッテリーを入れて、電源のないテントの中でもすぐ聞けるように、1日500台位をそれぞれの避難民テントに無料で配っています。これを全部配り終わるのは20日以降になる見込みで、その時にはもう放送も始まっている予定です。
私達のNGOが現地に滞在する6月24日までは、番組制作についても主導しながら、できるかぎり、番組作りや放送局運営のノウハウが伝えられるよう、お手伝いできればと考えてます。

この活動のいいところは、いちいち足を運ばなくても、一度行ってラジオ局を立ち上げてラジオも配ってくると、あとは被災者が自分達で考えながら情報発信していく、という自立回転が始まることだ。

―被災地を巡回していらっしゃるので、既にラジオ局の現地要員を育成し終わって、ラジオも配り終わった地域もありますよね。そういうところでは、その後実際にうまく機能してますか?

加賀美: 例えばスリランカでも、被災後、ラジオ局を作りました。半年経ったこの時期になってくると、《復興へ向けての歩み出し》ですね。復興へ向けての《勇気づけ》をする。復興というのは、基本的には自分達の力で立ち上がっていく。それを側面から支援するのがNGOの仕事だと考えています。
学校へ行けない子どもがいる家族が多いので、ニュースや音楽だけでなく、例えば童話を放送したり、子ども達の役に立つ情報を盛り込んでいくようなことも検討しています。ですから、教育的な番組を流していただくことによって、ラジオがもっとコミュニティで役に立つメディアだと認めてもらえれば、と考えています。

災害の直後は、救援情報や尋ね人、デマによるパニック回避等に、ラジオが本当に役立つとよく言われるが、災害から半年経ったこの時期に役立つのは、"励まし"や"楽しみ"だというわけだ。

―今後も引き続き活動を展開していく予定ですか?

加賀美: 来月(7月)まで、まだまだ義援金を受け付けております。ここインドネシアにつきましても、まだまだラジオの台数が足りないので、お金が集まれば買い足しをして、現地にラジオを配っていこうという計画を立ててます。

「募金が集まっただけ、ラジオに換えて届けよう!」というわけだ。 募金については、BHNテレコム支援協議会のサイトを参照されたい。

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