日中韓3国共同編集の歴史教材、発刊

放送日:2005/6/11

昨日(6月10日)、日本と韓国の歴史研究者が参加した『歴史共同研究委員会』の報告書が発表されたが、植民地支配や戦後賠償問題で日韓両国の意見が食い違ったまま、両論併記という形に終わった。
実は、この両国政府主導のプロジェクトと並行して、民間主導の共通の歴史教材づくりが、この日本と韓国に中国を加えた3国で進められていた。その教材が遂に完成し、韓国(先々週)、日本(先週)、中国(今週)で相次いで発売された。日中韓3国の歴史学者などが共同で執筆した教科書スタイルの本、『未来を開く歴史 東アジア3国の近現代史』(高文研)である。

4月の中国でのいわゆる“反日”デモについて、日本に滞在している中国人達がインターネット放送局『東京視点』でビデオ・メッセージを発信している、という話を、先々週のこのコーナーで紹介した。そこでも、普通の日本市民と普通の中国市民の間の歴史認識の根本的な違いが問題として垣間見えたが、その“根っこ”の部分の問題に取り組もう、というのがこの本だ。この教材は、文部科学省の検定教科書ではなく、一般書籍として販売されるが、例えば日本の子ども達がこの教材で学ぶと、今までの歴史教科書で学ぶのとどう変わってくるのか。
日本側の編集委員の1人、都留文科大学の笠原十九司(トクシ)教授にお話を伺う。

笠原:
日本の子ども達は、まず「中国の人達が日本の侵略戦争でどういう目にあったか、どういう対応をしたか」ということが分かる。それから「植民地支配された韓国の人達がどういう思いで、どういう時代を過ごしたか」ということも分かる。
それから、中国と韓国の子ども達には、「“侵略者”日本」ではなくて、日本側でも民衆が戦争に動員されてそれが大変な犠牲を出したわけで、戦争そのものは侵略戦争だったけれども、「民衆の側に立てば被害者として戦争の犠牲を強いられた」ということを、まずは分かってもらうということですね。

“言うは易し”だが、立場の違う3国が、一本化した文章表現をすり合わせるのは、相当に難しい作業だったに違いない。この作業、初会合から実に3年近くをかけたもので、かなりの苦労があったという。具体的には、例えば「原爆がどういう被害を与えたか」については淡々とした記述になっている。こうした表現に落ち着いた内幕を笠原さんはこう打ち明ける。

笠原:
日本の書き方は、アメリカの原爆投下を批判する形で書いた。それについて、中国と韓国からは、やっぱり「原爆投下によって侵略戦争が終わった」って言う。それから韓国の場合は「植民地支配が終わった」って言う。その辺は厳しかったですね。だからやっぱり、「日本が侵略戦争をして、その報復として原爆が落とされた」って言う。

―そういう、なかなか噛み合わない部分で、共同の歴史教材を作ることが頓挫しかかったりはしませんでしたか?

笠原:
頓挫ってことは無いですね。かなり激論で感情的な討論もやりましたけど、逆に今は、本音で言い合うのが大事だって思ってます。「広島の原爆によって戦争が終わった」というふうに書かれた場合は、日本の私達が受け入れられませんから、やっぱり、「原爆が落とされてこれだけの被害があった、その放射能の後遺症も深刻だった」という記述をするようにしました。

つまり、原爆投下の“意味”については触れず、被害だけに留めたということだ。教材を作るとなると議論を避けるわけにはいかないので、本音でぶつかり合うことになるわけだ。しかし考えようによっては、たとえ教科書でも、「日」と「中韓」の両論併記という形をとってみるのも、複眼思考を形成するいい教育方法になるかもしれない。
実際、複眼思考が養われるような記述が実現している箇所もある。例えば、東京大空襲のことを書いた部分には、「日本軍もまた、中国への無差別爆撃を行って大きな被害を与えました」という一文も併記されている。いかにも“合作”らしい成果だと思うのだが、それでも、この部分についても中国側からは異論が出たという。「『重慶爆撃』と『東京大空襲』の併記は成り立たない」というのが、中国側の主張だった。

笠原:
「重慶爆撃は日本が一方的に侵略してきたもので、東京空襲はその侵略戦争をやった結果、アメリカが参加して報復としてやった」って言う。だから「違うんだ」と。でも、それでもやっぱり私達は、東京空襲で一夜にしてあれだけの被害が出た、特に子ども達、それから女性達が犠牲になったという、まずその実態はやっぱり正確に書いて、それは中国と韓国の学生に知ってもらいたい。

こうした“産みの苦しみ”を聞くと、よくぞ出版にまで漕ぎ着けたものだと感心する。ひとつひとつについてぶつかり合ってはいても、「3国共通の歴史認識を作るんだ!」という意気込みでは、日中韓の制作スタッフ達が強く結びついていたということなのだろう。 日本以外の中韓の執筆陣も大学の研究者が中心だが、政治家同士ではない学者同士の間でもこうした立場の違いが出ることに、笠原さんはこんな感想を漏らしている。

笠原:
やっぱり、中国の人達の《感情の記憶》っていうのかな、それはやっぱり強いと感じましたね。中国は民族的に侵略戦争を受けた。韓国の場合は植民地支配を受けた。それをまずやった側の日本が事実をしっかりと直視して、それが済んでから、“人類として”戦争をどういうふうに避けるかってことになる。そこはギャップを感じましたね。そういう意味では、今回の我々の教材を第一歩にして、より高い次元で共通の理解に到達できればと思ってますけどね。

《感情の記憶》…。そのあたりが、古今東西を問わず、常に被害者と加害者の間に横たわるギャップなのだろう。このギャップ、子どもの頃から同じ歴史教科書で学べば埋められるものなのだろうか。作業がスタートした3年前には、もちろん、この春の”反日”運動は予想していなかっただろうが、結果的には非常にタイムリーな出版となった。

―今回の一連の“反日”運動についての日本側の議論の中では、しきりに“教育の問題”も取り沙汰されましたが、この教材はひとつの答えになりますか?

笠原:
そうですね。対案として、これから3国の子ども達が理解し合うためには、やっぱり3国の歴史をある意味《均等に見る》ことが必要で、今みたいに自国中心で相手の国については否定的な側面ばかり書いてあるような教科書だと、対話もできないと思うんです。こういうふうに3つ並べて、「対立もあるけど共通点もある」という歴史を知れば、対話も出来るしお互いの理解も深まるんじゃないかと思いますけどね。

―中国の子ども達もこの本で学べば、今回のような一部の激しい”反日”暴力行為には至らなかったと思われますか?

笠原:
そう思いますね。アジアの国として、封建社会から開国して、ヨーロッパ文化の影響を受け入れながら近代化していく。その辺はお互いに共鳴って言いますかね、同じような歴史もあるんだってことを感じてもらえると思いますね。

重要なのは、これだけ苦労して作られた教材が3国の市民の手に行き渡るのかという点だ。この点について、笠原さんはこんな見通しを語る。

笠原:
韓国と中国で多分違うと思うんですが、韓国では出回ると思いますね。それは、韓国の市民運動と政府がかなり同じような対応をしているように思えるからで、最近のノムヒョン大統領の言っていることを考えると、まさにこういう歴史教材の必要性と結びつくと思う。
中国の場合はかなり難しくて、ある面予測できない。今までの中国の教科書とはかなり違うんですよね。中国の場合は、日本の「侵略」戦争というものを書いて、それに対抗する中国の「抗日」運動を書いている。ところが、今回のこの歴史教材の場合、それだけじゃなくて日本の「被害」の問題も書いてあるし、それぞれの国の「発展」も書いているので、まあ、よくこういう本が共同で出せたな、ということだと思いますね。反応はかなり中国の情勢とか雰囲気で変わってくるので、ちょっと私自身は予測できないところがありますね。

日本が書き方を変えて中韓に歩み寄っているだけではなく、中韓もまた、自国中心の書き方から日本の立場というものを採り入れて歩み寄っている。いわば、日・中・韓という3つの点があって、従来はそれぞれの点のところで歴史教科書を作ってきたわけだが、今回の教材は、その3つの点の何処でもない真ん中の点に歩み寄って作られたと言える。だから、3国どこにとっても、これまでのものとは違う歴史記述になっている、ということだ。

この試みが1回だけで終わることなく今後も発展していくよう、日本でも、ぜひ多くの方に買って読んでいただきたい。

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