「9・11」から3年、高遠菜穂子が語るイラクの今

放送日:2004/9/11

米同時テロから今日(9月11日)で3年。「あの日」を過去形で振り返るのではなく、そこから始まった“悲劇の連鎖”の最先端の「今」に、現在形で着目したい。そういう話なら最も相応しいゲスト、高遠菜穂子さんに伺う。

アメリカの同時テロから始まった連鎖は、アフガニスタン攻撃、イラク攻撃へとつながり、そこから高遠さんの活動の二−ズも自衛隊派遣も生じ、さらに、その撤退を要求する高遠さん達の拘束事件…と展開していった。

―3年前の9月11日は何処にいましたか?
高遠:
カンボジアのプノンペンです。ボランティア活動で、エイズホスピスに通っていたところでした。

―同時テロ発生のニュースを知ったとき、何を思いました?

高遠:
寝る前にテレビをつけた時、ワールドトレードセンターの映像を見ましたが、はじめそれが現実のニュースだと思わなかったんです。でも、分かった瞬間、すごく嫌な予感というか、嫌な気分というか、「まずい、これは単発では終わらないな、これから何かが…」という感じがありました。

―その時点で、イラクの人々の中に、「これをきっかけに我々が米国から攻撃される」という予感はあったんでしょうかね。イラク人との付き合いが出来てから、そのような話をした事はありますか?

高遠:
つい最近、そういう話をしました。アフガニスタンが攻撃されていて、そのうち、ブッシュ大統領が「悪の枢軸」と言い出した時、その中にイラクが含まれているのを聞いて、「え、うち?」(きょとんとした感じで)って思ったそうです。
やがて米英軍の攻撃を受けることになる当の国民達が、当時は全く無関係だと思っていたとは、含蓄のあるエピソードだ。で、結局、イラクからは未だに大量破壊兵器も見つからず、この混乱だけが残っている。

―高遠さんは、イラクにいた時に、実際、米軍を目の当たりにしていたんですよね?

高遠:
はい。例えば、本来は、「1人の兵士が銃を構えていても、ボディチェックをする人は、銃を外したり、銃口を向けないようにする」といった訓練を受けてきているはずなんです。でもちゃんと実践されていません。イラク人に向かって、銃口で指図をしたりしますし、普通アラビア語も使いません。でも、地元の人はアラビア語以外分からないわけですよ。言葉が通じない勘違いで起きてしまった悲劇がものすごくたくさんあります。

米軍の仕草で「止まれ」のサインって、知っていますか?私も知らなかったのですが、イラク人も知らなかったんです。ところが米軍の兵隊は、この動作を“インターナショナル・サイン”(世界で通用するサイン)だと思い込んでいるようなんです。これが分からないばっかりに、止まらないで撃たれて死んだという話があります。
どうもアメリカ人は、自分たちが世界の基準だと思い込みがちである。(野球の米国一決定戦を「ワールドシリーズ」と平気で呼ぶように。)それは決して《傲慢》ゆえではなく、むしろ屈託のない《お人よし》だからなのだが、持っている力が巨大なだけに、その勘違いは、しばしばこうした迷惑を他国にもたらす。
高遠:
また、イラク人家族が車に乗っていた際、米兵に「車から降りろ」と言われたのですが、英語が分からず、降りずにいたら、兵士が車のドアを開けて女の子を降ろそうとしたらしいんです。そうしたら、イラク人のお父さんが「娘がレイプされる」と思ったらしく、米兵を撃ってしまい、今度は、一緒にいた別の兵士が、お父さんを撃って…と。
そこには、それぞれに死んだ理由はあるけれど、死ぬべき理由は何にも無いわけですよ。
でも、見えない敵と戦う米兵も、気の毒で仕方ないです。
しょうもない理由で起こる衝突・摩擦が、ものすごく多いと思う。どうして米軍は、「英語は通じない」とか当たり前で基本的な《接し方の違い》等を、派兵する前にもっと1人1人に徹底できないのか。それがために、総論(大義名分)と各論(現場対応)がかけ離れ、反米感情をわざわざ自ら煽っているとしか思えない。

以前、高遠さんの講演を聞いた時感じたが、集会に来ている他の人達が「反米軍」論調を強く打ち出しても高遠さんは同調しない。反発みたいなものでワーッと盛り上がっていくんじゃなくて、もっと黙々と行動しようよ、というのが高遠さんのスタンスだ。現に彼女は、つい最近も、イラクのすぐ隣国のヨルダン・アンマンまで行って支援活動の打ち合わせをし、8月末に戻ってきたばかりである。

―もうそんなに元気になったのですか?

高遠:
“元気になった”と言うよりは、“元気になりたいから”行ったという感じですね。これまで進めていた、子供から薬物を切り離す活動とか、やり始めたばかりの就職斡旋などの活動を、もっと幅を広げて、内容を濃くしていきたかったんです。協力者も、今年の2月位から増えていましたし、子供たちも前向きです。

例えば、スレイマンさんという現地スタッフのリーダーから昨日来たメールによると、薬物を常用していたアッバスという少年に久しぶりに会ったそうで、「僕は、シンナーを止めるんだ、止めたんだ」って話していたそうです。何があったのかな、と思ったら、私が(武装グループに)捕まっているときに、止めようと決心し、今は、私がイラクに戻ってくるように願って、願掛けみたいな感じでがんばって止め続けていると。

―そうした活動拡大の一環で、『イラク・ホープ・ネット』 を作ろうとしているそうですが、これは何ですか?

高遠:
情報を共有しようと言うのが第一の目的です。主なメンバーは、私、今井君、郡山君の“元人質”3人…(肩書きに苦笑)。それから、NGOメンバーと大学生、大学教授、主婦、弁護士とか、いろんな人達がいます。組織体は、「効果的に支援が出来るように、情報を共有」し、個人は、「身近になったイラクを通して、世界を見、国際社会の一員としての意識を高めよう」というのを目標にした、情報ネットワークです。(今現在、HPはまだ工事中ですが)情報を共有させてくれという人は、すでに5百数十人います。

―日本にある『イラク・ホープ・ネット』と現地のスレイマンさん達とが連携しながら活動していくということですね。

高遠:
そうですね。それから、日本のNGOがやっている医療支援を手伝えるときは手伝っていきたいと思っています。

―こういう活動をするための財源は?

高遠:
子供のプロジェクトの方は、以前から「イラクで子供のために使ってください」と寄付が集まっていたんです。全部で300万円位になっています。今回初めて少し使わせていただきました。

―その金額は、イラクでは、けっこう使えますよね。

高遠:
そうです、そうです。今、5310ドルで最初の準備段階をしてもらっています。スレイマンさんにミーティングで何回もアンマンに来てもらっていますし、私自身が現地へ行けないから、こうしてくれとか、ああしてくれとか。

スレイマンさんは、非常に几帳面な人で、何かあったらすぐにメールで報告してきます。この前来たメールには、クルド人のNGOとも協力して、クルド人の施設にいる子供達に就職面接をした結果、「少年たち(ストリートチルドレン)の希望職種が分かった」との報告がありました。

―職を持つことは、平和に直結することだと思いますか?

高遠:
そりゃそうです! イラクでは、雇用がない事が、事態を悪化させていると思います。友人や家族を殺された憎しみがあって、しかも、戦闘をすればお金も貰えるじゃないですか。お金をつかまされてしまったら、ここ撃とうかって話になるわけですよ、だから少年兵が多いのです。それは、シーア派のマハディ軍でも同じだったし、ファルージャはずっとそういう感じでした。

憎しみも燃え盛っているから、「落ち着け」って説得をして、「戦闘に行くな」っていうのは難しいんです。けれど、あの事件の後、空爆をされた学校を直してみたら、老いも若きも給料が無くても楽しそうに働いていました。前向きな事にエネルギーを使ったら、戻ってきた若者もいたわけですよ。実際に現場に入って仕事をしてみたら、「俺、もっとこういうことしたい、あっちの学校も直したい、俺の家も直したい」という会話も出てきているんです。一気にとはいかないですけど、そういう《希望の芽》というのが、あちこちでたくさん出てきているので、それを大切にしたいです。

―そういう就職斡旋と並行して、薬を病院に届けたりする活動も前からされていましたよね

高遠:
はい。私がバクダットにいるころには、ファルージャやラマディでの戦闘が激しくて、NGOの人達も物資を届けに行けなかったので、イラク人と私の2人で迂回路を通って、NGOから預かってきた物資を現地に運んでいました。今は、私の代わりにスレイマンさんが担当してくれています。頼んでもいないのに、彼は、「gift from Japanese people」(日本人からの贈り物)と医薬品に書いて届けてくれているそうです。

戦闘地域では、やっぱり薬などが絶対必要なんですよ。アルコール消毒ができれば、手や足を切らなくて良かったのにとか、包帯があればとか…そういうのイヤじゃないですか、悔しいじゃないですか。ナジャフなんかは、4ヶ月も病院が閉まったままなんです。ですから、今は、「ハウス・トリートメント」といって、民間の家で、ドクターが診療しています。

スレイマンさんが高遠さんに当てたメールの要約―
「サドルシティーの人々は、日本人からの贈り物を受け取って大変喜んでいました。このようなハードな状況にも関わらず、最も必要な薬品を届けてくれる日本人に感謝しますと言っていました。」

―この「感謝」は、高遠さん宛てに留まらず、寄付金を寄せた日本人全てに向けてですね。

高遠:
このときのお金というのは、同行していたNGOの人が持ってきてくれていた義捐金でした。このように、別々の団体が連携して効果的に動く―――それが『イラク・ポープ・ネット』の精神、発想です。情報を共有して、手伝えるところは手伝おうというわけです。

現地は今でも、空爆がすごいんです。電話をしていても、電話の向こうから空爆の音や銃撃戦の音が聞こえてきて、逃げなきゃいけない状況だったりします。先週は、ファルージャで百何十人が死んだって出ましたけど、そこまで人数が上がらないと、いちいちニュースに出てこないぐらい、常態化しちゃっているんですよね。
高遠さんには、次回も出演いただき、「イラクのこれから」を語っていただく。
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