タイのスラム住民が、日本に視察ツアー

放送日:2004/6/5

一昨日(6月3日)から、タイのホームレスの人達やその支援関係者7人が、日本のホームレスの人達と交流するため、来日している。実は去年(03年)秋にも、同じくタイから、スラム住民ら16人が来日して、日本の部落解放同盟の人たちなどと交流した。
今回は、この知る人ぞ知るプロジェクトについて、タイからの訪問に2度とも通訳として同行の、上智大学院生・中村真珠(マミ)さんにお話を伺う。


中村:
今回、タイのホームレスの人達は、京都を訪問します。今日と明日(6月5、6日)、京都で「全国寄せ場交流会」というのがあって、日本中から、ホームレス(支援者は「野宿者」と呼びます)の方々と、その支援者の方々、約200名が集まって、情報交換などをするんです。そこへタイのホームレスの人達も来て、タイでは仕事づくりや家づくり、組織づくりなどをどうやってやっているか、お話しする、という交流です。
去年(2003年)秋に来日したスラム住人の人達は、日本の町づくり事情を知るために、主に関西の同和地区を回りました。その時の訪問で、日本の野宿者支援グループの人とも知り合って、今回へとつながりました。

“町づくり事情”と言っても、普通の住宅を見て回るのではなく、《かつて貧困の為に劣悪な住環境にあったが、その後地域の努力で住み心地良い町作りに成功した地区》に、その経験を学びに来た。視察して回った先にたまたま同和地区が多く、そういう所では、部落解放同盟の人達がニコニコ歓迎して案内してくれた、というわけだ。

−そもそも、なぜスラムの人達が、飛行機に乗って日本まで視察に来ようという事になったんですか?

中村:
タイには、貧困コミュニティの支援に取組む、CODI(コミュニティ組織開発機構)という政府機関があるんです。公共機関だけれどNGOマインドを持っていて、住民達の“自分達の力で、自分達の住むスラムの環境を良くしていこう”っていう自立的な動きを応援しています。住民達のそういった動きは、交流をする事によって活発になりますので、住民交流を、タイ国内だけではなくて、海外でも行っているんですね。

貧困コミュニティの人達が“何かしてもらう”のを《受け身》で待つのではなく、《自ら》スタッフの一員となって解決に取組む、というのが基本スタイル。具体的にどうやって状況を良くしていくか、その解決策を探りに、住民自身が海外まで時々視察に出向くのだが、その行き先として、去年の秋には日本が選ばれたわけだ。

−実際には、日本でどういう町を見に行って、どんな情報交換をしたの?

中村:
4つの県を回りました。福岡県筑紫野市では、地区改善事業を。町づくりの分野で結構有名な神戸の真野地区というところでは、工場と古い家が密集した地域を。大阪では同和地区のコミュニティビジネス。そして京都では、今回の交流につながった野宿者支援活動の現場を実際に見てきました。

そのうちの一つ、筑紫野で受け入れ側スタッフを務めた藤本進さんに、どんな訪問だったかを伺おう。藤本さんは、市役所の都市計画課の職員であると同時に、現地の美咲地区の住民リーダーの一人でもある。

−情報交換や交流は、うまくいったんですか?

藤本:
そうですね。大変有意義なものがありました。
私たちも、貧困がもたらす差別や偏見を経験してきました。貧困は教育を受ける機会を非常に狭くします。そうすると、生活の基盤である仕事の選択がまた狭くなり、結果として貧困が堂々巡りをする訳です。
しかし、貧困の中から生まれた宝物もあるんですね。村の共同体意識とかコミュニティ文化、それが人々の生活を支えてきた。タイの人達との交流会では、ワークショップや歓迎会を通して、「みんな厳しいけどがんばっているんだなあ」という事が、言葉ではなかなか伝わりませんが、身体で感じ取れた。それが非常に大きかったです。

私もその交流の様子をビデオで拝見したのだが、案内役の一人だった部落解放同盟の地元支部の方が、タイの人達に「町作りは人作りです」と説明していた一言が、とても印象的だ。

−あの言葉は皆の認識なんでしょうか?

藤本:
そうですね。私のところの村は150世帯、大体450人くらいが生活しているんですが、《一人一人が村の一員》という事が基本になっています。例えば、先週、村の中で亡くなった方がいらしたんですが、全ての世帯からお米一合ずつを出し合って、葬儀での食事に使ったり、村の“憩いの家”という場所を会場に使って、みんなで葬儀のお手伝いをしたり。そういう、昔ながらのコミュニティが残っているんですね。貧困の中でも、村の人々が安心して生活するため、人と人との豊かな関係作りがまだまだ残っているんです。人間的なやさしさ、そういったもので、貧困の中でも支えあっているんだなというのを感じます。

−よく、“スラムを整理しちゃうと、見た目はきれいになるけど人間関係まで寸断されてしまう”という話を聞きますが、そこをうまくクリアしている?

藤本:
そうですね。古いものより新しいものを欲しがるというのが当然ですけれどね、そうではなくて、生活していて皆が培ってきたもの、宝物がどこかにあるはずだと。

−建物は新しくしながら、人間関係は古き良き時代を保つ、という事でしょうか。
同行していた中村さんから見て、タイの人達は筑紫野の地区から何を学んだと思いますか?

中村: 藤本さんがおっしゃった事ももちろんそうなんですが、他にもあったようです。パッと見て、日本の道や建物がとてもきれいだと。道にゴミが落ちていなくて、建物がまっすぐ整然と並んでいる、そこに身を置くだけでも、かなりのカルチャーショックがあったらしくて。バンコクのスラムは、本当に小さな道にゴチャゴチャと家が密集していて、足元にゴミがバーッと散らばっている所ですので、日本の町並みを見て、“自分達も、新しいコミュニティを作る時に、みんなで道をきれいにして、運河のゴミも掃除して、その周りにきれいなお花を植えよう”という夢を、リアリティをもって描けるようになったようです。

−逆に、彼らの目線や発言から、こちらが触発された事・気付かされた事は?

藤本:
ありましたね。かつて私の村は、消防車もゴミ収集車も入らない、密集した町並みがありました。それを、みんなで“こんな町になったらいいね”という事で、ワークショップを何回も積み重ねてきたんです。自分達で計画図を描いて、行政がそれを支援するという形で、パートナーシップ型の町づくりを行ってきました。
同じようにタイのスラムでも、規模は違いますけれども、スラムのリーダーが中心となって、家づくり、仕事づくりといった、住民サイドの活動が行われています。地域コミュニティが豊かで、例えば、「家を作る」という事自体が、イコール、仕事の創出となる、そういった《仕組みづくり》がしっかりしているのが素晴らしいと感じました。
こちらでも、今の若い青年達の就労実態を見たときに、未就労が圧倒的に多くて、就労支援という範囲では具体的に何も出来ないという状況なんですね。そこで、村で運営する仕事興し、会社みたいなものも必要になってくるんじゃないかと思うんです。村の中には、高度な技術を持った職人さんもたくさんいますので、そういう人達を活用しながら、若い人達で会社ができないだろうかと。生活の基盤はやっぱり仕事。それが貧困を招かないようにしていくんですよね。
そういった意味では、スラムのリーダーの取り組み、《仕組みづくり》には大変興味がありました。

こういった地域ごとの取り組みを、一つずつ学んでいったわけだ。

中村さんは、このプロジェクトに通訳としてだけ同行したわけではなく、この春まで8ヶ月間、タイ国内のCODIでボランティアスタッフとして住み込みで活動してきた。

中村:
CODIがやっていることにとても関心があったんです。公共機関なのに、住民がやっているプロセスを外から支えるというスタンスで成功しているのを見て、「なんでそれが出来るんだろう」ってすごく不思議で。「途上国の《開発》って何だろう」っていう事と、「現地の人が考える《開発》において、外部者ができることって何だろう」っていう事を学ばせていただきたくて、CODIに行ったんです。

−そこで何を学びました?

中村:
《開発》って何だろうっていう答えが、一つ見つかったと思います。例えば何か問題があった時に、様々な利害関係を持っている人達を全て、まず同じテーブルに着かせて、持っているものを出し合って、いかに暴力的にならずに問題解決へ持って行くか。そういう《コミュニケーション能力》がつくっていう事が、“Development”(開発)なんだなって思ったんです。その《コミュニケーション能力》は、何も途上国の開発においてだけ必要なことじゃなくて、日本の今の社会にもすごく必要なんじゃないかと思ってます。
CODIがやっている今回のような訪問も、視察というより「経験交流」と称していて、お互いが学びあう事を目的としているんですね。タイの人達が一方的に日本から学んで、それをタイに持って帰るのではなくて、日本の人達もタイのやり方を見て学んでほしい。お互いに一緒に学んで、作っていこう、という動きなんです。

−そういう発見を経て、これからは何をしていくの?

中村:
日本社会を作っていく子供たちに、アジアで起きている事、今起きている事を、そのまま伝えたいんです。だから映像を使って、開発教育の場で何か伝えていければな、と思っています。

中村さんは、8ヶ月間タイに行っていた時も、ビデオカメラを携行して、ずっと活動記録を撮っていたし、CODI自身が制作した活動紹介ビデオにも、日本語版のナレーションを付けたりしていた。映像を武器に、輪を拡げてゆく。これもまた、《コミュニケーション能力》の一つである。

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