イラク拘束・郡山氏が語る、帰国後の1ヶ月

放送日:2004/5/22

4月に相次いで起きたイラクでの邦人拘束事件で、最初に“人質”となった3人が帰国して(4月18日)から、今週火曜でちょうど1ヶ月を迎えた。今回は、「拘束中の9日間」の事でなく、「帰国後の1ヶ月間」について、“人質”の1人だった郡山総一郎さんと、彼をマスコミ対応窓口としてアシストしていた猿田佐世弁護士に、お話を伺う。

−今現在はどういった生活をされているんですか?

郡山:
まだ自分のアパートに帰れていないんですよ。

−拘束された瞬間からはじまった不自由な状態が、今も続いている?

郡山:
そうですね、心理的には。僕自身は帰ってもいいかなと思うんですが、まわりの支援してくれる方々が心配してくれるというのもあって。色々とバッシングをされたんですが、中には実際に危害を加えてくるんじゃないかというものもありましたので。

−記者会見から一連のTV生出演まで、「すみませんでした」を決して言わないように言葉を選んでいましたよね? あれは、何を恐れてそうしていたんですか?

郡山:
僕がジャーナリストとしての立場で謝る事によって、次から他のフリージャーナリストやボランティアの方の行動が制限されてしまうんじゃないかと懸念したからです。それに、僕自身が、間違ってるという風には思っていませんから。

私も、《子供》に一般論を教えるなら、「こういう時は、とにかくいろんな人を煩わせた事をまず謝ってから、自分の考えを説明しろ」と言うだろう。しかしその一方で、郡山さん達に謝れと声高に言っていた《大人》には、「少しは事情を汲めよ」と言いたい。言葉で謝れば自分は楽になるかもしれないが、“こういう事はいけない事なんだ”という認識を広めてしまう方が、同業者やボランティアの人に対して、逆にもっと申し訳ない事になる。そういう郡山さんの立場も、大人だったら斟酌して、言動の意味を受け止めるべきだ。

−最初の記者会見は、すごい弁護士の数でものものしい雰囲気でしたが、あれは何を危惧しての事だったんですか?

猿田:
郡山さん達の代理人以外にも、多くの弁護士を集めたんです。会見前にネット上などで、郡山さん達に反感を持つ人から「記者会見があるらしい、みんな集合してやっちまえ」というような記載が見られたものですから、実際の暴力から彼らを守らなくてはいけないと。

−こういう場合、会見場にどの範囲の人まで入場を認めるかというのも、安全対策上かなり難しい問題ですね。

猿田:
そうですね。世間のみんなが知っているような、大手のメディアの方だけにお入りいただくという事も、物理的には出来るんです。でも、「フリーで現地に入って伝える」という立場の郡山さんを記者会見の主役に置いておきながら、“フリーの方お断り”には絶対に出来ませんし、実際に素晴らしい記事を書いてくださるフリーの記者だっているわけですし。ですから、何か起きたら対応しましょうという事で、基本的にはどなたにもおいでいただくという形に致しました。

市民メディアを応援している立場の私としては、これは本当に悩ましい。例えば名もないグループが「自分達のホームページ上で発信するために取材にやってきました」と会見場に来たとしても、主催者側にしてみれば、それが本当の目的か、単に妨害に来た者の口実か、見分けられないのだ。今後、市民メディアが発展していくにつれて、ますます難しい問題になっていくだろう。

−会見の翌日からは、相次いでTV番組に生出演されましたが、そういう体験はそれまでにあったんですか?

郡山:
一度だけ、宮崎のNHKローカル局で、5分程度やった事はあったんですが、全国ネットでは初めてでした。

−その中で、“言おう”と思って臨んだ事は言えました?

郡山:
なかなか…思ったように言えないんだなって実感しましたね。僕自身は、イラクの実情を伝えたいと思って臨んだんですが、どうしても“自己責任論”(僕としては、あれはかなり論点がずれていたと思っているんですが)から始まるので、放送時間内にイラクの実情の話までいかないんですよね。もちろん、僕らの伝えたい事に則して進行していただいた番組もあったんですけれども、なかなか時間の問題があって。

−そういうところは、生放送ゆえの難しさでもあるんでしょうか?

郡山:
そうですね…。だけど、事前収録だと、編集で切ってつなげて、発言の意図が違う方向に持っていかれたりという事もあるでしょうから、むしろ生放送の方がいいと僕は思っていたんです。でも実際、予想もしていなかった質問がとんで来たりした時には、かなり慌てましたね。

郡山さんは本来、《写真》で表現をするフォト・ジャーナリストだ。《喋り》で伝える事に関してはプロではないのに、突然こんな状況に追い込まれたら、慌ててしまうのも無理はない。しかし、お茶の間で余裕綽々で見ている側は、ちょっと舞い上がって変な発言をしただけで「こいつ何言ってんだ」と厳しく評価してしまう。

−その辺をなんとかサポートしようと、猿田弁護士はずっと同行していたわけですが、出演依頼をしてくる時の趣旨説明と、本番での意図が違っている番組というのはありましたか?

猿田:
番組側の窓口になる方は、何度も足しげく通ってくださったりして、非常によくしてくださいました。でも、それと実際のナマの現場は違うという怖さを、本人ともども痛感しましたね。打ち合わせの中では、短い放送時間でこちらの伝えたい事が本当に伝わるような構成を作り上げる事もできたんですが、いざ現場に行ってみると、その通りにはいかないんですよ。打ち合わせをしていたディレクターから実際にインタビューする人へ、打ち合わせの内容を伝えてくださってはいたんでしょうけれど、こちらでは出ないと思っていた質問が本番では逆にメインになってしまったり。もちろんそれに答える事はできるんですけれど、全体の流れの中ではうまく答えられなかったりとか。中には、「躊躇した瞬間の表情を捉えたい」という意図で、質問をされる事もあります。答えるのが嫌という事ではなくて、「あれ、この質問は出ないと思ってたのに」と戸惑っただけでも、テレビを見ている側にしてみれば「なんで躊躇してるんだろう」と勘ぐってしまうんですよね。

猿田さんの役割というのは、都合の悪い部分を隠してしまうような情報操作ではなく、本当の情報が伝わりやすくするためのサポート。舌足らずな表現や無防備な表情が出ないように、という本当に細やかなお手伝いだ。実際、今回の『眼のツケドコロ』の放送中にも、“キャスターの質問が終わってから喋る!”といった内容のメモをさっと郡山さんに差し出したり、アドバイザーぶりを発揮していた。

−そういうサポートがあってもなお、取材者と喧嘩になったようなことは?

郡山:
ありましたね…。ずっと生出演を続けていたんですけれど、1回だけ収録の番組があったんです。収録だからという甘えもあったみたいで、向こうの質問に対して声を荒げたというか。「それ正しいと思って質問してるんですか?」とか、「会社に勤めている人に、僕らフリーの何がわかる」という言い方をしちゃったんですよ。

−その部分は、放送にどう反映されたんですか?

郡山:
結局、番組側のご配慮もあって、その部分は放送されなかったんです。後になって、大人げなかったなと、自分ではすごく反省しています。
猿田:
私たちもどうしたらいいのか分からないところがあって、ずうっと模索状態が続きました。
報道を見てくださっている方、聞いて下さっている方は、情報がゼロの状態から、《耳にした事だけ》で物事を捉えますよね。だからこちらは言葉を尽くさなくてはいけないし、誤解が生じないように、《どなたが聞いても同じ意味にとれる言葉》で発言をしなくてはいけないという事は、痛感いたしました。

−郡山さんはフォト・ジャーナリストですから、今回はいわば“同業者”たちの取材を受けたわけですが、その立場から感じたことは?

郡山:
僕自身、ああいう記者会見の場を仕事で撮っていたんですが、自分が撮られるとなるとすごく嫌なものですね。「ストロボの光ってこんなに強いんだ」と感じたり…。生活のためとはいえ、もう二度とこういう仕事は請けないぞと、自分の好きなものだけ撮ろうと思いましたね。自分の中でルールが出来ちゃいました。

−この貴重な体験から、《一般人が突然取材対象者になってしまった時》の心得を。

郡山:
そうですね…。周りが何を言っても何を騒いでも、自分をしっかり持つ、ブレないものをしっかり持つという事ですね。そうすれば、流されず、良い結果になると思います。あとは、優秀なアドバイザーを付けることですね。
猿田:
私なんかは普段視聴者の立場なので、流れてきて見ているものだけが真実を表しているのではないし、それがたとえ真実でも、その後ろに《更に大きな真実》があると感じましたね。そういう事を心に置きながら、これからメディアを見ていきたいと思います。
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